第77話 検証の末に得た答え

 研究者が入力した状況は幾つかある。そのうち一つは、氷刃竜ユランに襲われたときのシチュエーションを再現したものだ。

 当時、彼らは北方氷原地帯へと踏み込んだ。雪原の中で氷刃竜配下の竜と激突し、その後ユランに追われることとなった。絶体絶命のウィルナーはジーヌと一つの約束を交わした。この場で肉体を砕かれようとも、必ずジーヌのもとに帰ってくる。誓う代わり、少女に願った――戦いを避けて生き延びろ、と。

 現実にジーヌが返したのは「分かった。約束する」という言葉だった。

 だが。

「そいつは約束できないな」

 メリュジーヌの複製意識を用いた模擬実験では、ジーヌは異なる言葉を返していた。「ウィルナー。以前にも言ったな。。竜という種族は争いから逃れられない……逃れようとも思わない」

 竜とは戦うものだ。内に破壊衝動を秘め、すべてを滅すべきと本能的に理解している。だからこそ、その身は常に争いの渦中にある。

 たとえ十割の死がその後に待ち受けていようとも。

 ウィルナーからの願いであろうとも。

 目前の戦闘に背を向けない。

 メリュジーヌたる少女はウィルナーの制止を振り払い、正面から戦いに挑んだ。燃える血を使い、全力を賭した戦いの末に敗北した。少女の姿をしたメリュジーヌは氷刃竜ユランに捕縛された。敗者が勝者に抗う道理はなく、少女はユランに従うこととなった。ウィルナーは少女メリュジーヌを永遠に失った。


「…………」


 ジーヌが顔をしかめる。

 見たくもない結末だ。考えたくもない終焉だ。

 気分を悪くしながらも、続けて他の場面を閲覧する。聖街スクルヴァンに初めて来訪したときの記録も生成されている。

 街に入ってすぐ、竜の少女は部屋に拘束された。鍵や部屋を破壊して脱出することは容易だったが、ジーヌはそうしなかった。ウィルナーのことを慮っての行動だった。その後ジーヌは謎の老人シドに手引きされて部屋を脱出することとなった。しかし、模擬実験中の少女はそんな配慮をしない。気に入らなければ遠慮なく部屋を焼き、炎を放つ。「悪いのはオレに我慢を強いたお前らだ」と言わんばかりに血と炎を振り撒いた。

 氷原地帯のような命の危機こそなくとも、出会いの機会は失せていた。その日、スクルヴァンで老人シドや巫女ソラと交流を深めることはなくなり、ウィルナーは新たに竜の情報を得るきっかけを喪失した。研究の完成はいまだ遠かっただろう。

 他にもいくつかシミュレーションの結果を見るが、いずれも現実とは異なる結果が出力されていた。ジーヌとは異なる少女の行動。今まで辿ってきた道程自体が大きく変わってしまうほどの差異。


「設定値に間違いはないか?」

「値に絶対はないからね、別の値で検証してみてもいいだろう。ただ、多少のズレが生じる程度で大幅に結果が変わることはないとは思うが」

「……なら試したいな」

「ああ、構わない」


 検証は連日続けられた。パラメータを変え、仮想の箱庭で実験を繰り返す。

 二度、三度、パラメータを変えても仮想と現実の差異は埋まらない。実験を重ねるほどに逃げ場が失われていく感覚を竜の少女は味わっていた。


「まァ……」


 だろうな。

 何度目かも分からない計算を行う機器の前で、少女は独り言ちた。

 別の場合が見たいと言いながら、しかしジーヌの理性はとうに結論付けている。結局はウィルナーの言う通り、結果が大幅に変わることはないのだろうと。

 帝竜メリュジーヌが真にそのまま少女へと引き継がれていたら、また別の未来が生まれていた――ほとんど確定と呼んでいい事項を前に、ウィルナーが出す答えは一つ。今までの道程を歩むことができたのは『少女が帝竜を演じている』故。今のジーヌとは少女の意識であり、彼が愛しているのもまた帝竜ならぬ少女である。

 分かっている。

 分かっているのだ。

 この検証は、もはや自分を納得させる意味しかないのだと。

 改めて出力された結果を見る。相変わらず表示されるのは悲運の終幕だった。


「どうした、ため息を吐いて」


 ウィルナーが戻ってきた。一人にさせてくれ、というジーヌの言葉に従い外へ出かけていたのだ。「何でもねえ」と適当な返事をして振り返ると、ぐったりした様子の小動物を大量に抱えていた。


「むしろお前がどうしたんだよ」

「実はくしゃみ以外にも追加した機能があってね。狩りに使ってみたんだ」

「ふゥん」


 僅かに肉の焦げたような臭いがする。内部電流の出力でもできるようにしたのだろうか。今はどうでもいいが。

 狩ってきたという獣を置いて、ウィルナーがモニターを確認する。


「出力は終わったか。どうする?」

「……いや。もういいわ」

「そうか」


 ジーヌの言葉に、ウィルナーは簡素な言葉を返した。


「あのさァ、ウィルナー」

「なんだジーヌ」

「オレは賢いから、お前の答えももちろん分かってんだけどよ」

「だろうな」

「でも、こう、区切りとしてさ。やっぱりお前から聞きたいんだよな」

「……ああ」

「聞かせてくれよ。……今、お前が愛しているのは、誰だ?」


 問いかけた少女の目を、研究者が真っ直ぐに見つめた。


「私は、今を共に迎えた君が好きだ。すなわち、あの時生まれた君の心……私とメリュジーヌの間に誕生した少女であり、これまでの私たちの道行きを形作った君が、私の愛するジーヌだ」


 ウィルナーは断言した。

 メリュジーヌとの過去ではなく、メリュジーヌの面影でもなく。帝竜の記憶を引き継ぎながら、自身を否定しメリュジーヌを演じ続けてきた竜の少女をこそ愛しているのだと。ウィルナーは自分の感情を決定した。

 ジーヌが有り得ないと。

 あってはいけないと主張した結論を、選択した。


「…………、そうか。……そうだよなァ」


 覆すことはできない。覆すに足る根拠をジーヌは持たない。分かっていた答えを改めて示されただけだ。だから、後は――自分自身がどう応えるかを決めるだけ。

 竜の少女が背を向ける。


「どこに行くんだ?」

「……散歩だ。ついてくるなよ」


 問いかけに、短い拒絶。

 それから一週間ジーヌは戻ってこなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る