第2話 カーク子爵の事情

 カーク子爵には、結婚して半年経ったばかりの妻、ナデシコがいた。

 ナデシコは異国、和みの国の出身であり、結婚するにあたり、子爵の実家である伯爵家からは猛反対を受けた。

 嫌がらせ、貶める噂、社交界からの孤立。

 様々な障害があったが、二人の努力の末、なんとか実家の反対を押し切り、結婚に至った。

 これから幸せな人生を歩める、そうカーク子爵は思ったのだが……。


「妻がどうにも元気がなくて。それも、結婚してから日に日にやつれているような感じなんだ」

「奥様の体調がよろしくない、と?」

「いや、そういうわけではなさそうなんだ。食欲もあるし、睡眠もとれている。医者にも僕から頼んで診てもらったんだが、疲労か軽い気の病だろう、と」

「なるほど、気の病、と。もしかして、それで贈り物を?」


 ミアが問いかけるとカーク子爵が大きくうなずいた。


「そう、結婚して半年の記念にもなるからタイミングとしても悪くない。それに、今回の気の病の原因について、懐郷病ホームシックのようなものじゃないか、と僕は思ってるんだ」

「懐郷病、ですか? 確か、ナデシコさんは子爵と結婚される数年前からこの都に出稼ぎに来られてたんですよね?」

「ああ。けど、数年経って、結婚の上、慣れない子爵家での暮らし。彼女の故郷で暮らしていた環境とは大きく異なることが連続して続いていた。そう考えたら、今起きてもおかしくはないだろう?」


 同意を求めるカーク子爵の言葉に、ミアが曖昧に微笑む。当たってるような、そうじゃないような、同意しづらいという反応だ。


「君なら、贈与士として有名で、各地を旅して知見も広いという噂だから、妻が故郷のことを思い出せるような品物についても心当たりがあるんじゃないか、と思ったんだ」

「そう、ですねえ……」


 手放しでめる子爵の言葉に、視線を逸らしながらミアが言葉を濁す。


 若手ながらも、ミアは贈与士としての実績は豊富だ。それだけでなく、実地調査リサーチと称して、外国によく行くこともギルド内では有名な話である。

 ただ、その実態は贈与士特権を利用した観光旅行であるため、あまり大っぴらに誇れる話ではない。ミアが居心地悪そうにしているのはそのためだ。


 余談はさておき、さて、師匠はどうするのだろうか?

 期待するカーク子爵の視線に対し、ミアが何とも言えない表情のまま口を開く。


「実は、ナデシコさんの件と照らし合わせて、心当たりのある品が無くもない、といいますか……」

「なにっ、本当ですか!?」


 思わず立ち上がり、大きな声をあげるカーク子爵にミアが落ち着いてください、と両手を下げて、落ち着くよう促す。

 こほん、とミアが咳払いすると、贈り物に適した品物の名前を口にした。


「和みの国の調味料、例えば“黒潮水くろしおのみず”はいかがでしょうか?」


 ミアの提案に、カーク子爵の目が驚きで見開かれた。

 黒潮水とは、和みの国では一般的に用いられている調味料で、潮という字が入っているが、実体はソイズという豆を発酵させて作られる黒い液体である。煮込み料理に使われると聞くが、以前ミアの付き添いで港町に行った時に、和みの国の漁師から生の魚に黒潮水をつける食べ方もあると教えてもらったこともある。美味で汎用性の高い調味料なのだが、この国ではまだ流通しておらず、知名度は低い。


「そんなものが、贈り物になるのかい?」


 フレウルス王国の中流階級では、料理をする人はそうそういない。カーク子爵も例にもれず、料理とは縁がないため不安そうにミアに問いかける。


「ええ。むしろ、奥さんの状況からも考えて、最も適した品かと」

「ううん、確かに故郷を想起そうきさせるようなものだし、故郷の味を食べさせるのはいい案かもしれない。……ただ、手に入ったところで扱えそうな使用人はいなさそうだなあ」


 ミアの提案を受け入れて、贈ることを前提にカーク子爵が考え込みはじめた。


「あの、黒潮水ってまだ流通ルートが確立してないので手に入りづらいと思うのですが、大丈夫なのでしょうか?」

「問題ない。僕の出資先に交易会社の社長がいて、食品を主に商いしているから、入手には困らないと思う」


 あっさりと言ったカーク子爵にミアがやや驚いた表情を浮かべる。いや、驚いたのは俺も同様だ。坊ちゃん貴族かと思いきや、それなりにやることはやっているらしい。

 ミアとしては贈与ギルド公認直営店を紹介することを考えていたのだろう。

 カーク子爵の話を聞いて、彼女の目の色が変わった。


「手に入ることが可能なら、他に何も問題はありません。むしろ、贈るべきと思います。そして、奥さんにお願いして料理を作ってもらえばいいんですよ」


 勢い込んで、いやむしろ、けしかける勢いでミアが子爵に詰め寄った。


「い、え、けど、それは、彼女の立場をもっと悪くしないかい?」


 カーク子爵がうろたえる。

 それもそのはず。上流階級では、料理は基本使用人の仕事。むしろ料理をするのは下賤なことだという考えが根付いている家もある。実家が伯爵家であるなら、妻に料理をさせることは下賤な仕事をさせることと、カーク子爵も考えているのかもしれない。


 ミアがカーク子爵の目を、空色の瞳で捉えると鋭く口を開いた。


「最初に私に依頼したときも思ったのですが、カーク子爵は、体面と奥さん、どちらが大事なのですか?」

「な、なにを言うんだ君は! そんなの当然妻に決まっているだろう!?」


 突拍子もなく問われた言葉。しかし、臆面もなく子爵も言葉を返す。


「レストランで働いて、給仕をやっているのを見てひと目ぼれしたんだ! その時生き生きとして花のように笑顔を振りまいていた彼女が、日に日にやつれていくのを見るのがどれだけ心苦しいか! ずっとずっと僕が受け止めて支えていくから、と誓ったはずなのにこの体たらくなんて!」


 スイッチが入ってしまったらしく、子爵が熱く熱くやりきれない思いを語り始めた。

 熱意を受けてミアが目を見開いてきょとんとする。だが、直後に嬉しそうに微笑んだ。


「それを聞いて、安心しました。なら、私が提案したお品物はやはり、子爵の思いを伝えるのに、適していると思います」

「黒潮水、が?」

「ええ、そして渡す時にこう根回しすればいいんですよ」


 声を潜めて、ミアが子爵に何事か吹き込む。

 何を話しているのかは、俺までは聞こえない。


「君の提案する意図はわかった。そういうことであれば、僕も納得できる。しかし、母だけはなあ……。慣習に厳格な人で、僕も頭が上がらないし、揉め事になるのは将来のことを考えても、なるべく避けたい」


 さっき即答したことは何だったのか、というぐらい弱気な声で青年貴族が話す。

 奥さんも大事だが、実家のことも放っておけないといったところか。話を聞くに散々嫌な目にあってきたというのに。

 目の前の村娘の風体をした少女は、くすり、と無邪気に一笑した。


「慣習なんて、いくらでも覆るんですよ? それこそ、上側の人ほど、ね」


 そう言ったミアの目は恐ろしいほど目が据わっていた。

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