第81話 不羈奔放の祖父

 儀式の間から出た白の巫女を、大聖堂の人々が出迎える。

 誰しもが待っている。神の言葉を。


「如何でしたか。ソラ様」

「神は仰いました――氷の竜が来る、と」


 ソラの言葉を聞いた巫女たちは狼狽した。「竜……!」「王を討ったはずの竜が、また……?」「凍れる竜なんて!」ざわめきは波打つように広がっていく。

 神の言葉は真実である。それが聖街スクルヴァンの常識であり、聖教会が広めた宗教の真理だ。和平が告げられれば生活に何の障害も不安もなく、騒乱が告げられれば混沌が待ち受ける。ゆえに神託として竜が来たると御告げがあれば、間違いなく襲い来るのだ。

 炎を司る帝竜に匹敵する怪異。

 氷を繰る竜が、街を襲う。

 ソラは続けた。


「心配は不要です」


 言い切った彼女に、ざわめき立っていた巫女たちは徐々に静まる。


「かつて私たちは帝竜メリュジーヌと戦い、人間の総力にて討伐を果たしました。戦が歴史となった今でもその疲弊は癒されてはいません。勇者なりし強者の兆しもない。しかし、心配は要りません。不安は必要ないのです」


 巫女たちはソラの一言一言に聞き入る。脅威に対抗する術を持たぬ民衆が、では、どうして安心せよというのか。理由を、説明を、一心に求めている。

 巫女たちの視線を受けて、ソラは神の言葉を代弁した。


「竜が襲来したその時は――神が自ら、私たちを御守りになると」




 竜が来る。

 ソラ、もとい神の言葉はすぐさまスクルヴァン内の各教会に伝えられた。

 竜の脅威を知る人間たちは一時こそ恐怖に震えたが、神がその御力をもって聖街を守ると合わせて聞くと、すぐさま感情を信仰で上塗りした。神が付いている、神がいる、神に縋る。生活や精神の不安要素を神に召し上げることで安定を図る。本人たちの意思はともかくスクルヴァンとはそういった機能で回る街だ。

 何が起きても神を都合にすることで平時の様子を保つ。

 事実、凍れる竜が来ると聞いても街を離れようとする者は皆無であった。神が出ると聞いた時点で、スクルヴァン住人たちの中では竜の撃退が確約されたからだ。


「何を言っとるか! そもそも前提が違うわい!」


 ひゃっひゃ、と気色の悪い笑い声をあげて老人が言った。


「街の庇護下でのうのう生きとるような連中がどこへ逃げるんじゃ。街を離れようとしないのではない、街から離れられないのじゃよ。いくら文句を垂れてものぅ」

「またそんなこと言って……」


 祖父の言葉に嘆息する。

 ソラは勇者の石碑にいた。

 大聖堂での任を片付けた後で、彼女は祖父であるシドの部屋を訪れた。シドは街の中でおそらく唯一、まったく教会や礼拝堂に足を運ばない。普段なら食事等で会ったときに伝えるのだが、竜が来るという大きめの話なら伝えておいた方がいいだろうと判断したのだ。

 部屋に祖父の姿はなかった。

 シドはしょっちゅう部屋を抜け出す。扉の前に見張りを置いても、目を離さないよう命じても、いつの間にか煙のように消えてしまう。部屋の中にいくつか隠し通路を発見したが、それらを塞いだり部屋の場所そのものを変えたりしても効果がない。街のどんな場所からでもシドはいなくなってしまう。

 部屋に姿が見当たらなかった時点で、基本的にソラは祖父を探すことを止める。心配しても無意味だと理解してから幾年経ったことか。シドは各地で目撃談を立てつつ、最終的には平気な顔で自室に戻ってくる。前回――少女ジーヌを連れ出したときが例外だ。普段は捜索しなくとも問題ない。

