3

 裏口の喫煙所には、ほかに人がいない。後で増えてくるんだろう。

「ねー君の彼女、嫌がるんじゃないの? 私と飲みに行ったらさ」

 彼は、煙をゆっくり吐き出してからアスファルトに目を落とした。

「うーん。いま、浮気されてんすよ」

「え、だからいいっていう感じ?」

「ホントは話を聞いてほしかったんですよね」

「まあ、キミの恋バナにも興味あるけど? あたしに若い女子の気持ちが分かるかなあ。私のファンなんて釣りだと思ったけど、やっぱりそうか」

  ねー君は嬉しそうに笑った。

「紅音さんのその顔が見たかったんですよね、俺」

「変わり者だね。あれ、キミ、俺派だったっけ? 僕派でしょ?」

「職場では僕派ですけど、普段は俺って言います」

  今時の韓国系アイドルのようなヘアスタイルで、すらっとした身体つきの彼には、僕が似合うと思っていたのだが。

「へえ」

「どっちが好きですか?」

  先ほど思ったことを伝えると、ねー君は考え込んだ。

「無理するのもおかしいし。どっちも使えば?」

「ですね」

  煙を吐き出すと、彼は灰皿にタバコを押し付けた。

「紅音さん、今日は和洋どっちの気分ですか?」

「おや、奢られるキミがお店を決めるの?」

「これでも去年まで学生でしたから。安い新しい店、知ってます」

  スマホをつるつると操作すると、彼は選択肢を見せてきた。

「シャレオツな店知ってるんだね。じゃ、洋風にしよっかな」

「でしょ? そう言うと思ってました」

  ねー君は行き先を指差す。すると裏口が急に開き、矢沢が現れた。紅音は、ねー君に向かってしかめ面をして見せた。

「お疲れ」

「お疲れさまです」

「紅音さん、タバコ吸い始めたの?」

「いえ、僕の人生相談に乗ってもらってました」

  ねー君は庇うように返事してくれる。

「ふーん」

  矢沢は、ねー君をちらりと一瞥いちべつすると、また明日と言ってあっさり去って行った。二人はその背中が角を曲がったのを確認してから歩き出した。

 店は思いのほか近くにあった。そこここに溢れるインダストリアルスタイルの内装の、小ぢんまりしたカウンターだけの店だ。

「ねー君、さっきはありがと」

「いえいえ。矢沢さんは僕みたいなチャラいのは話しにくいそうです。悠さんとは話しますけどね」

  彼は爽やかな笑顔を浮かべる。

「ミナさんも話しにくいんだってさ」

「ミナさん、報われないですね。それなのに紅音さんに嫉妬したりしないし、あんないい人、勿体ないです」

「ホントだよ」

  紅音はメニューを眺めた。かすかにジャズが流れている。ジャズを流す店が好きだと悠は言っていた。格好いいとされるものに憧れるらしい。

「紅音さんはサングリアでしょ」

「ねー君はハイボール?」

「いえ、今日はカクテルにしようかと」

  お酒は自腹にします、と彼は上等なものを注文した。せっかく安い店に来てるのにと言うと、タバコを吸うと食べ物は美味しくなくなるから安くていいが、お酒だけはいいものにしておきたい、と言う。

「一丁前なこと言うね」

「でしょ?」

「でも私は美味しいものが食べたい。私が食べたいものを注文する」

「ゴチになりまーす」

  たしかにメニューは安いが、隣の客の皿を覗き見ると量が少ないせいだと思われる。紅音は珍しい横文字のメニューをいくつか頼むことにした。

「で、いつから浮気されてんの?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る