夜が来る。

@panda_au_lait

第1話 夜が来る。

 また、夜が来る。

 青い光の街頭に、羽虫は目を回して落ちていく。

 公園のブランコは風に揺られぎぃぎぃと悲鳴を上げている。

 たまに通る車は、コンビニの袋を舞い上げてはどこかへ引っ張っていく。

 モルタルの歩道にひびくコツコツという音は、明るい居酒屋に飲まれていく。

 街頭が、スマホの画面が、リビングの光が、オフィスの窓から漏れる光が、受験生の机を照らす光が、人の数だけの光が、まだ明日を知らない夜を照らしている。

 それでも夜は来る。

 

 じろりと夜が僕を見た。

 真っ暗で何も見えない。

 でも夜は僕を見ている。

 夜は僕に話しかけてきた。

「なんで。」

 僕は見えないその相手を睨むようにしてこう返した。

「知らない。」

 地べたに座って居た僕は大きく息を吐いて、体をぐにゃりと力を抜いて、下を向いたまま、仕方なく息を吸った。

「質問をするなら、せめて脈絡ぐらいよこせ。」

 夜は応えない。応えるはずがない。夜なのだから。

 でも、夜は夜だから、僕に話しかけてくる。

「なんで。」

 僕は応えないことにした。相手にするだけ損だ。

 夜と会話しようとした僕がおかしい。

「なんで。」

 夜ってのは、太陽の光が作る、地球の影だ。それ以上でもそれ以下でもない。

 人でも無ければ生き物でもなくて、夜は夜なのである。

「なんで。」

 夜に口は無いし、あったとしてもそれは三日月だ。

 三日月では喋れない。

「なんで。」

 できたとしても、微笑むことしかできない。

「なんで。」

 夜は、

「なんで。」

 ――夜なのだから。

「なんで。」

 夜はいつも来るだけだ。

 質問攻めなんてしない。遊びもしなければ勉強もしない。言うことも聞かない。ただ来て、ただ来るだけ。

 夜の静寂が辺りを飲み込んだ。

 ぬるい風が僕の頬を撫でる。

 





「なんで。」

「なんで、生きているの。」

 僕はまた、血まみれのナイフをお腹に突き立てた。

 それでも夜は来る。

「なんで。」

 血まみれのナイフを伝って柄からポタポタと赤黒いそれが落ちる。ぬるい風が僕の頬を撫でてはくれない。

「なんで。」

 僕の雫の落ちる音だけが夜を支配する。そこには僕と夜だけが居た。

 どこからか救急車のサイレンが聞こえ始めた。

 僕の音はかき消された。

 誰も居ない夜でさえ僕を消そうとする。

 お気に入りの本も、好物のシチューも、飼い猫のゴロも、肌触りのいい布団も、片目の達磨も、鳴らなくなった時計も、僕のことを好きだった亜美でさえ――

「なんで。」

 僕を消そうとする。

 じんわりと胸が熱い。

 いつの間にか、救急車の音は気がついたら聞こえなくなっていた。

 夜の静寂が戻ってくる。

 何もできない僕は、何もできないわけじゃなかった。

 何もしないことが、僕にはできた。

 それで十分だった。

「なんで僕はこれしかできないんだ。」

 夜が来た。

 とても平和な夜だった。

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