幸せの卒業

山吹弓美

幸せの卒業

 私は、学園の正門前でお嬢様を待っている。指示を受け準備していた、馬車とともに。

 門の奥、遠くに見える講堂で今お嬢様は、この学園を離れるための最後のイベントに出席しておられる。

 卒業生は全員参加、となっているダンスパーティ。そこでお嬢様は、この国の王太子殿下との婚約を発表する手はずになっている。

 しかし、それならば私と馬車の準備は必要ないはずだ。少なくともこの馬車は、王城にもお嬢様のご実家にも向かうべきではないみすぼらしいもの。中に積まれている荷物も、王太子殿下の婚約者となる身には必要なさそうなものばかりで。


 ややあって、ばたばたと構内が騒がしくなってきた。ああ、お嬢様はご自身の道を選ばれたのだなと理解できる。

 講堂の扉が開き、ここからでも分かるお姿が真っ直ぐにこちらへと向かってこられる。ダンスパーティのために誂えられた真紅のドレスをまとう、私のお嬢様だ。


「ちゃんと来てくれたのね。ありがとう」

「お嬢様のお指図ですから、当然のことです」

「準備はできていて?」

「はい、全ては仰せのままに」

「それならいいわ。さあ、行きましょう」

「はい」


 門を通り抜けたところで、私が差し出した手にお嬢様のたおやかな手が置かれる。そのまま私は、お嬢様を馬車の客室へと導いた。私も同乗し、そのまま馬車は動き始める。

 ……そうだ。言い忘れていた。


「卒業おめでとうございます、お嬢様」

「ありがとう」


 祝いの言葉を述べさせていただくと、お嬢様は満開の花のような笑みを浮かべてくださった。その麗しいお顔を拝見できただけで、私はここまでの準備を進めたかいがあるというもの。


 さて。

 普段ならば馬車の中ではおとなしく席に座し、移ろいゆく景色を眺めたり同乗者同士で言葉をかわしたりするものである。

 しかし今、お嬢様は次に向けててきぱきと作業を進めておられている。具体的に言うと、真紅のドレスを脱いだのだ。


「どうぞ」

「ええ」


 苦しいコルセットで締め付けられていた胴を解放なさり、柔らかくもない肌着に着替える。絹のドレスから、木綿や麻などで作られた動きやすいお衣装に。長いスカートではなくキュロットをお召しになり、靴もかかとの高いものから革のがっしりしたものに取り替える。


「まったく。どうしてこんな、動きにくい服を皆喜ぶのかしらね」


 今ご自身が脱ぎ捨てたドレスを一瞥して、お嬢様は吐き捨てるようにおっしゃった。他人のいるところでは、あまり口にはできない言葉である。


「それが、美しさというものでは?」

「外見を着飾って苦しむなんて、正気ではないわね」


 一応私がたしなめるように言葉を差し上げたのだが、お嬢様は心底そう思っていらっしゃるからな。

 それが、王太子殿下とお心を通わせるに至らなかった原因でもある。そう、お嬢様から届いた指示書の中に書かれていた。

 ご自身が表に立ち動かれることを望むお嬢様と、配下を動かしお嬢様を己の横に置くことに固執した王太子殿下。

 お二人の心はすれ違い、王太子殿下は事もあろうに身分の低い……それでも私よりは高いが……別の女性を妃として迎える、そうお考えになったのだそうだ。

 そうしてお嬢様を遠ざけるために、別の女性に対して害を成したという罪をなすりつけたと。


「……まあ、くだらない陰謀は叩き潰しておいたけれど」

「さすがはお嬢様です」

「でしょう」


 部外者である私がここまで知っている、ということはつまり、当事者であらせられるお嬢様も全てをご存知だったということだ。

 王太子妃の候補となる、高い位の家に生まれたお嬢様はその力……具体的には情報収集力を行使し、おそらくは先程講堂の中で全てを開示せしめたのだろう。

 さて、王太子殿下とその恋仲の女はこれからどうなることやら。あのパーティには確か、国王陛下ご夫妻も列席しておられたはず。その御前で、恥をかかされた方々は、さて。


「さあ、行きましょう」


 学園を出るときと同じ言葉を、だがそれよりも力強くお嬢様は口にされた。

 まあ、女二人でこの国を離れる我らにとって、赤っ恥をかくことになった王太子殿下のその後などどうでも良い。

 私の大切なお嬢様が朗らかに笑ってくださる、そのほうが私にとっては重要なことなのだから。

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幸せの卒業 山吹弓美 @mayferia

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