第105話 記憶の彼方

 ウィルナーの復旧からさらに時を重ね。

 座標こそ大きく異なるが、景色は似通ったどこか。焼却されたこの世界だ、どんな場所であれ様子が近しいのはむしろ自然な様であった。

 ジーヌは目を閉ざし、身体を丸め、眠りについている。

 少女の身体は異常なほどに熱をもっている。神の打倒を希望したジーヌは、ウィルナーの研究成果を服薬した。竜の少女ジーヌに帝竜メリュジーヌの力を取り戻させる――竜の少女から人間としての性質を失わせる薬。

 効果は適切に作用し、ジーヌは苛烈な連撃で神を一時撤退に追いやった。

 そこまでは良い。残る問題は、人間性の焼失という薬効だ。竜の少女ジーヌは、とある少女が帝竜メリュジーヌの記憶を持ち、その姿を模倣したことで成立した。ジーヌが今のジーヌらしさを維持する為には、人間としての性質は必須の要素である。

 人間性がすべて焼き尽くされた段階で、今のジーヌはいなくなる。ウィルナーが好きと言ってくれたこのジーヌは、消えてなくなる。

 故に。

 雪原地帯の爆発に飲まれ、吹き飛ばされ、ひと月以上が経過した今でも少女は目覚めない。自らを焼く熱に苦しみ、より熱い心と感情でそれを打ち消そうと無意識のうちにもがいている。

 いまだジーヌは、抵抗の最中にいた。




「――――」


 だから、というわけではないが。すぐに夢と気付いた。

 自分のいる場所が現実でないと一目で判明した。


「……ようやく見えたか」


 いつの間にか、少女は暗闇で立ち尽くし。

 目前には帝竜メリュジーヌがいる。

 現実にはメリュジーヌは死んでいる。生きているのは少女と、彼女に引き継がれた記憶であって、竜そのものではない。おかしな幻だ、と自身を振り返れば、少女の手は炎に包まれ今にも焼け崩れそうになっていた。そこで理解した。ジーヌが消えることで、代わるように少女が秘めていた竜性、メリュジーヌの性質が表面化しかけているのだと。


「ジーヌ。竜ではないオレ」


 メリュジーヌの幻影は燃える少女に呼びかけた。

 声を返そうとするも、言葉は出なかった。喉が機能していないのは、ここが現実でない故か。あるいはとうに終わりかけ、焼けてなくしてしまっているからか。


「なぜ抵抗している?」


 竜は問う。


「お前が消えても、意識や性格が少し変わるだけ。実害は皆無だ。人間に寄ったジーヌが、竜らしい性質を取り戻すのみで、戦力的な損失はない。耐え忍ぶ苦痛もなくなる。お前の行動は神との決戦において無意味な努力に過ぎない」


 問いかけは無慈悲な宣告にも感じられた。

 意味がないのだから抵抗を止めろ。身体を明け渡せ。それがお前にとって最も楽な道なのだと幻影は語る。

 事実だろう。紛れもない真実だ。

 メリュジーヌの主張が事実と知っていながら、少女は抵抗を止めない。薬効に、自身という人間性の焼失に抗っている。


「……そうだ。お前は事実を事実と分かっていながら、抗うことを止めようとしない。故に問うている。何故だ、と」


 繰り返された質問に言葉なく応じる。

 だって少女は恋を定義できていない。

 研究者の好意に、恋に、応えることができていない。

 ウィルナーはジーヌに恋をしている。彼なりの恋の定義に従って、ジーヌを残すために全力を費やすだろう。自分の記憶に留め、世界に痕跡として残す。その存在を風化させないよう尽力する。

 それほどの想いを受けて、少女は彼に応えられていない。

 ウィルナーのことが好きだ。とても、とても、好きだ。ウィルナーの為に何かをしたいという気持ちは揺るがない。けれど少女は、ウィルナーに恋することができていない。恋とは何をすることなのかを定めていないのだ。

 諦めていいはずがない。

 戦力的には無意味?

 それがどうした。竜の少女にとってこの抵抗は価値あるものだ。

 恋を定義して、彼に伝えて。ウィルナーに恋をするまでジーヌは消えてなどいられないのだから。


「そうか。……そうかァ」


 竜の気配が和らいだ。

 少女の決意を聞き、満足いったとばかりに啼いた。


「帝竜メリュジーヌには機会がなかった。最後の最後に至るまで自分が恋をしているなんて考えもしなかったんだ、オレにとって恋とは分からないものだった。死ぬ間際にやっと、おそらく自分は恋をしていたのだろう、なんて曖昧なことを思ったくらいだからな。状態としちゃ今のお前と似たようなものさ」


 少女の身を焼いていたはずの炎はいつしか消えていた。

 どころか逆に、強大な敵対者として君臨していたメリュジーヌの方こそが光と消えかけているような。端から溶けるメリュジーヌの身体は、徐々にジーヌの身体へと吸い込まれていく。溶けて、混ざって、一つになる。


「なら、お前が残るべきだ。竜性が表に浮かび上がったって、過去の続きができるわけじゃない。帝竜メリュジーヌはもう死んだ。けれどジーヌは生きている。きっとウィルナーも生きている。お前はまだ恋を叶えられるんだ」


 その言葉を境に、メリュジーヌの幻影は弾けて消えた。

 散り散りに広がった光が暗闇を照らし、視界が晴れていく。澱のような暗闇から意識が急浮上する。

 そうしてジーヌは長い眠りから目覚める。




「…………」


 身体を起こそうとする、が、思うように動かない。でも構わない。遠くからは耳馴染む男の声が届いていた。

 狙いすましたかのようなタイミングだ、と少女は一人笑う。

 当たり前のように少女は一人だった。

 当然そこには帝竜メリュジーヌなんていやしない。有り得ない掛け合いは少女の頭が捏造した幻の一幕だ。すべて見知った情報で、脳が整理を進めるために作り出した幻覚だ。ジーヌの抵抗が上手く作用し、自我を保てただけのこと。


「……それでも」


 記憶の彼方。

 かつて自分だったものの後押しを、心のどこかに感じている。

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