第51話 欠落の自我

 過去を思い出させる薬、その扱い方をウィルナーとサイカが共有している間、竜の少女は暇を持て余していた。持て余しすぎていたので、焔の男を連れて屋敷内の散策に勤しんでいた。


「この屋敷、来るたび知らねえ部屋増えてんなァ」

「必要に応じて増改築を続けているからな!」


 屋敷を自慢するように両手を広げ、その場でくるくる回る焔の男。白衣の裾から漏れた炎が揺れて火の粉を飛ばした。目前の風景がうるさい。

 というか、二人きりである。

 何話せばいいか分からん。

 薬品庫を出る際、ジーヌは囚われのぼたんも連れていこうかと思った。小さな喋る猪は会話の繋ぎとして使えると考えたのだ。だが、近くに檻の鍵が見当たらなかったので諦めた。

 檻を破壊しないのは以前の反省を踏まえての自重である。欲望に素直な腹黒女帝のことだ、ぼたんが収監されている檻に罠が仕掛けられていてもおかしくない。檻の破壊に連動して何らかの仕掛けが動作し、また媚薬じみた怪しい薬品を吹きかけられるような状況は避けたかった。しかもその場合、非は少女の行動にあるので強く当たることもできない。

 ぼたんは悲しそうな目をして、部屋から出ていくジーヌと焔の男を見送った。


「……サイカの助手っつったな。今は何の研究してんだ?」


 とりあえず研究の話でも振っておけば勝手に喋り立てるだろうと予測し、ジーヌが質問した。ウィルナーも研究の話をさせておくと延々話し続けるので、少女は適当に相槌を打つだけで良い。非常に楽なので、会話が億劫なときは重宝している。


「分からん!」

「…………」


 こいつマジで大丈夫か。


「作業を命じられるのが基本だから、俺自身はどういった目標・目的に対しての行動なのかを理解していない。ある程度の予想は立てられるが、俺の予想がサイカ様の本意から外れている可能性は否定できない。間違いを伝えるわけにもいかないからな! 分からんと答えるしかない!」

「想像より大丈夫そうだな……」


 いや、とジーヌは直前までの心配を振り払う。

 竜の少女にとってサイカは得体の知れない不気味な女ではあるが、それでも分かりやすいスタンスを保ってはいる。有能を手元に、無能であれば切り捨てる、という振る舞いだ。己が欲望のために持てるすべてを費やす女が他者のことを慮るはずなどなく、屋敷内ではごく少数の精鋭だけが活動を許されている。

 役に立つものしか残さない女帝サイカが手元に置き続けているのなら、焔の男が役立たずであるはずがないのだ。

 以前貰った手紙もかなり整った文面だったことを思い出す。


「人は見かけによらない……ってことか……」

「うん? 君の話か?」

「お前の話だわ!」


「そもそもオレは人間じゃねえだろ」と続けて返すと、焔の男は高らかに笑った。ジーヌが隣を歩く松明を睨みつける。


「何がおかしいんだ?」

「冗談に笑って返すのは当然だろう!」

「冗談を言った覚えはねえぞ。オレは人じゃねえ。元々は竜だ。こんな角や尻尾がある人間がいるか?」

「ならば身体から炎を上げて平気で生きる人間がいるのか?」


 ぐっ、とジーヌは言葉に詰まりながらも、さらに続ける。


「お前は元々普通の人間だったろ」

「そうだな! そして、普通ではなくなった今でも人間だと思っている!」


 今でも人間だと思っている。

 それは、少しだけ、興味深い発言だった。

 焔の男は肉体が炭化し、肌表面から炎が漏れ出している。灰と朽ちても蘇る手段を持つようであり、とても普通の人間と呼ぶことはできない状態だ。真っ当な人間から見れば、化け物にも等しいだろう。

 だというのに、焔の男は自分を人間だと思っているという。


「今から少し失礼なことを言う。嫌気が差したら焼くといい」と前置いて、焔の男は話し出した。


「ごく稀に、君を見ていると不安になるときがある。ジーヌちゃんは自分が何者であるか決めていないように見えるからだ。普通の人間ではないと思っている、けれど竜でもないと思っている――そこで思考が止まっているように感じる。俺はきちんとそこを定めるべきだと思うぞ!」

「…………」

「帝竜だったという過去は聞いている。その過去を、心底大事にしているのであろうことも分かる。だが敢えて言おう。過去に思いを馳せるのはいいが、馳せすぎるのは良くない。過去と現在を比較する必要はない。結局は今、自分がどうありたいかという意思の話だからな!」


 焔の男の説教じみた演説が終わった。

 ジーヌは焔の男を焼かなかった。


「焼かれないのは意外だったな!」

「まァ、納得した部分もあるからな……。それはそうと、お前。ちょっと屈め」


 要望に応え、焔の男は前屈みになって少女と視線の高さを合わせた。後ろを向け、との追加指示に従い、少女に背中を向ける体勢となる。目の前にきた男の背を、ジーヌは両腕で抱きかかえた。身体を縮める。

 焔の男は悟った。

 これ、バックドロップの構えをしている。


「生意気……ッ!」


 少女の強靭な足腰が、男の身体を猛烈な速度で後方に引っ張り込む。軌道から推測するに、焔の男の後頭部から首にかけてが屋敷の廊下に激突するだろう。間違いなく致命傷だ。


「さらば!」


 意識と少女に別れを告げた直後、廊下に衝撃。隕石でも落下したかのような陥没地形が完成した。

 焔の男(首が変な方向を向いている)を放置して、少女は何事もなかったかのように屋敷の散策を継続する。男に言われたことを考えながら。

 自分が何者であるか。

 自分がどうありたいか。

 定義。そう、定義できていない、という意見だ。

 自分にとっての恋を探しているというのに。自分さえ定義できていない存在が、どうして恋を定義できようか。納得したのはその部分。

 ジーヌは、帝竜メリュジーヌではない。

 ジーヌは、普通の人間ではない。

 ではジーヌは何者なのか。

 過去を疑似体験するというのは、自分を見つめ直すにも良い機会なのかもしれない。


「……薬の味だけどうにかしてくれねえかな」


 竜の少女は呟いた。



 ×××



 一方その頃。


「デートコースは完成したわね~」

「デートと表現するのはいい加減止めてくれ」


 ウィルナーは過去疑似体験薬の効能、扱い方、副作用を理解し、その後メリュジーヌの思い出の地と考えられる場所を思いつく限りピックアップしていた。道順やかかる日数も計算済み、ここまでくればおおよそ準備は整ったと判断して良いだろう。


「最後にもう一度だけ確認したいのだが」

「何かしら~?」

「記憶の共有はできるんだな?」

「ええ、間違いなくできるわよ~」


 ウィルナーの問いに、サイカが肯定を返した。

 記憶の共有。

 片方が思い出している最中の過去を、もう片方が閲覧する。


「でも、何の為にそんなことを?」

「念のためだ。備えておくに越したことはない」


 竜の研究者は返答した。


「ジーヌには欠けている記憶がある」

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