パジャマでプロポーズ

烏神まこと(かみ まこと)

1

 司令は夜間の破壊行動を嫌っている。けれど、これ以上戦いが長引くのは色々と面倒だ。幹部の一人ブラッティ・フェザーは消滅も覚悟の上で、対立する集団のリーダーを無断で殺害すると決意した。


 司令から与えられた黒い装束と翼で闇夜を舞い、ターゲットの住む一軒家へ。ニ階の窓から見える部屋が彼の部屋だ。

 窓際を浮遊しながら、フェザーは右手人差し指の先端を軽く舐める。それからその指で窓に大きくハートを描いた。指でなぞられた部分は黄金の光を放った後に、じゅうじゅうと音を立てながら、その周囲を道連れにして溶けていく。まるでハートが血を流しているような形で空いた穴に彼女は腕を通し、窓の鍵を開ける。

 音を立てないよう注意を払いながら部屋に入ると、ターゲットは自身のベッドに仰向けの状態で眠っていた。


(夜は安全だって思い込んでるから、こうなるんだよ)


 ロングブーツの足音を、部屋の隅まで敷かれた星柄のカーペットが吸収する。ベッドの脇まで歩いてきたフェザーは、これから殺す男の顔を複雑そうな面持ちで見つめた。

 目の前にいるのは対立する集団のリーダー。自称レッド。本名・赤羽根 シュウ。

 彼を目にするたびにフェザーは、いつも言いようのない不安や胸の痛みに苦しんできた。そういった感情の波に襲われる度に、自分が彼を殺すために生み出されたことを強く自覚したものだ。


(これで、終わる)


 フェザーは鎖骨まで伸びた自身の黄金色の髪に手を伸ばし、いくらかまとめて引き抜く。引き抜かれた髪は掌から顔を出した箇所だけが真っ直ぐに伸び、硬化し、一本一本が針のような形状になった。その針をまとめて握り、赤羽根の喉元へ持っていく。小さな杭のようになったそれを少し当てるだけで柔らかい皮膚は血を滲ませた。

 あと少し、あと少し力を込めるだけでいい。そうすれば、この苦しみから解放される。


(なんで?)


 そう思っているのに、フェザーの手はどうしようもなく震えた。今にも力が抜けてしまいそうだった。殺そうと思えば思うほど目元にじわじわと熱が集まる。


(これじゃあ、人間みたいじゃないか)


 制御することが出来ず、ついに流れ出した透明な液体にフェザーはますます混乱した。大粒の涙が赤羽根の寝間着と、気の抜けた顔を濡らしていく。


「……ま、や?」


 顔に触れた液体の感覚に目を覚ました赤羽根は、まだハッキリしない意識の中でその名を口にした。それは赤羽根が以前からフェザーに呼びかける際にしつこく口にしている名だった。


「!!!」


 ターゲットが起きたことに動揺しながらフェザーは、手にしている武器を思いきり赤羽根の胸元に突き立てた。この際、命を奪えなくてもいい。傷を負わせてやろうと思ったのだ。しかし、赤羽根の胸元から血が溢れ出すことはなかった。それどころか、武器を持っていたはずの片腕は赤羽根の逞しい腕にがっしりと捉えられてしまった。


「ちょっと! 離して!!」

「離せるわけないだろう!」


 ぐい、と掴まれた腕を力強く引っ張られて、そのままフェザーはバランスを崩し、赤羽根のベッドに引き込まれた。


(これはチャンスかもしれない)


 赤羽根はフェザーと二人きりという珍しい状況に、寝起きではあるが活路を見出した気分になっていた。絶対に逃すまいと自身の胸に落ちてきたフェザーを毛布ごと両手両足で抱き締める。


「ギャーッ!!!」


 そして自身の胸の中で悲鳴をあげるフェザーに言った。


「舞夜! 俺を思い出してくれ!!!」


 お決まりの思い出してくれコールが始まり、フェザーは心底うんざりした。舞夜という名前に覚えはないし、赤羽根を生まれたときから敵として認識していて忘れたことはない。布団に口元を塞がれていなければ、これまたいつものようにつらつらと文句を言っているところだ。

 それから赤羽根はまたいつものように舞夜がいかに大事な友だちかを語った。

 苦痛すら覚える語りの中、フェザーが圧倒的な力の差でもわずかに抵抗を続けていると、赤羽根の声のトーンがワントーン低くなった。


「みんなの前では言えなかったんだが……」


 それがいつもの力強い語りかけではなかったために、思わずフェザーは抵抗を止め、耳を傾けた。

 真夜中の冷え切った空気の中で赤羽根は落ち着いた声で言った。


「俺は舞夜とは、本当は友達なんかじゃない。恋人だった。俺は、舞夜を愛してた」


 衝撃的な告白ではあったが、いつものように何を言ってるのかと言い返す気にはならなかった。それくらい赤羽根の言葉には重みがあった。


「いや、今でも愛してる。好きだ、舞夜」


 赤羽根は"舞夜"を改めて両腕で抱き締めた。薄い布団越しに赤羽根の熱を感じてフェザーは息を呑んだ。胸にじわじわと痛みが広がって、止まったはずの涙が再び溢れて、フェザーは以前から覚えていた胸の痛みの正体を知った。

 けれど、それが分かったところでどうなるというのか。自分はここに居場所をつくってはいけない。だって、自分には"舞夜"としての記憶がない。自分の元は確かにその女かもしれないが、今の自分には、この男とその仲間と戦い、傷をつけあった記憶しかないのだ。

 自分の告白を黙って聞いてくれているフェザーの様子に安堵していた赤羽根の腕を思い切り振り払って、フェザーはベッドから離れた。


「舞夜!!!」


 引き止める声と辛辣な表情に目を背け、翼を広げる。


「さよなら、赤羽根シュウ」


 それからあっという間だった。

 黒い羽根と武器であることを放棄した黄金色の髪の毛の束を残して、彼女は行ってしまった。

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