第76話 判断の指標
「休憩を休憩したい」
「お前は何を言っているんだ?」
ウィルナーの提案に呆れ顔を返す。
「答えを出すために実験させてほしい。という頼みだ」
一週間ほどの観察期間の後、ウィルナーは判断した。
少女の暴力性は間違いなくメリュジーヌ由来だ。鱗や角、尾といった部位も同様。炎を操る性質も、当然メリュジーヌそのものである。
逆に、少女の性格や思考はメリュジーヌの頃からかなり変化した。暗黒街トラウィスでの反応が分かりやすい。ウィルナーに限らず、人間全般に対しての態度が非常に軟化している。竜時代のままであれば、子供たちと遊んだり街での交流が億劫で憂鬱になったりはしないだろう。面倒になった段階ですべて焼き払っている。
誰が好きなのか、という問いに答えを出すならば。
ウィルナーは今のジーヌが好きだ。
ジーヌの容姿も確かに好きだが、ジーヌの性格、思考、それに基づいた行動が好きだ。
問題は、この変化が『メリュジーヌが人の形態を取ったからこそ』の変化なのか、あるいは『ジーヌがメリュジーヌを演じている故に発生した』変化なのか、現時点では判断が付かないことだった。こればかりはいくら考えたところで、思考だけで結論付けられるものではない。
なので、実証実験を行うことにした。
「つっても研究資材は置いてきたんだろ?」
「こんなこともあろうかと、転送装置をサイカから預かってきた」
「病的なまでの研究意欲だな……。まァいいさ。実験が必要だって言うんなら、やればいい」
ジーヌの許可が下りるや否や、ウィルナーは手元の機械を起動させた。装置は使用者の居場所を通知し、転送処理を開始する。数秒もかからず、二人の目の前に研究道具が出現した。
過去には焔の男の死をトリガーとした遠方への転送技術。改良を重ね、現在ではごく小さな端末での運用に成功している。ちなみに転送位置の通知に焔の男の肉体を使う必要もなくなったのだが、サイカは趣味で材料にしているようだった。
「さて、実験だが……」
「どうすんだ?」
「複製意識を用いてシミュレーションを行う」
ウィルナーが説明する。
以前作った複製意識はメリュジーヌの行動のみに基づいて設計されている。少女の意思は影響していない。すなわち、複製意識を使ったシミュレーションならば、任意のシチュエーションにおいて『メリュジーヌが人の形態を取った場合の応答』が正しく得られるはずだ。その応答内容が今のジーヌの行動と一致するかで、今のジーヌがどちら寄りなのかが評価できる。つまり、ウィルナーが愛しているのは誰なのかを判断できる。
「……というわけだ」
「複製意識に問題はねえんだろうな?」
「評価値は充分な値が出ていたと考えている」
ジーヌに応答精度の評価方法を教える。「なるほどなァ」と納得した様子のジーヌを後方に、ウィルナーは計算機上で数値を設定していく。
「ところでウィルナー」
「なんだ、ジーヌ」
「お前、なんで目ェ合わせないんだよ?」
背中に少女の重さを感じる。後ろから抱きつかれたのだ、と理解する。
「…………、何でもないが」
少女の指がウィルナーの頬を刺す。
「んなわけねえだろ」
ジーヌの指摘は真っ当である。当然、何でもないはずがなかった。
ウィルナーは困っていた。
ジーヌの肌が脳に焼き付いて離れないのだ。
本当ならば、急ぎ自分が竜と少女のどちらを愛しているのか決定しなければいけない。愛する者のために何ができるかをひたすら考え、実行しなければいけないというのに。綺麗だったなあ、で思考が止まる。思考整理が半端に止まってしまっているのだ。
ウィルナーが誰を愛しているのか――その問いが思考だけで結論付けられないのは事実であるが、少女の全裸を見てからあまり物を考えられなくなっているのもまた事実だった。少女の美しさを改めて痛感している。
ジーヌの容姿は大変に優れている。大きくも鋭い目、少女らしい潤いと膨らみを湛える頬、整った口元、鼻先。顔だけではない。柔らかながら艶やかな肌は全身に渡り、長さや大きさはすべからく完璧な比率で構成されている。人間の造形としては有り得ないほどに可憐で、美麗で、完全である。
少女を見ると、そんな美しさを思い出してしまう。
どうにも恥ずかしく思ってしまう。
「もしかして、こないだのアレ引きずってんのか?」
「……始めるぞ」
少女の質問には答えず、模擬実験を開始する。
「あ、おい、そんな急に!」と不満をたれるジーヌだったが、やはりシミュレーション結果が気になるようで計算機の画面に集中する。
長い長い時間を掛けて、計算が完了する。
弾き出された結果を見て、
「……なるほど。こうなったか」
「…………、へえ」
二人は同時に言葉を漏らした。
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