5
会社を休もうかと散々悩んだ。よく寝られなかったし、二人と顔を合わせるのが怖い。が、そんな甘いことは言えないので、クマのある顔でぎりぎりに出勤した。
二人は顔を合わせても何事もなかったかのような様子で、それがかえって気味悪かった。あのあと二人で話したはずだ。明らかに様子がおかしい紅音に、ミナさんが心配してくれたし、迷惑なことに矢沢も具合が悪いなら休めと言ってくる始末だ。コピー機室にこもり、どちらかが来るんじゃないかと怯えながら作業していたが、何も起きなかった。
しかし、休憩時間をずらして悠を避けたのに、ねー君のほうが珍しく弁当を持って入ってきた。そして開口一番、昨日のことを謝られ、飲み代も渡された。
「すみません。紅音さんが悠さんに振られたら、僕のことも考えてくれるかもって、衝動的に自分勝手なことを考えました」
「ああ……うん。ああいう時は誤魔化しに付き合ってほしかったな」
「はい。すみません。やっぱり好きですけど、もう二度と言いません。好きですけど……」
彼は頰をバンバンと叩いた。紅音は思わず吹き出した。
「許してください」
「若気の至りだねえ。気持ちはありがたく受け取っとくし、あれは運が悪かったせいだから、もういいよ。でも私はもう参った。どうせあいつには振られるって分かってたけど」
「すみません。……でも好きで」
「二度と言わないんじゃなかったのか、青年」
紅音は握りこぶしで青年の額を突いた。
「うう、そういうのが好きなんです。そう気付いたら、もうダメで」
「はいはい、分かった、やめる」
手を引っ込めようとすると、ねー君はその腕を掴んだ。虹彩は薄いわりに黒目の割合が多い目で紅音を見下ろす。
「な、何?」
「まだ、紅音さんは振られてません。昨日、元カノと来てましたけど、お手洗いに行こうとした時に紅音さんの声が聞こえて、気になって来てしまったそうです。あまり二人の雰囲気は良くなかったです。うまくいくかもしれません。正面から言ってみてもいいんじゃないですか」
「や、そんな……」
「結果がどうあれ、俺は紅音さんが好きなので、邪魔はしません。いつか、俺でもいいって思ってくれるのを待ってますから」
「その頃には私はBBAだわ」
紅音は目を逸らした。若者の真っ直ぐな瞳は怖い。
「関係ありませんよ。最後にもう一回言わせてください。好きです」
ねー君は手を離した。
「僕、下の階で食べるので。お邪魔しました」
紅音は力が抜けたように椅子に座り込んだ。若者の恋なんて一瞬で終わる。本気にするものじゃない。
一人静かに食べようとしたのに、矢沢が入ってくる。紅音は弁当に目を落とした。
「おつかれっす」
「紅音さん、寧君にめっちゃ告られてたじゃん」
距離の詰め方が苦手だ。一方的に軽い言葉遣いで来られるのが。
「盗み聞きですか? 趣味が悪いですよ。彼の名誉のためにも、内密にしてください」
「ごめん、偶然。誰にも言わないよ。紅音さんの好きな人って、誰か聞いていい?」
オマエみたいなヤツに誰が教えるか。というより、それをここで聞く神経もすごい。
「良くありません」
「そう。ごめん」
矢沢は弁当を机に置いてとなりに座った。
「俺さ、ミナさんにやたらと晩ご飯に誘われるんだけど、断ってるんだわ」
何が言いたいんだ。まさか、ここで告白でもするつもりか。紅音はイラついた。
「へえ、あんな美人でいい人いませんよ? 勿体ない」
勿体ないのはミナさんの方だが。
「なんでかっていうと、他に好きな人がいるから」
「そうですか。そういう話、今はやめません? さっきみたいに立ち聞きされたら嫌なので」
紅音は弁当をかきこむと、席を立った。
「今日の飲み会は?」
「しんどいので、行きません」
「そうか、俺も午後から出張で行けないから、悠さんだけになるなあ。キャンセルかな」
「ですね」
今日言ってしまうのがチャンスということか。スッキリしないままにしておくのも面倒だ。いいことを聞いた。作った笑顔で、お先ですと言うと、さっさと狭い部屋を出た。
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