第106話 在りし日の誓い

「食事の用意ができたぞ。動けるか?」

「いや、まだ本調子じゃない。あーんってしてくれ」


 指示に従い、寝転がった少女の口元に串焼きの加工肉を運ぶ。漬け込んで保存食にしていた物だ。

 生物、植物の一切が焼け死んでいる土地では狩猟もままならないが、サイカはもちろんそのあたりも抜かりなく準備していた。ぼたんとジーヌのために用意された保存食。味も質も落とさない技術は流石の一言である。感謝は尽きることがない。


「あーん」

「ちょっと待て。熱いだろ、ほら、なァ」


 ジーヌが「分かれ」とばかりにそんなことを言う。焼きたての肉からは湯気が上がり、熱された肉汁が滴っている。確かにとても熱そうだった。冷ましてあげた方がいいかもしれない。

 串を手で扇いでみるが不満げだ。納得の表情ではある、風力が足りずこれっぽっちも肉の温度が下がっていなかった。だからと串を振り回してはせっかくの肉汁が飛んでいってしまう。仕方なし、と自分の口元に串を寄せて、思い切り息を吹きかけた。


「ふーふー……」

「よし! いいぞ」

「では改めて。あーん」


 少女は肉にかぶりつく。

 ジーヌとウィルナーたちが合流してから数日。看病は続いていた。

 ひと月以上の消耗でひどく憔悴してはいたものの、ジーヌはいたって健康体であった。竜の強靭さを引き継いでいる所以か。体力さえ回復すればすぐにでも活動を再開できるだろう。


「美味い!」

「良かったな」


 頬に肉を詰め込んだ少女が笑う。頭を撫でてやると、にへら、なんて効果音が聞こえてきそうなくらいに顔が緩んだ。猛烈に可愛い。この笑顔を見てジーヌを好きにならない人間がはたして存在するのだろうか?

 ……ではなく。

 ウィルナーは看病を続けながら、改めて現状を整理する。

 状況は悪くないどころか、良いと言ってもいい。ウィルナーとジーヌは五体満足の姿で合流できた。その後、ウィルナーはジーヌを診断し、竜の少女がどういう状態にあるのかを把握し、驚愕した。

 意識、人格、思考はそのままに、火力や肉体の耐久性、適応力が向上している。

 ジーヌは薬効を克服していた。

 焼き消したのではない、のだ。

 少女ジーヌを帝竜メリュジーヌに戻す薬とは『人間性を消去する』薬である。竜としての形質と竜以外の形質が体内に独立して在り、主権を奪い合っていることを設計の前提思想としている。だから、もしもその形質同士が溶け合い、完全に一体のものとなったとしたら。人間性が消去されて竜らしさが表面化したのにヒトらしさが保持されている、という今のジーヌの状態が発生しうるのかもしれなかった。今後のテーマになり得るかもしれない未知の処理が起きたのだ、と一先ずはしておいて。

 つまるところ、それは朗報だった。

 薬品の効果を十全に受け取ったジーヌは

 神の復旧具合は予測できないが、それを差し引いても余りある好転。薬効の効き始め時点で、ジーヌは神を圧倒していたのだ。あのときよりジーヌが強いというのなら、勝利の可能性は充分に高いはず。

 ただ、不安がないわけじゃない。

 神を名乗るような相手だ。向こうだって戦力の向上を図るに違いない。それでもジーヌが上回ると期待するのは簡単だが、思考放棄をウィルナーは許さない。より勝率を高めるために、あるいは、万が一に備えて次策を練っておくべきだ。


「おいウィルナー。次」

「はいはい」


 急かされて次の串を近づける。


「ふー、は?」

「ぼたん、頼む」

「マカサレタ、ゼ」


 不意に出現した猪が、ジーヌの目前で串に鼻息を当てる。巧みな呼吸術で肉はちょうどいい温度に落ち着いた。


「クエ」

「…………」


 ジーヌは無言でぼたんを殴りつけた。


「イタイ」

「うるせえ」


 策を練る。これまでずっと戦闘で役立たずだったウィルナーだ、今さら戦いの最中に役目を見出すのは正直言って難しい。思考回路が傷つき、新しく研究成果を挙げるような発想力も失われた。新しい考え方、閃きに依存したアイディア、はどれだけ時間を掛けても思いつかないだろう。

 思考から発想力が失われたと知り、ウィルナーが危惧していたのはここだ。

 戦いに備えた新たな研究成果が得られない。

 つまり、これまで培ってきた研究を土台とするしかない。

 研究は多数ある。

 たとえば、ジーヌの血液からメリュジーヌの成分を抽出し、別の動物にその性質を付与する技術。

 たとえば、メリュジーヌの細胞特性である熱の発散を流用した耐火溶液。また、同特性を利用したシーディング物質の生成。

 たとえば、もう一つの細胞特性である発火を使った爆発兵器。

 たとえば、網膜への映像投影で周囲に幻覚を見せる手法。

 たとえば、大量のデータを安定的に通信させる特殊な変調方式。

 そして、任意の生物特性を焼却する技術。

 ウィルナーの研究だけではない。サイカの研究も、資料と共に成果は手元にある。

 たとえば、詳細な人体分析による機械での肉体代替技術。

 たとえば、物体を介在する音波伝達。

 たとえば、対象範囲を設定した物体転送。

 あとはまあ恋愛感情を高める薬。要するに媚薬。

 そういった研究成果を繋ぎ合わせることで、何らかの策を構築しなければいけない。素直で順当な結論しか浮かばなくなったウィルナーは、はたして、そんな都合のいい案が思いつくのかと不安になっていたのであった。

 勝率が高く思いながらも、彼らはこれから相手取るものの戦力の底を知らない。知ることができない。備えは万全にしておかなければ絶対に後悔する、けれど、万全と言えるだけの備えができる自信がない。

 …………。

 ……だとしても。

 少女を見る。ジーヌは肉で頬をいっぱいにしていた。


「……うん? なんだウィルナー、今五本目だぞ」


「何でもない」とウィルナーは不安を隠して笑いかける。

 何故って、遠い昔に約束をした。

 劇的な場面の脇で、文脈を読み違えただけのような。きっと相手はそんなつもりのない、会話の流れで出たような一言だったのだろうけれど。それでもウィルナーは覚えている。

 約束したのだ。

 メリュジーヌから、お前がどうにかしろ、と託されたのだ。


「たっぷり食べてくれ」

「今日のウィルナーは優しいな。いつもそんな感じで飯をたっぷりよこすといい」

「フトルゾ……グェ!」

「お前本当に反省しねえよなァ」

「ヤメテ……ハナシテ……」


 守らなければ。

 残さなければ。

 ウィルナーはジーヌに恋をしているのだから。

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