human not god

第80話 巫女の憂鬱

 この物語には絶対の厄災が存在する。

 竜。

 恐怖の具現であり、人類の脅威となる生命体。天災あるいは神と同一視される残虐の化現、質量ある絶望、生きるには討ち果たさなければいけない敵対者。

 また同様に、この物語では竜と相対する人間たちが描かれる。数多の人間たちがいる。

 狂人。天才。英雄。愚者。

 狂人――研究狂いの探究者、機械人間ウィルナー。

 天才――暗黒街の支配者、万能の才女サイカ。


 そして英雄。それから愚者。

 ここから綴られるのは、かつて英雄と呼ばれかけた人間について。

 そして、神を名乗る愚か者についての物語だ。



 ×××



「ソラさんや、飯はまだかいのぅ」

「もう! おじいちゃんったら、さっき食べたでしょ」

「食っとらんわ! ボケ老人扱いをするな! ワシはボケとらん!」


 やいのやいの言い争う祖父と孫を、大聖堂の女性たちが温かく見守っている。日常に溶け込んだ家族の風景は、もはや聖街スクルヴァンの名物だ。

 白の巫女――ソラ。神からの御言葉を授かり、民衆に伝えるただ一人のヒト。普段は穏やかで、誰に対しても優しく接する彼女であるが、


「ボケてる人は皆そう言うんだから!」


 唯一声を張り上げるのが、彼女の祖父であるシドに対した場合だ。

 今日も騒がしい二人のやり取りに苦笑しながらも、スクルヴァン住人たちの意見は合致している。

 老人シドは厄介者だ。優秀な孫の手を焼かせる、迷惑な老人である。大人たちには信用されず、家で飲んだくれているかと思えば急に街中に出現。子供に嘘を話して回る妖怪。神出鬼没、迷惑千万、白の巫女様の寛大さによって生かされている老害。

 住人たちにとって、シドとはそういう存在であった。

 かつては大聖堂、聖教会本部に勤めていたこともあると吹聴しているが、そんな記録は教会のどこにも残っていない。嘘つきのオオカミ老人が信用されるはずもなく、真偽を問うても不気味に笑うだけ。関わるだけ損だ、といつか空気のような扱いをされるようになっていた。

 けれど、ソラだけは違っている。

「ソラ様はお優しい」と住人たちは必ず評する。あんな鼻つまみ者に真っ正面から向き合って、面倒を見てあげている。白い心。純粋にして美しい、穢れなき心の持ち主。あの優しさ、心の綺麗さこそが白の巫女である所以だと、人々は口にする。

 場合によってはシドを排除すべしともなり得る光景が名物だと見守られる光景になっているのは、ひとえにソラのおかげであった。


「……ボケてないとしても、ね。あんまり歩き回るのやめてほしいな。目、見えてないんだから、転んだら怪我しちゃうでしょう」

「転ばんもん」

「おじいちゃん!」


 言うことをまるで聞こうとしない祖父に、ため息。


「とりあえず部屋に戻ってて。神託の儀があるから」

「ほほぅ。神託! なぁソラちゃん、ワシも参加したいなぁ、ひぇへへ」

「駄目です」


 衛兵を呼び、シドを預ける。「つれない孫じゃ」とぶつくさ文句を漏らしながら老人は引きずられていった。姿が見えなくなってから、今度はより深くため息を吐いた。額に手を当て、天を仰ぐ。


「お父さん……お母さん……。ソラはおじいちゃんの扱いに苦労しています……。どうすればいいのでしょうか……」


 父も母も神でなし、二人が答えをくれるはずはなく。当然のように神託もない。

 神様だって個人的な事情に首は突っ込んでこないだろうし、というか首を突っ込んでこられても困ってしまう。シドおじいちゃんの扱い方は、孫のソラが悪戦苦闘するしかないのだ。


「はあ。昔はああじゃなかったのに……」


 ボケが始まったのはいつからだったか。老化が進むにつれて徐々に、というよりは、いつからか急にボケが始まったような気がした。

 しかし具体的なタイミングは思い出せない。思い過ごしなのかもしれない。


「ま、考えても仕方ない」


 頭を左右に振り、思考を切り替える。

 神の御言葉を授かる任。信託は、今この時代においてはソラだけが可能な役割だ。

 代わりはいない。白の巫女――神託を授かる人間は聖なる街に一人だけ。先代の白の巫女が死んだ場合のみ、スクルヴァンに住む誰かが神からのお告げを受けて役割を引き継ぐのだ。

 故に、ソラは唯一にして頂点。

 神に次ぐ位置、最も天に近い場所にいる巫女だった。


「今日もまた……祈りを捧げましょう」


 目を閉じ、胸の前で手を合わせる。






 ――此処は東、永遠と見紛う荒野を抜けた先。

 最果ての僻地にその街は存在する。

 神聖なる守護の街。人類を守り、生かす、最も強靭にして最も強固な盾。聖教会が世を導くために建造された宗教拠点にして、世界最大となった街。神と祈りを広め、信徒が集った聖街。

 竜を討伐した勇者を崇拝する街。

 されど。

 概念でしかないはずの神は街に実在する。神の言葉で万事は管理され、生かされている。街の地下には討伐され、滅したはずの数多の竜の亡骸が眠っている。


 闇を内に孕み、光で覆い隠している。

 疑念だらけの街――スクルヴァン。

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