第4話 お祝いに、君に誓いを込めて

 今日は結婚半年を祝う晩餐会を催す日。午後の徐々に夕へと傾く日差しの中、私は自室でぼんやりと窓の外を眺めていた。

 本当だったら親しい知り合いを呼んで祝ったり、夫婦仲が円満であることをアピールしたいだろうに、君とゆっくり過ごしたいから、と夫は内々だけの質素な晩餐会にしてくれた。

 もちろん、彼の母親も来ない、使用人だけの細々とした会であるが、反対にそれが今の私には安心できた。


(とはいえ、今の私にできることは何もないのだけど)


 本来、家のあれこれを取り仕切るのは本来の妻の役割なのだろうが、ここの使用人たちは夫が幼いころからの付き合いがあるので勝手がよくわかっている。それに、異国の勝手がわからない私があれこれ話したところで邪魔になってしまうだろう。

 愛する人とのせっかくの記念日なのだから手ずから祝いたい。なのに、何もできることがない、そのことが私の心をより重く、昏くしていった。

 コンコン、とドアがノックされると声がかけられる。


「ナデシコ、いるかい?」

「あ、はい」


 反射的に返事をしつつ、しまった、と自分を責める。

 夫を迎えるのは妻の役目、とあれだけお義母かあさまに言われていたのに。

 ドアが開けられると、夫がいつものように柔らかい笑みを浮かべながら入ってくる。


「すみません。玄関で出迎えもせず、本当にすいません」

「いや、いいんだよ。この時間に帰ってくるって言ってなかったのは僕の方だし。そんなに責めないでほしい」


 頭を下げる私に夫は慌てて手を振って大したことじゃない、と言ってくれる。そのやさしさがうれしい。だけれども、迷惑をまたかけてしまった、という気持ちが先にきてしまう。


「その、それで、なんだけど。実は早く帰ってきたのは、これを渡したくて」


 困った表情を浮かべながら夫は私に抱えていた細長い包みを見せた。


「本当は晩餐会に渡すべきなんだろうけど、半年祝いのプレゼント。今渡さないと意味ないから」

「はあ……」


 どこか自信のない夫の様子に私も曖昧な返事をする。確かに、宴の前に贈り物を渡す、というのは祖国でも聞いたことがない。それは、この国でも一緒のようだ。

 不思議に思いながらも包み紙を開くと、ギヤマン製の薄黒い瓶に入ったものが出てきた。この国の葡萄酒ではない。瓶をなでるように回すと、力強い祖国の文字が書かれたラベルが見えた。


「黒潮水……」

「そう、友人に頼んで取り寄せてもらったんだ。きっと長い間祖国に帰ってなかっただろうから食べたいと思って」


 蓋を開ければ、懐かしい香りが鼻孔をくすぐる。それと同時に、懐かしい故郷の味が舌を通じて脳裏によみがえってくる。

 目に涙が浮かびそうになるが、ふと気づく。私の今の立場では、これを取り扱うことはできないのだ、と。


「とても、うれしい、です。早速使用人に伝えてこないと」


 涙をこらえて、できる限りの笑顔で伝えると、夫は首を振った。


「いや、これはぜひ君に使ってほしい」

「え? ですが……」

「そのために早く帰ってきたんだ。君の作った料理で今日の晩餐会を彩りたい。料理が得意だって聞いていたから」


 どこから夫は知ったのかわからないが、料理は祖国では良妻の必須要件だったので、幼いころから仕込まれているし、女学校の授業でも必須科目となっていたし。


「確かにできなくはないですけれど、慣習的にそれはあまりよくないのでは?」

「大丈夫、先日の婦人がたの園遊会で、王女殿下が料理を趣味になさっている、という話が出たんだ。それに、まずは身内でやる分には問題ないだろう?」

「王女殿下が……? い、いえ、確かによい趣味と思います。ただ、そうだとしても今日はすでに使用人のみなさんが準備をしてくれているはず……」

「心配ない。あらかじめ、みんなには今日僕が帰るまで支度は待ってくれってお願いしていたから」


 夫が後ろを振り向きながら言うと、扉から開いた隙間からいくつかの人影が覗いていた。


「まあ……」

「まったく、ちゃんと下に降りて伝えるって言ってたのに。坊ちゃんじゃきっとうまく言えないんじゃないのか、そそっかしいからいきなり渡して作ってくれって奥様に迫るんじゃいかと心配されたよ。もう、子どもじゃないというのに」


 冗談めかして夫が話す。その様子に、くすくすと私は心から笑ってしまった。


「と、いうわけでお願いしていいかい?」

「はい、旦那様」


 なんの不安もなく久しぶりに腕を振るえる、そのことに私は喜びを感じて大きくうなずいた。

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