第75話 心迷の川岸
ウィルナーが誰を愛しているのかとか。どうやって決定するつもりなのかとか。そういう話は一旦さておくとして、現在ジーヌは非常に辟易としている。
独り言が超うるせえ。
元から実験中にぶつぶつと呟く癖はあった。考え事を整理するには口に出すのが最も効率的だという言論もあることだし、少々の独り言なら目を瞑ってきた。
だが、ここ数日のそれは明らかにジーヌの許容範囲を超過している。寝ても覚めても聴覚に届くノイズじみた低音。ちょうど聞き取れるか聞き取れないかくらいの狙ったかのような声量。何をしていても聞こえるウィルナーの呟きに、絶妙に集中力が削がれる。
音波兵器かあいつは。
まったく聞こえないわけではないから、何をしているかは察しが付く。
ウィルナーはジーヌを観察し、好きだと感じる行動を列挙していた。そしてその行動が、メリュジーヌ由来のものかジーヌ独自のものかを判定しているようだった。まあ、要するに、メリュジーヌとジーヌどちらを愛しているかの判断材料を集めているのだろう。
「でも超うるせえんだよなァ!」
あと、ひたすら観察されてるからいい加減視線も気になるんだよなァ!
「どうしたんだ、急に叫んで」
「お前のせいだよ」
隣に座る研究者を睨みつける。ウィルナーは首を傾げてから、真剣な表情で竿を握り直した。
森の中には川があり、川があれば水生生物もいる。
二人は釣りをしていた。食料は潤沢だが、暇を持て余すのもなんなので狩りに出かけている。とはいえ釣り竿なぞ使っている時点でほとんど遊びのようなものだった。本気で魚を採るつもりならば、川に炎を浴びせて熱で殺すのが手っ取り早い。浮かび上がってきた魚を片っ端から拾えば済む。
半ば時間を過ごすための言い訳なのだ。
やる気は微塵もなく、ぼうと釣り糸を垂らしている。そんな様子では掛かる魚も掛からず、開始から数時間経った今でも釣果はゼロ。
一方でウィルナーはというと、一匹も連れていない状況は同じだが、楽しさは感じているようだった。釣り自体にというよりも、釣れないという結果を踏まえて改善に取り組む過程を楽しんでいるように見える。幾度かの改修を経た彼の釣り竿には謎の部品が付いていた。資材は持ってきていないはずなのだが……そういえばどうやって作ったんだこいつ。
ともかく、根っからの研究者気質であるウィルナーは、工夫して成果を上げることが好きなのだろう。釣りでも変わらず試行錯誤を続けている。
「魚が逃げてしまったか。場所を変えよう」
「……そうだなァ」
同意を返す。元々釣る気はあまりないのだが、獲物がいないポイントで糸を垂らしているのは釣りという体裁さえ保てなくなる。
移動を始めたウィルナーの後を追おうとして、ふとジーヌが立ち止まった。
「ジーヌ、どうした?」
「うん、そうだ。そうしよう」
竜の少女は何か思いついたように手を打ち、
「勝負だ勝負。分かれて釣ろうぜ」
「それにしては熱意の欠けた目をしているが」
「いいんだよ細けェことは。お前は上流、オレは下流の方な」
何か言いたげなウィルナーではあったが、さっさと逆方向に歩き始めたジーヌにそれ以上言葉を掛けることはせず別のポイントへと向かう。一応、互いが見える位置と距離であることを確認して、川の中ほどにある大岩の上に陣取った。
岩の上から改めて釣り糸を垂らす。
距離を置いたことで、しばしウィルナーの独り言から解放されるだろうと考えたのだ。ある程度距離を離せば当然研究者の呟きが聞こえてくることもなく、気楽にぼんやりできる。
「くァあ……」
思わず欠伸が出てしまう。この森には脅威も感じられず、ウィルナーを守る必要もなさそうだった。完全に気が抜けている。
一切思考せず、数分に一度の頻度で釣り竿を上下させて獲物が食いつく奇跡を待ちぼうけている。
「ん? あいつ釣ったか?」
上流の方で、ウィルナーが釣り竿を引いていた。魚が食い付いたらしい。工夫の成果が現れたようで何よりだと思う。
