第50話 記憶の棘
薬品庫を漁りながらサイカは説明する。
意識の複製に時間が掛かるのは、脳のモデルを構築するための情報、サンプルデータが足りないから。どういった状況、場面でどういう判断が行われ、どう動いたか――そんなメリュジーヌの実態を知るには、伝承を辿るしかないから。
伝承。
文献で示される帝竜の行動であり、思考であり、またこの大地に残る痕跡の数々。生まれた山で暴れ、他者に対して暴虐の限りを尽くし、大地を焼き払った。
意識を複製するためには、メリュジーヌがそのように生きた理由と根拠を収集する必要があるのだ。
「オレが話すんじゃダメなのか?」
「口頭での伝聞だと限度があるのよねぇ~」
ジーヌの案をゆるやかに否定する。
会話を通した情報伝達は、他者に伝えられる形への変換を挟むために情報の解像度が落ちてしまうものだ。たとえば人は感情を喜怒哀楽に区分するが、本来脳で生成される生のデータはもっと曖昧で混沌としている。曖昧さを揺らぎとして組み込んだ上でモデルを生成しなければ、本物との差が生じるばかりだ。
「だから~、これを使ってデートよぉ!」
サイカは薬品と、追加で小さな機械を持って掲げた。
機械の方は輪のような形状をしており、大きさ的にはどうやらジーヌの頭に取り付けるようだ。
「脳の活動状態を読み取るのか」
「正解~。複製意識のためのデータ収集用ね~」
「あんまり好かねえけど、まァいいか。それより……」
ジーヌの目線は薬品の方に釘付けである。
「まさか飲めとは言わねえよな……?」
竜の少女があからさまに嫌そうな顔をした。当然だろう、サイカの持つ薬品は自然界に存在しないような危険で毒々しい色を放っている。だけならまだしも、加えて溶岩のように泡を立てている。
「ええ。ジーヌちゃんにはこれを飲んでもらうわ~」
「マジか……」
絶望的な表情を浮かべるジーヌ。
「……せめて効能説明してくれ……」
「これはね、過去を思い出させる薬よぉ」
曰く、脳の特定神経系を活性化させる薬品だという。脳領域の活動上昇が影響して、薬品を摂取した任意の地点と関連するエピソードが記憶映像として蘇る。さらに幻惑効果のある香を組み合わせた結果、過去を疑似体験できるとのことだった。
「ジーヌちゃんは帝竜ではないけれど、この世で最も帝竜に近い生物でしょう~。しかもメリュジーヌであった頃の過去を保有している。だったら、過去を疑似的に体験してもらえば帝竜の生思考に近似したデータが得られるはずだと思って~」
「味は?」
「…………」
「なァ、味はどうなんだ? ヤバいのか?」
「……………………」
「おい黙るなよ! マジで嫌になるぞ!?」
本気で泣きそうになっていた。元帝竜なのだから不味い薬品を前にした程度で涙を見せないでほしいところである。
さておき。
デートの意図は理解した。
サイカは思い出の地を巡れと言っているのだ。
メリュジーヌが何らかの出来事を起こした、巻き込まれた、そんな思い出の地を巡る。メリュジーヌ単体で活動していた場所でもいい。メリュジーヌとウィルナーが二人で交流していた場所でも構わない。とにかく思い出深いはずの各地を巡るのだ。そしてそれぞれの地点で薬を使って過去を疑似的に味わい、当時のメリュジーヌの内部に発生したであろうものと近しい脳活動データを収集する。そうやってサンプル数を増やしていけば、思考モデルの生成にかかる時間が圧倒的に短くなる。
理解した、が。
「…………。都合が良すぎるな」
だからこそ、ウィルナーは疑問に思う。
ウィルナーたちの為にあつらえたかのような薬品を、どうしてサイカは所持していたのか。
元々共同で研究していたものではない。少なくとも、ウィルナーは過去疑似体験薬なんてものの存在を知らなかった。だから疑ってしまうのだ。トラウィスの主であるこの女は、聖街スクルヴァンを厭う振りをしながら裏で繋がっているのではないか。街との繋がりはなくとも、シドのような街に抗う者たちと交流があるのではないか。
「サイカ。この薬品は本来どういう用途として使うつもりだったんだ?」
「……あら~? もしかして疑ってる?」
「信用はしているさ」
ただ、疑問があれば解消しなくてはいけない。
それだけの話だ。
「そうねぇ~……」
サイカは人差し指を口元に当て、視線を宙に流す。
「焔の男っているじゃない?」
焔の男の名を聞いて、檻の中で沈黙していたぼたんがびくっと震えた。どうやら彼の炎が若干トラウマになっているようだ。
「ああ。彼がどうかしたか?」
「あいつ、やっぱり薬の効果が万全じゃないせいで、たまに記憶が焼失するのよ~。そうすると元の性格が出てくるみたいで、生意気なこと言ったり、すっごく稀に反抗したりするからぁ~……」
薬品を見つめながら、恍惚とした表情で。
「街に来た当初の記憶を再体験させて、苦痛を思い出させてあげてるの~」
「「…………」」
ウィルナーとジーヌが揃って頬を引き攣らせた。
ちょうど狙ったようなタイミングで薬品庫の扉が開き、懐かしい声が後ろから聞こえてきた。
「む? そこにいるのはウィルナーさんとジーヌちゃんか?」
振り返ると焔の男が立っていた。身体は相変わらず炎上しているが、格好は少し変わって、ウィルナーに似た白衣を身に纏っている。
「ああ、この服かい。耐火性の白衣さ! 俺は最近だとサイカ様の研究助手をしているからね、一応それらしい恰好を命じられているんだ! ……そうではない?」
二人の同情の視線に気づかず、焔の男は不思議そうに首を傾げていた。
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