 その日の伝達は諦め、翌日。

 月に一度の外出日。ソラは街の東西南北に分かれた教会のいずれかを訪れ、祈りを捧げる。教会は建物それ自体が厚い信仰の現れではあるが、神にほど近い白の巫女が定期的に訪れることで人々の信仰心をより強固にする意味を持つ。

 そして教会での祈りの後、ソラは勇者の石碑に立ち寄る。石碑の整備、これもまた白の巫女が担う役割である。竜を討伐した勇者たちへの敬意を絶やさぬよう、実質的なトップが石碑管理の任を負っている。

 汚れを拭きとるべく石碑に近づく。


「ひひ、遅かったのぅ」

「お、おじいちゃん!」


 石碑の裏からにゅっと顔を出した人物に驚愕する。昨日から行方知れずの祖父、シドだった。

 そうして二人は合流し、現在に至る。


「……ところで。ここで何してたの?」

「石碑を見ておっただけじゃ。わしはここが好きじゃからな、たまに見に来とるんよ。知らなかったか?」

「知らなかった。意外だもの」

「ひょほ! 正直で結構!」


 まるで気にした様子もなく、老人はけらけら笑っている。

「意外だ」というのは、石碑が好きだという主張に対してというよりもに対しての言葉だった。ソラの印象ではあるが、シドはスクルヴァンという街のすべてを毛嫌いしているように感じていた。街の中に好きな物があり、しかもそれがスクルヴァンを代表する石碑だというのだから相当に驚きだ。


「やっぱり、おじいちゃんも勇者様のことは尊敬しているの?」

「うん? ……ああ違う、そいつは違うぞ。こっちはとは思うがな。別にもう死んだ連中に敬意も何もないじゃろ」

「面白いってどういうことなのよ」


 無礼にも程がある老人だった。


「わしの好きな石碑は勇者の名が記されたこいつじゃない。奥にある新しい方よ」


 シドは勇者の石碑から続く小道を指差した。

 帝竜メリュジーヌ討伐の折に作られた最も新しい石碑。人間という生物種の総力を費やして討伐に当たったことから、個人の名ではなく人間humansという種としての名称が刻まれた物だ。


「へえ……どうして?」

「傲慢さが滲み出しとるからな」

「…………」


 このおじいちゃんは、またそういうことを言う……。どうやら、好きという話も結局嫌味でしかないようだ。


「事に当たったのはこの街の住人だけだというに、それを指して人間と云う。まるでスクルヴァンで暮らしていなければ人間でないとばかりの表現。傲慢さ以外の何だと言うんじゃ」

「おじいちゃん……」

「どうせ神の指示なんじゃろうが、まったくもって下らんよ」

「おじいちゃん」


 呆れるばかりだったソラの声色に、怒りの色が滲んだ。


「神様を悪く言うことは、親族といえど看過できません。白の巫女として」

「白の巫女として――かい」

「そう」


 シドの問いに肯定を返す。

 ソラは歴代の巫女、その誰よりも自らの役割に真摯である。神に仕えることを喜び、誰よりも神を信じ、神の御言葉に忠実である。

 通常、大聖堂の重鎮から選ばれていた白の巫女。だがソラは、何でもないただの子供だった。

 ただただ不幸な少女。生まれてすぐに父と母を失った。記憶には残っていないが、事故だったと聞いている。残る親族の祖父は十年以上行方知れずとなっており、子供は教会に引き取られた。聖教会の教えを受け、真面目に、素直に、健康に育った子供はある日お告げを聞いた。「白の巫女になれ」という言葉だった。

 本来ならば自分が選ばれるはずもない、白の巫女。少女は神に仕えるにあたって誰よりも役目に実直であろうと決めた。若輩の自分を選んだことが、正しいと証明するために。

 神の為に。


「……そりゃあ、悪かったのぅ」


 シドは孫の視線を真っ向から受け止め、へらへらと笑いながら言った。


「お前は本当に真面目じゃな。真面目一辺倒。わしにはとても真似できんわ」

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