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『悠、今日の飲み会行けるの、あんただけだって』
帰り際にラインすると、彼のタイピングが止まった。手はそのままに、顔をこちらに向けた。
「なんで隣なのに直接言わないのさ」
「キリがいいところで読めるように」
「分かった」
また猛烈な演奏が始まる。
『きのう中途半端だったから、続きの話してもいい?』
もう一通送っておいて、演奏が終わるのを待った。チャイムが鳴るギリギリ前にタイピングが終わる。
『いいけど』
チャイムが鳴った。
「あんた、それは直接言えばいいじゃん」
「ああ」
気の抜けたような返事が返ってきた。ねー君がちらりとこちらをうかがい見て、親指を立てると、席を立って去っていく。スマホの通知が鳴った。
『グッドラック』
続けてもう一通送られてくる。
『でも好きです。やっぱり毎日言います』
紅音は苦笑した。
『オマエなあ』
飲み屋で気まずくなるのはごめんなので、近くの公園のベンチに行くことにした。
「単刀直入に言う。私は悠のことが好き」
「あ……そうなんだ。ありがとう」
彼は困ったように頭を掻いた。
「でも元カノに未練があるのは知ってるし、私に興味ないのも知ってるから、言う気はなかった。なので忘れてください。以上」
最後まで言い切るとすっきりした。
「ごめん。俺、紅音さんはとてもいい人だと思うけど、そういうのとは違って」
「うん」
紅音は、本当は今は見たくない横顔を、これが最後だと思って眺めた。ああ、好きだな、ほんと。煮え切らない性格も、おとなしいくせに頑固なところも。そういえば名前を呼んでくれるのは、これが初めてだった。
「ねー君と付き合う気はないの?」
「無いよ。若者と付き合う勇気もなければ、未来を奪う気もない」
「年齢が近かったら?」
「どうかな、あれは友人だよ」
「あの年頃の好きは、本当の好きだと思う」
「……いや、冷めやすいでしょ」
悠は星の見えない空を見上げた。こいつは、映画の登場人物。いつだって自分が世界の中心だ。
「二十歳ごろって、なんだろう、高校生ほど身勝手で未熟じゃないけど、まだ恋に希望を持ってるから。きっと、ねー君は紅音さんを思い続けるよ」
「それは困ったなあ」
「俺がそういう感じだから……男はロマンチストのままだと思うんだ」
「ねー君の気持ちと、私のあんたへの気持ちは、何の関連もないよ」
紅音は言い捨てると、立ち上がった。
「私の失恋は、別の恋で埋まるわけじゃない。あんたの失恋もそう」
実際は埋まることもあると思う。それでも、二人の話をしているのに、別の話で誤魔化されるのは嫌だった。
「埋まることもあるよ」
「その理論だと、あんたの失恋を私が埋められる可能性があることになる」
「それは、可能性はあるけど、絶対じゃないから」
「分かった。私はいま、ねー君の話をして欲しくなかったの。じゃあ、忘れてくださいまし。アデュー」
この後、彼が追いかけて来てくれるのは、少女マンガだけだ。人気の少ない道を選んで、駅まで泣きながら歩いた。出てくるものは仕方ない。こういうのが嫌だから、楽しく密かに恋していたかったのだ。いずれ終わりが来るのは分かっていたけれど、自分で終わらせたかった。運の悪さも、ねー君も、責めるつもりはない。若者があれだけ好き好き言ってくれるんだから。失敗して、成功への道を探してくれればいい。踏み台にすればいい。だって、自分のほうは、一度は恋が叶って結婚したのだ。それ以上求めるのは野暮だ。贅沢だ。
それでも涙が出るのは、独りが寂しいから。どうしようもなく寂しかった。好きな人がそばにいてくれる日々が恋しいから。
「紅音ちゃん」
駅のホームで背後から肩を叩かれ、振り返るとミナさんが心配そうな顔をしている。
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