偽汽車

安良巻祐介

 偽汽車という明治の頃の話がある。汽車を走らせていると、真正面から全く同じ汽車が迫ってきて、慌てて急停止をかけて見てみれば何もいない。そんなことが何度も何度も起きる。あまり腹が立つので、ある時機関士が半ば自棄になって止まらずにそのまま突っ込んでいくと、物凄い叫び声と共に、偽の汽車がかき消える。そして、汽車の通り過ぎた線路の脇には、一匹の古狸の巨体が、血にまみれて転がっていた…。大体の場合、この後に、ここらの狸は汽車の線路開発によって住処を追われていて云々の解説が入り、自然による文明への復讐譚というような落し処となるのだが、それ自体はこの場合にはさほど重要ではない。そもそも、この昔話の中で新しいもの、文明の象徴となっている汽車も、今ではすっかり前時代の遺物扱いだ。下手をすれば今は汽車こそが何か別のものに化けて、己の居場所を失わせた新たな何かに復讐を試みかねない……などという話もこれまたどうでもよい。大事なのは、何か全く別の者が、自分と全く同じ姿となって、向こうからやってくる、というそのイメージだ。己の内側から現れる忌避すべきあの影、俗にいうドッペルゲンガーと違い、それは完全に外部からの来訪者であり、何かしらの正体を持っている。それは狸かもしれない。汽車かもしれない。もっと別の何かかもしれない。いずれにせよ、自分以外の何者かだ。それが、何かしらの目的をもって、己に化けて近づいてくる。けれど自分にはそれが何なのかが分からない。目の前にいるのは間違いなく自分の姿なのにも関わらず。自分と相手とは、目の前の面を境にして鏡写しとなる。そして距離が縮まり、いずれ「衝突」する! それは理不尽の具現であり、忌まわしい虚像である。紀之國坂に現れたという顔のない男、「むじな」の名を与えられた誰かの、意図のわからない出現もこの虚像と通ずる恐怖を持っているが、一定の世界観と奥行きを持つ「むじな」と違い、この衝突には逃げ場の一つもない。逃げ行く先で更なる恐怖に逢う、その段階すらもない。相手はただ来る。己は向かう。痺れを切らして直進した明治の汽車のように、敷かれた線路の上で、もう一つの己に突っ込んでゆく。そういう忌まわしい出来事が、今この世界の、どこかの町の、どこかの場所で、誰かを脅かしている。道を歩いていると、向こうから人が来る。辺りには霧がかかっていて、やってくる相手の顔や服装はよくわからない。けれどやがて近づいてくるにつれて、それが紛れもない自分だとわかる。霧に霞んだ輪郭がゆらゆら揺れて、その中に浮かぶ自分の、その表情が自分に近づいて来る。笑っている、目と鼻と耳と口とがばらばらに置かれているような顔なのに、間違いなく自分だとわかる顔が。そしてあなたは、或いは私は、あるいは他のだれかは、それと「衝突」する。そして――轢かれ終わり、虚像の正体として路傍に転がるのは、果たして本当に相手の方であろうか?

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偽汽車 安良巻祐介 @aramaki88

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