こっちも食い付いてねーかなー、と適当な気持ちで竿を引く、と。
「……引いてる?」
抵抗があった。重いものに引っかかっているような手応えがある。まさか奇跡でも起きたのか、と何度か引いてみる。確かに引っかかりがある。力を入れてみるも、釣り竿は反るばかりで上がってくる様子はない。
大物の気配を感じ取って、少女は立ち上がる。
苔の生えた大岩の上で懸命に踏ん張りを効かせ、竿を握る手に力を入れる。竜の力をもってしても引き上げられないほどの大物が、糸の先にいる――期待は更なる力を呼び、竿のしなりは破損寸前までなった。
そして、
「だらっしゃァーー!!!」
ジーヌは釣り上げた。川底に沈んでいた巨木を。
「樹かァ……」というがっかり感で脱力した足は見事苔で滑り、体勢を崩した少女が川に転落した。遠方から転落の様を見ていたウィルナーは、綺麗すぎるその落ち方にジーヌが曲芸でも身につけたのかと思ったという。
「濡れたぜ……」
「濡れたな……」
川岸まで上がってきたジーヌを、ウィルナーが出迎える。
「風邪を引くようなことはないとは思うが、服は乾かそう。脱いで渡してくれ。無論、私はそちらを見ないようにする」
ウィルナーの脳には過去の記憶が刻まれている。
意図的に女性の裸を見ようとした場合、ウィルナーには絶望が訪れ、肉体は死の淵まで追いやられる。端的に言うとボッコボコにされる。美しい肉体を見た感動と天秤にかけても、さすがに肉体破損は避けたかった。もうウィルナーは、自分から少女の裸体を見ようとはしない。
「いや、その必要はねえな」
だが。
トラウマを植え付けたはずの、ジーヌ本人が。
「ウィルナー。オレを見ろ」
「理由を聞きたい。何故だ?」
「竜は服なんか着ちゃいねえ。本来、オレが服を着ていること自体がおかしいんだ」
「……暴力を振るわないだろうね?」
「振るわねえよ! いいから気にせずこっち向けっての!」
キレかけた少女の声に覚悟を決めたようで、ウィルナーがジーヌの方を振り返る。ジーヌはいつも着ている継ぎ接ぎだらけの服を脱いで、素肌を晒していた。
「…………」
「…………」
無言。で、見つめ合う。
十数秒経ってウィルナーが目を逸らした。
「やはり真っ向から見るものではないな」
「おい、なんだその言いようは」
「綺麗すぎる」
「ッ……」
ジーヌの頬が赤くなった。
「すまない。感情の整理が付かなくなりそうだ。できるなら見ることを強制しないでほしい」
「……分かったよ」
後ろを向いたウィルナーに、濡れた服を手渡した。服を受け取ると、男は川の水を汲んできて手慣れた動きで洗濯を始める。
ジーヌは彼の姿を見守る。
ウィルナーはジーヌの身体に美しさを感じた。メリュジーヌであった頃から同じだろう。けれど、彼は恥ずかしがった。どうすればいいか分からなくなりそうだ、と言った。それはジーヌであるからこそ、人間と近しい容姿となってからの反応だ。
もし本来のままのメリュジーヌが人の姿を取ったら、やはりそう反応するのだろうか。
それとも、メリュジーヌを演じ切れていない自分と接してきたからこそ、抱く感情なのか?
「…………」
竜の少女は男の背中を見つめる。
お前はどちらだと結論付けるのだろう。
オレは……。
「ところで。魚釣り勝負は私の勝ちだな」
「あァ、そういやそうだな。おめでと」
「では勝負に負けた君にはこういう物を用意してある。代わりの服として使うといい」
投げられた服を受け取る。広げる。
リボンがめちゃくちゃ付いた装飾過剰な服だった。お姫様じみたスカートが特徴的だ。
「サイカに教えてもらったのだが、かつて一部でこういった格好が好まれていたようでね。少女の小悪魔的かつ純粋無垢な美しさを表現したものだという」
「……………………。お前、実はこういう趣味なの?」
「場合による」
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