第5話 夜の見回り。
『それはもう運命なのよ』
あの時、彼女はどんな顔をしていただろうか。
笑っていたと思う……、が、諦めていたようにも思える。……、随分昔のことでもう思い出すことも出来やしない。
「チェ、チェリーちゃんだよね……」
なにもこの公園でなくても良いじゃないかと思うが、それは私の勝手な都合というものだ。彼らにとっては一切関係のないことであり、どちらかと言えば。
「そうだよ。お金、ちゃんと準備しているんでしょうね」
お前がどうしてここに居る。と彼らに言われる方が正しいか。
「ちゃん、と準備しているよ、五、五万だよね! は、やくホテルに」
「行くのは待って頂きましょうか」
「ぐひッ!?」
「は……?」
春川くんを触ろうとするサラリーマンの腕を掴む。
本当であれば、今日は週に二回の晩酌の日だったんだ。北海道から取り寄せた干し帆立と昨日から用意しておいた卵黄の醤油漬けを肴に楽しむ予定だったんだ。
中年を通り越し、世間一般から見れば爺の類に突入しようとしている男の楽しみをこんな形で奪わないでもらいたい。
「げ、嘘……、最悪……」
「だ、誰だよ、あんた! あれか! チェリーちゃんの客だなっ! きょ、今日は俺の番なんだから順番守れよっ!」
「その子の高校の担任です」
私の言葉に青ざめていく男。青ざめるくらいなら始めから素人を相手にしなければ良いというのに。
何のためにプロが居ると思っているんだ。あと腐れも問題もないプロにお金を渡しておけば周囲に迷惑をかけることもないじゃないか。
『我が校の生徒が売春行為を行っているという噂が流れております』
『信ぴょう性は如何ほどでしょう』
『あくまで噂です。ですが、だからこそ今のうちに摘んでおきたいのですよ』
一部の教師にのみ、教頭先生から伝えられた噂話。
招集が掛かった時点で面倒くさいことが待っているとは分かっていたが、久し振りに頭が痛くなる案件にため息を零さなかったのは歳の成せる業か。
『申し訳ありませんが、本日より先生たちには夜の見回りを行って頂くことになりました。秋田先生、成瀬先生。まずは御二人にお願いしたいのですが宜しいでしょうか』
宜しくはありません。と。
言える雰囲気ではなかった。
『めッ!! んどくせぇぇ……ッ!! ガキが○○○して○○○するのなんかほっときゃ良いってのに! なあ、秋田先生!』
『どこで誰が聞いているか分かりませんよ、成瀬先生』
二十個年下の女性教師が放つ瞳に宿る熱意は、放課後街に繰り出した途端に飛散する。新人として入ってきた時から彼女はこうだった。学校内では良い先生と評される彼女の正体を知っているのは、極一部の人間だけだ。
……、教育係として最初に接した時の彼女が懐かしい。
『良い子ぶってんじゃねぇよぉ……? お? なぁ、どうせだし見回りしている振りだけしといて飲み行こうや、久し振りによォ』
『私は駅の東を担当しますので、西はお任せします』
『ちきしょぉぉ! 一人でも飲んでやらァァ!!』
口では悪態をつこうとも、きっと彼女は誰よりも真剣に探してくれているだろう。まさに天邪鬼といえる。
そのため、こう言っては何なのだが。
私が西を担当すれば良かった。
「お茶と珈琲どっちが良いかね」
「酒」
逃げる男を追いかけることはしなかった。捕まえて警察に突き出しても大事になるだけであり、なにより、追いかける体力などもう私にはない。
実を言えばそれは彼女にも当てはまることであり、もしも彼女に逃げられれば私に捕まえる術はない。だからこそ、彼女が公園のベンチに大人しく座ってくれていることがなによりありがたく、なにより面倒くさい。
「酒って言ったんっすけどぉ」
「未成年に飲ませられるはずがないだろう」
三月になれば満開の桜が咲き誇るこの公園も、旬が過ぎれば寂しいものだ。元々少し人通りから離れたところにあるため、花見シーズンとそれ以外ではまったく異なる顔を見せつける。
「分かり易い所で行わなくても良いだろうに」
「はッ? 説教っすか」
どちらかといえば苦情に近い。
手負いの獣のほうがまだ大人しい彼女をわざわざ刺激することもないだろうと、先にやるべきことを終わらせようと携帯を取り出した。
「もしもし、秋田ですが」
『見つかったか!? どこだッ!! すぐ行くッ!!』
たったワンコールで取られる電話に、やはり彼女は良い教師だと思えてならない。
「いえ、やはり噂は噂なのでしょう。今日の所はこの辺で解散ということで」
『……お、あ。ああ、そう……か。ま! 別に? こっちは探してなんかいないわけで今だって注文した料理が届くのを』
「お疲れ様でした」
『ちょッ』
「今のって、成瀬先生?」
「売春行為を行う生徒を探すように言われてしまったのでね」
「そりゃご愁傷様っすね」
「まったくだ」
あと一時間は探し続けるであろう彼女には同情を禁じ得ない。
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