春風ひとつ、想いを揺らして~贈与士ミアの贈与録(ギフト・ブローシュア)~
螢音 芳
第1話 春風ひとつ、想いそれぞれ
もうすぐ春が来る。
異郷に来て何度も迎えた春。ただ、今年の春はまた違う。
愛する人と結ばれて初めて迎える春、そして、子爵夫人としてはじめて臨む春だ。
社交界に園遊会、貴族としての華やかなお付き合い。祖国の友人が聞いたら、きっと目をきらめかせてうらやましがるだろう。
私も、女学生の時と同じ心を持っていたら、胸をはちきれんばかりにときめかせていたはずだ。
なのに、何故だろうか。
春が近づく柔らかい日差しの中でも、私の心が温まる気配はない。
自室の窓を開ければ春の訪れを告げる力強い風が、この地で異質な漆黒の髪を揺らす。
種を運び豊穣をもたらすはずの息吹は強すぎて、種を生む前に私自身が折れてしまいそう。
いや、いっそ。
「こんなに揺らいでしまう私なら、このまま風に手折られてしまえばいいのに……」
そう呟いた言葉も、誰にも届くことなく風にかき消されていった。
◇
昼下がりのカフェテリア。
革製のサスペンダーをいじりながら、テーブルに頬杖をついて暖かい春の日差しが差し込む窓の外を、俺こと贈与士見習いのレガロは眺めていた。
石畳の路面を真っ赤なトラムが蒸気を空になびかせつつ走っていく。その脇の街路を蒸気エンジンのモービルやバイクルが行き交い、路地の花壇に植えられた草花や木々を揺らしていく。
フレウルス王国、王都セラム。
戦争があったのは、10年ほど前のこと。
戦火による被害があったものの、今では魔導力と蒸気機関による技術と溢れる自然が調和した金緑の都と評されるまで復興した都である。
「だから、知人の紹介を受けて頼らせてもらいたい。ちゃんとお金は出すから、知り合いのよしみだと思って相談に乗ってくれないか?」
「しかし、
俺の座っているテーブルから一つ離れた席で息まく男性の声と、やや困ったように話す少女の声。
やれやれと店内に視線を戻すと、離れたテーブルで金のカフスのついた上等な上衣を着た貴族の男性が、少女に食いつかんばかりに詰め寄っている様子が見えた。
緩やかに編まれた、亜麻色の二つのお下げ髪、流行からやや外れた襟の詰まったブラウス、淡い青緑色のスカート。どこか田舎の村娘がお上りさん気分で首都にやってきた、そんな風体の少女。
彼女こそ、体面的な俺の師匠、かつ護衛対象その人だ。
「ギルドに行って知人に見つかりでもしたら、あいつ見る目がないって噂されるに決まってるだろう? そこをなんとか頼むよ」
「ううう、けど奥さんのことでそこまで悩まれてるなら気にしてる場合じゃないですよね?」
「わかってる。が、これで僕が噂されるようなことになってみろ。僕の醜聞は妻の醜聞、彼女の社交界での立場が悪くなってしまう」
「……」
あ、ミアが黙り込んだ。一理あるって認めたも同然だ。
嫌いな類の依頼じゃないし、これはお情けかけるかな?
俺が予測していると、はあ、と少女がため息をついた。
「わかりました。なら、こちらの一筆箋に署名を。本来ギルドに来ることが出来ない人のための簡易契約書なのですが、特例ということで認めましょう」
ミアが革製のバッグから一筆箋を取り出して2枚切り取り、男性に渡す。
あーあ、またギルド受け付けの姉ちゃんから特例を乱用して、って怒られるな。
こちらの事情はいざ知らず、男性が嬉々として万年筆を取り出し、一筆箋にサインする。
そこには、
『貴方の気持ちを届けるお手伝いをさせていただきます』
という文言とともに、贈与ギルド公認、贈与士ミア・ストゥールという名前が書かれていた。
「では、ご依頼承らせていただきます、カーク子爵。貴方が贈りたい気持ちとお相手様について教えてください」
にっこりと、ミアが店内に差し込む日差しのような穏やかな笑みを浮かべる。
そのブラウスの胸元にはリボンを象った贈与士を示すピンズが飾られていた。
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