promise to dragon

第52話 回想紀行 -邂逅の溶岩洞-(前)

 白衣の青年と竜の少女は、とある火山に向かっていた。

 いつもより多めの荷物を抱えて、装備も普段より丈夫な物で。心なしかジーヌの表情は浮ついているように見える、まるで祝いの日を直前に控えた幼子のようだった。


「そわそわ……」

「……ソワソワ、シテルナ……」


 ぼたんの呟きも何のその。ジーヌは少女感五割増しで前方を歩いていく。

 準備を整え終えた二人と一匹はトラウィスの街を離れ、遥か南方の地を訪れている。思い出巡り、デートの始点となる場所を目指して移動の最中だ。

 サイカはド安定の思い出巡りデートを企画した。具体的に言えば、時系列に沿った道程。最初から最後までを順番通りに巡る旅程である。そうなるとつまり、デートの開始場所こそは竜の研究者ウィルナーと帝竜メリュジーヌが初めて出会った地。懐かしの火山洞窟である。

 ジーヌが少々浮ついてしまうのも必然か。

 森を抜け、丘を越え、数日の野宿を経てようやく目的地の火山が見えてくる。


「あれだ」

「あァ……記憶通りだ」


 その山は、帝竜メリュジーヌと出会った当時から既に火山としては死んでいた。完全に活動を停止してしまった無名の山である。代わり映えのない景色にはしゃぐジーヌを見守りながら、二人は山に分け入っていく。木々を避け、草を掻き分け進んだ先では、覚えのある特徴的な光景が広がっている。

 土と石でできた壁、と、模様のような洞窟群。

 溶岩流の痕跡である丸穴が、山壁の所々に開いている。

 ウィルナーたちは記憶に従って穴の一つに近づいていく。周囲のものと比較して、やたらと巨大な穴だ。恐れることなく洞窟の奥へと向かう。


「懐かしいな。本当に」


 ウィルナーは思い出す。

 彼がこの山にやってきたのは本当に偶然だった。帝竜の実在を知ってからというもの、噂話レベルの目撃談や痕跡を集めては帝竜の生息地を推測し、何度も移動と調査を繰り返した。数えきれないほどの候補があって、そのどれもが外れてしまって、休憩のつもりで立ち寄った山だった。候補にも該当していなかった無名の山で、研究者はこの溶岩洞を目撃した。

 未知が怖くて、未知だけが怖くて、その為なら何をすり減らそうとも怖くないウィルナーだったが、それでも拭いきれないほどの疲労がかつてのウィルナーの身体には蓄積されていた。火山活動の様子もない洞窟は休むに適切だった。ウィルナーは洞窟の奥に向かった。現在と同じように、何の躊躇もなく。

 洞窟は入り口と変わらぬ広さを保ったまま、山を貫くようにひたすらまっすぐ伸びている。道中で休んでも構わなかったが、できれば開けた場所が良い。洞窟の生成に際して溶岩の溜まり場ができていれば広場のような空間があってもおかしくはない。ウィルナーは探索を継続し、奥へ奥へと進む。

 洞窟に足を踏み入れてからどれくらい時間が経ったろう。

 上方から差し込む光が見えた。

 洞窟に天窓が開いているのだとウィルナーは理解した。崩れたり窓が開いているとすれば、長く長く続いてきた溶岩洞にも何かしらの変化があるだろうと期待しながら、光に近づいていく。

 そこでウィルナーは出会ったのだ。

 美しくも恐ろしい、伝説に語られる真紅の竜――帝竜メリュジーヌに。


「…………」


 出会いの地に到着したジーヌは無言だった。何を思っているのだろう、とウィルナーは考える。ずっと楽しそうにしていたこともあり、着いたらもっと喜ぶものだと思っていた。あるいは少女らしく、静謐たる場の空気に飲まれているのかもしれないが。


「ジーヌ」


 じっと始まりの空間を見つめる少女に対し、研究者は遠慮も情緒もなく穏やかに声をかけた。


「なんだ、思い出に浸っているときによォ」

「もっと浸るといい」


 ジーヌが振り返ると同時、ウィルナーは少女の頭に機械を取り付ける。その上で、毒々しい色の薬品を持って微笑んでいた。薬品はまるで溶岩のようにぼこぼこと泡を立てている。

 少女は泣きそうになった。


「それ、マジで飲まないとダメか? マジでか?」

「マジでだ」


 ウィルナーが「マジ」などと言い出した。彼なりに本気であることを伝えようとしているようだった。ジーヌは泣きそうだったが、ウィルナーの本気度を感じ取ったので我慢して飲むことに決めた。彼女は竜としての特性を備えているのでいろいろと強いのである。

 猛毒のような薬品を受け取る。ヤバい色をしている。ヤバい臭いも漂っている。おそらく味もかなり危険だと思われた。


「……せえい!」


 竜の少女は一声し、過去疑似体験薬を喉に流し込んだ。

 強烈な苦味とえぐみが襲いかかってくる。吐き気と眩暈に近い感覚で全身が揺さぶられ、立っていられなくなる。膝をついたところでウィルナーが身体を支えてくれた。すぐに意識が朦朧としてくる。幻惑効果のある香が含まれている影響だろう、視界が歪んで形を失っていく。

 現実が崩れていく。剥がれ落ちていく。

 ウィルナーの感触も、自分の身体の感覚も、意識さえも消え失せる。

 後には暗闇だけ。

 真っ暗闇だけが残っている。

 まるで死んでしまったかのようだ、と誰かは思った。誰か、とは、誰だろう。ここに自分はいない。ウィルナーもジーヌもいない。暗闇にいるのは、オレだけだ。

 …………。

 オレ、とは誰だったろう。

 少しずつ、暗闇の中から身体が現れる。

 紅の肌。

 強靭な鱗。

 牙、

 爪、

 翼。

 炎。

 炎、炎のように燃え上がる破壊衝動。

 そうだ。オレは――






「メリュジーヌ、か……?」


 自らの名を呼ぶ声に、竜は目を開ける。

 眼下には、呆然と立ち尽くす痩躯の男がいた。

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