第69話 手遅れの農地
「農作業か。私は戦力にならないな」
「戦力になったことあったか?」
少女の指摘を笑い飛ばしてから、依頼人に向き直る。
依頼を出していたのは夫に先立たれた老婆だった。土地は広く、老人一人の手では管理しきれないほど。雑草が生い茂ってさながら密林のように荒れてしまっている。
「とりあえずは草刈りか。もちろん全力で取り組もう。ジーヌが」
「ありがとねえ。ジーヌちゃん」
「やるのは構わねえけど。いいか、お前もやるんだぞ」
ジーヌが農具を手渡そうとするも、痩躯の研究者は一向に受け取ろうとしない。
「おい?」
「フラスコより重いものを持たない主義なんだが……」
「今まで聞いたことのない主義を今さら主張するんじゃねえ。さっさと鎌持て、屈んで雑草刈り取れ、黙って動け」
渋々と農具を握るウィルナーの姿を確認してから、竜の少女は農地に突撃していった。成長しすぎた草に飲まれて、少女の小さな背はすぐに隠れてしまう。刈った草をぶん投げているらしく、ジーヌのいる位置だけはなんとなく把握できるが。
さすがに後を追う熱量はないので、刈りやすいところから手をつける。できれば根ごと掘り起こしたいが、そう言っていられる量でもない。大きすぎるし、多すぎる。もしかしたら農作物が育ちやすいよう配合した肥料でも混ぜ込んでいるのかもしれない。
少女が雑草の森に侵入してからしばらく後、ウィルナーは老婆に尋ねる。
「ご老人。ひとつ尋ねたいのだが」
「はいはい、なんでしょうかね」
「この荒れ具合を見るに人手が足りていないのは明らかだ。食物を栽培できる土地を遊ばせておく理由がない。サイカに現状を通達すれば、人員を割り振ってくれるだろう。何故そうしない?」
トラウィスは研究と犯罪の街――女帝サイカによるサイカのための街。だが、だとしても彼女が好き放題やっているだけでは決して正常に動作しない。住人たちがそれぞれの役割を全うすることでトラウィスという街が機能している。
そう考えれば、老婆とこの土地が置かれている状況は、街の動作を阻害していることに他ならない。
役割の未達成はすなわち街の癌だ。
改善の見込みがなければ、処断されてもおかしくはない。
「だからですよ」
老婆はウィルナーを見ずに答えた。
「だから?」
「あたしが土地を管理できていないと知れば、サイカ様は代わりの人員を割り振るでしょう。だからあたしは不要となります」
「…………」
「ここはサイカ様の街ですからねえ。老人ひとりを生かすために余計な人員と労力を割くよりも、代わりを用意した方が効率的でしょう。間違いなく切り捨てられますよ。夫を事故で亡くした時に覚悟はしとりました。周りの人も手伝ってはくれましたけども……この様ですからね」
老婆はぼうぼうと草の伸びてしまっている農地を見つめた。
遠くから、ジーヌが雑草を刈り取る声が聞こえる。「ウィルナー! ちゃんとやってんだろうな!」との問いかけに「勿論だ」と大声で返す。
「可愛いですねえ。大きくなったらどれほどの美人さんになるか」
「大きくなるかは分からないが」
「生きたいとは思います。依頼したのも生きたいからですもの……」
老婆は頬に手を当て、目を閉じ、何人かの名前を挙げた。全員の顔は思い浮かべられなかったが、ジーヌと遊んでいる子供が含まれていることは分かった。
「ジーヌちゃんに限らず、この街には可愛い子供たちがたくさんいるでしょう。あの子たちがね、大きくなったらどうなるんだろうなあと、そう思うときはありますよ。でもねえ、この街はね、どうしたってそういうものですからねえ」
「……そうか」
ウィルナーは発想の欠落に気付いた。
自分が切り捨てられる、という考えがいつの間にかなくなっていた。貴方はこの街に何を提供できるか――女帝の問いに、過去、必死になって答えた自分もいたというのに。いつしか重宝してもらっている自身と、そうではない住人たちを認識した。
おそらくサイカは把握している。
老婆が農地を管理しきれていないことも、周囲の人間が老婆を生かそうとしていることも。敢えて何も言っていない。連絡が遅くなればなるほどに致命的な罰を与えることができるからだ。罰が恐ろしくなるほどに、住人は反逆を諦める。
どうしたって老婆と、彼女を助けようとした者たちの終わりは見えている。
「どうしました? ジーヌちゃんに叱られてしまいますよ」
老婆から注意を受ける。
草を刈る手は完全に止まっていた。
「ああ、すまない」
「だァーッッ!!!」
草刈りを再開しようと鎌を握り直した瞬間、雑草の森をなぎ倒してジーヌが戻ってきた。全身に草葉を付けて、角や尻尾がすっかり緑色に染まってしまっている。
「おいウィルナー! 見てたぞお前今手ェ止めてたなチェストーッ!」
ジャンプからの前転を決め、ウィルナーの腹部目掛けて落下する。勢いの乗った蹴りが男の腹筋を綺麗に打ち抜いた。錐揉みしながらウィルナーが飛んでいく。
「何ババアと雑談して休憩してんだ! さっき勿論っつったろうが!」
怒れし少女の飛び蹴りで背骨に致命傷を負いつつも、ウィルナーはなんとか立ち上がる。
「勿論、やっていない」
「開き直んな!」
ジーヌが説教もとい罵倒を始める。
老婆はジーヌと、罵倒されるウィルナーを穏やかな表情で見守っていた。
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