第70話 研究室の談話

 馴染みの研究室を訪れる。依頼に飽きて研究に戻ってきたわけではなく、もちろん依頼の為にやってきた。開いたドアをノックすると、材料棚の陰から焔の男が顔を覗かせた。相も変わらず焦げた肌に白衣を重ねている。


「やあ! ウィルナーさん、評判は聞いている。素晴らしい活躍だな!」

「ここでも活躍できるようだね」

「その通りだ。存分に手伝ってくれ!」


 欲望に素直な男、人々を癒す楽団、老い先短い老婆。その他様々に依頼をこなしたウィルナーたちの次なる依頼は研究室の資料整理である。焔の男が依頼主だ。

 資料整理なぞ、と馬鹿にしてはいけない。作業工程をスムーズに進めるにあたって、必要なものが必要なときにすぐ取り出せる環境は必須と言って良い。多岐にわたるサイカの研究が効率的に管理できているのは、整理を行い情報を取りまとめる助手面々の支えあってこそだ。


「基本的に人手が足りていないからな!」


 うず高く積まれた資料を仕分けながら焔の男がぼやいた。熱を帯びた指で資料に触っているところを見るに、どうやら研究用に使われている紙には難燃性の薬剤を塗布してあるようだ。


「足りない分をどう補填しているんだ?」

「人権を放棄している」

「そうか……」


 嬉々として語ることではない。

 とはいえ、そもそもトラウィスの住人に人らしい生を謳歌する権利など存在しているわけもなく、仮にあっても「肌から炎上げてる奴は人じゃないので権利が適用されない」とか言われてこき使われるのがオチだろう。訊くだけ無駄な問いだったと判断し、ウィルナーは研究資料の分類を始めた。

 なお、ジーヌはいない。細かい作業はウィルナーの仕事だと言いつけ、どこへかと消えていった。当初は手伝ってもらおうとも考えていたが、結局呼び止めるのはやめた。作業途中に苛立って資料を焼かれる可能性を危惧したのだ。適材適所、たとえ資料整理程度だとしても研究周りはウィルナーが担当すべき領域だ。

 焔の男と並んで二人、黙々と整理を行う。

 扉の開閉音と足音、紙が擦れる音がたまに聞こえるくらいで、他に雑音は響かない。適宜休憩を挟みながら、淡々と資料の山を崩していく。


「そういえば。君にひとつ訊きたいことがあったんだ」


 分別の終わった山を並べ変えながら、ウィルナーが言った。


「ほう! 何だろうか?」

「サイカの恐怖統治はいつ終わると思う?」

「……なかなか大胆な質問をぶつけるなあ!」


 研究室の中で、焔の男の笑い声が響いた。


「サイカ様に直接聞いてみても面白いかもしれないぞ!」

「具体的な時期まで教えてくれそうだ」

「さておき……。ウィルナーさんは俺なんかよりずっとサイカ様と長い付き合いのはずだろう。トラウィスがそういう街だと理解していて、どうして今さら心配するようなことを言うんだ?」

「単純に、理解しきれていなかった、ということだね」


 ウィルナーは資料の束を整えながら返事をする。


「サイカと出会ってから今まで、私は彼女の要望に対して一切の不足なく応じ続けている。そして、この街で暮らしている――サイカの庇護下にある以上、すべての住人にとってそれは当たり前のことだと考えていた」


 役割を果たせ。でなければ死ね。

 サイカの言に従うことが、トラウィスという街で生きる最低条件。

 であれば本来、彼女の采配に精神的負荷を感じる余地など、あろうはずがないのだ。


「けれど、実際はそう上手くはいかないらしい。街の住人と接する機会が増えてようやく知った。彼らは私の想像以上に日常的なストレスを抱えている。平気な顔をしている君だって、内心でサイカのことを恨めしく思っているのだろう。だから聞いてみた。いつ終わるのか。どういう機会があったら、恐怖統治を終わらせるべく反逆が起きるのか」

「確認だけさせてくれ。聞いて、知ったとして……ウィルナーさんはどうする?」

「何もしないさ。興味があるだけだ」


「らしいな……」と焔の男が頷いた。


「ウィルナーさんの意見と大差ないだろうが、質問には答えよう!」


 資料を整理する手は止めず、口も同時に動かす。


「トラウィスの体制に終わりが来るとすれば可能性は二つ。一つは権力者であるサイカ様が力を失った場合。具体的には数十年後、サイカ様が自身に機械化手術を施さず肉体が劣化した頃。老化で思考能力が低下すれば恐怖圧力も薄まり、民衆を抑え込むことができなくなるだろう」

「もう一つは?」

「もう一つは前提が崩れた場合。つまり、住人の安全が確保されなくなった場合。具体的な時期の予測は難しいが……もし街が崩壊し、命の保障がない状況下に置かれれば、もはや彼らがサイカ様に従う理由はなくなる。住人たちは屋敷に大挙し、今までの怨を返すべくサイカ様を蹂躙するだろう」

「ふむ。参考になった」

「そうか! なら良かった!」


 会話を終えると、二人は再び資料整理に戻る。

 溜まりに溜まった資料の仕分けを完了した頃には、すっかり日が暮れていた。


「こんなところか」

「助かったよ! 報酬は明日、君たちの住居に届けに行こう」

「ああ。よろしく頼む」

「……しかしウィルナーさん。噂の回り具合から考えると、依頼も数をこなしているだろう。けっこうな額が貯まっているんじゃないか?」


 焔の男の言葉に、ここ数日の行動を思い返す。

 バリエーションに富んだ依頼を忙しなくこなし、報酬を受け取ってはいたものの、まだ合計額は計算していなかった。凝ってもいない肩を回しながら、ウィルナーは脳内で集計を行う。


「……貯まっているな。充分に旅の用意を整えられる額だ」


 家に戻ったら、ジーヌと買い物にでも出掛けよう。ウィルナーは旅の準備をする少女の姿を想像し、口元をほころばせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る