第7話 向けられる笑顔。
昔から桜という花が苦手だった。
なんてことはない。人混みが得意ではないからだ。
だが、彼女がこの花を好んでいたことは理解していたし、苦手というだけで嫌いというわけでもなかったので。
『そういうところあるよね』
『そういう、とは?』
『誰かのせいにするところッ』
認めよう。
私と彼女が付き合った事実が、物語的であることは。
元生徒と元担任が、卒業した後とはいえ付き合う行為は、確かに物語的であると言えよう。だが、言える。それだけで実際には物語ではないのだ。
お付き合いを開始して必ずしもハッピーエンドになどなりはしない。少し珍しい盛り上がり方をした男女の熱は、とても冷えやすいものでもある。
そこに物語性などありはせず、私と彼女はただ喧嘩別れという結末を迎えることになる。
彼女と付き合いだしたのも、彼女と別れたのも、
彼女の娘の売春行為を目撃してしまったのも、奇しくも同じ公園で。
違いがあるとすれば、彼女との思い出とは異なり春川くんとは桜の花に縁が無いことだろうか。
「違うのかね」
むしろ、花を失った桜の木々のほうがどちらかと言えば好ましいとすら思えてならない。良いではないか。青々とした葉が生い茂った桜の木というものは。
「え、いや……、はぃ?」
この場所で、彼女によく似た春川くんを見ているとどうしても思い出してしまう昔の記憶。楽しかった頃よりもそうではない頃を思い出してしまうのは、自分でも女々しいとしか言いようがない。
「……奨学金制度は、まぁ、確かに使えないものばかりっすけど」
「そうか」
お世辞にも成績が良いとは言えない彼女である。
やはりと言えば失礼かもしれないが、こればかりは現実なのだから目をそらすわけにもいかない。
所属している部活動も料理部であり、身体能力が人より素晴らしく秀でているわけでもない。
と、なれば学力基準以外の奨学金制度も同じことか。
「あのぉ」
「なにかね」
「あたしが売春している理由って……」
「学費や生活費のためだろう?」
元から大きく印象的な春川くんの瞳が一際大きく開かれる。
それほど驚くことを言ってしまったのだろうか。
「ど、え? ちょ、ん~……、……はい?」
「……、もう少しまとめてから話なさい」
教師生活が長いからといって分からないモノは分からない。そもそも生徒の気持ちが分かる教師なんてものはそれこそ物語のなかだけの話だ。
「……、あたしの家の事情知ってるっすか?」
「両親がお亡くなりになって、お世話になっている親戚の家に住んでいないことなら理解している」
「おっけぃ、おぅらい。ちょっと先生そこで立ってもらえるっすか」
「構わないが?」
勘違いされることが多いが、春川くんは小柄なほうである。
背が高いわけではないがそれでも成人男性である私と向き合えば、自然と彼女を見下ろす形となってしまう。
とはいえ、私と彼女の視線が合うこともない。それは、彼女が顔を伏いてしまっているから。
知っている。
私はこれを知っている。
彼女もよく同じことを要求したものだ。怒っている時に。私の発言に激怒した際によく要求してきた行動だ。
何がいけない。何が彼女を怒らせた。いや、待て。理由よりも先に私と春川くんに個人的な関係などありはしないのだ。つまりは一生徒が教師に対して、
「先生」
「……」
どれだけ考えを巡らせようとも。いや、むしろ巡らせている時点で臆していた私の予想とは異なって。上げられた彼女の顔は、
満面の笑顔であった。
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