第27話 氷華の約束
「――――」
少女が意識を取り戻すと、そこはいつものテントの中だった。隣には胡坐をかいて座り込んだウィルナー、隅にはぼたん。焔の男は静かにウィルナーの向こう側で横たわっている。
天候は荒れている。強い風と雪が外で渦巻いているのが音で分かる。視界の確保さえも難しいだろう。この様子では、今から逃げることは不可能か。
起き上がる。
「目が覚めたか」
「ああ……」
ウィルナーに応えながら頭を押さえる。動くと眩暈がする。
「調子は戻っていないようだね。まだ寝ているといい」
寝かしつけられる。抗わず、仰向けに寝転がった。
少女は状況が把握できていない。おそらく意識は戻らないだろうと考えていた。仮に自分の意識が戻ることがあったとしても、雪中に投げ出されているか、竜の巣の中か。そのどちらであってもウィルナーと会うことはできないと思っていた。
だから、ウィルナーの姿を見ることができたのは予想外だった。
少女は複雑な感情を抱えている。会えないと思っていた男と会えたことへの喜び、ウィルナーが一人だけでも逃げなかったことに対する怒り、何故氷の竜たるアイツにいまだウィルナーたちが襲われていないのかという疑念、そして何よりも――悔恨。
一時的であれ、非常事態を乗り切ったからこそ後悔は強まっている。
哨戒中の竜二匹を直ちに叩き潰せなかったこと。咆哮をもってジーヌたちの存在が奴に伝わってしまったこと。失敗だ。少女はミスを犯した。結果、死がすぐそこまで迫っている。
「…………」
何か言うべきだ。そう感じているのに、言葉が出てこない。
「ジーヌ。渡したい物がある」
狙ったようなタイミングでウィルナーは言った。竜の研究者は、少女の心の機微を見抜けるような性格をしていない。だからそれは完全なる偶然でしかない。
「何だよ?」
「大したものじゃない。が、美しい物ではある」
ウィルナーが少女の傍に置いたのは、小さな箱だった。手のひらに乗るくらいの箱を開いて、中身を確かめる。ジーヌは驚愕した。入っていたのは、苦々しい思い出の象徴――飛竜花だった。
「お前、これ! あの時の……!?」
「安心してくれ。毒素は抜けているから、ぼたんや彼に害はない。もっと言えば、私の身体は以前直した際に毒を自浄するよう修正を施した。完全にとはいかないが、影響は八割程度排除できている」
よく見れば、花はすっかり乾燥している。色と香りは残っているが、毒素が抜けているという話は間違いないようだった。
「飛竜花を保存料に漬け込んでドライフラワーにしてみた。君にとっては落ち着く香りだろう」
「こんなもん採ってきてたのか……」
「ああ、いや、君に連れていかれた平原で摘んだのではないよ。ここに至るまでの道中、時折生えていたものだ。雪原に入ってからは増えていたかな」
ウィルナーの調査報告じみた話を聞く。
ジーヌが寝付いてからの夜、たまに飛竜花探しを行っていたらしい。雪原地帯に入ってからも雪を掘って探していたと聞いて少女はキレそうになったが、余計に調子が悪くなりそうなので控えた。
「本来は竜の住処にしか生えていない飛竜花が多くの地域で確認できたのは不思議だが……いや、今は関係ないか。ともかく、その花を君に贈ろう」
「……今かよ?」
「今だからだ。落ち着いてほしいというのもあるが、一つ約束したくてね」
「約束?」
「口頭だけの誓いよりも、物を担保にした方が守れる気がするだろう。だから、私の研究成果――無害化した竜の花を君に渡しておく。約束を果たしたら返してほしい」
約束、と繰り返し言ったのち、ウィルナーは少女の目を見つめた。
「先ずは謝罪を。ジーヌ、私は君の忠告に逆らった。ここが死地と理解して尚、自分だけで逃げることを拒否した。君たちを置いていきたくなかった。すまない」
「…………」
ジーヌは、何も言わなかった。
言えなかった。
ウィルナーの取った行動の愚かしさに悪態を吐こうにも。その愚かしい行動にこそ救われたであろう少女は、彼に返す言葉を持たなかった。
むしろ、自分の方が遥かに愚かしかったとさえ思う。
「私はおそらく逃げられない」
研究者は自らの死を語った。
「君が失神してから今まで、外は酷く荒れ、私の足ではまともに歩くこともできない。君が言うところの『奴』――氷刃竜が近くにいるのだろう」
事実だ。
少女は無言で肯定した。
迫る死をもはや否定することは叶わない。
「死を怖いとは思わない。これは以前話したときから変わっていない。私が死ぬことは気にならない。けれど、君を失うのは怖い。死よりもずっと恐ろしい」
ウィルナーは少女の手を握る。
「だから、約束だ。ジーヌ、私は必ず君のもとに戻ってこよう」
そして誓う。
「君が自暴自棄にならないように。君が死を選ぶことがないように。私は、何を費やそうとも君の元に戻ると約束しよう。だから君は絶対に死ぬな。戦いを避け、花を守り、また私と会うまで生き延びろ」
「――――」
ジーヌには分からない。
死を目前にしてそんな約束ができる精神構造も、約束をどうやって実現するのかも、何も分からない。
だとしても、そうだ、ジーヌはウィルナーを信じてやらなければと思った。なくてはならないものだというなら、大切な人だというのなら、そんな相手を信じることが出来なくて何が『好き』だというのか。
だからジーヌは、何の根拠も提示されていない、研究者のただの言葉を。
「分かった。約束する」
信じようと決めた。
男が出した小指と、少女の小指が絡まる。ウィルナーは微笑んだ。
直後、吹雪が停止した。唐突な変化に異常さを感じる前に、その声が降ってきた。
「まだ生きてるんだ。頑張ってるね、キミたち。人にしては凄く強いよ。うん。凄く強い。まあ――ボクには届かないけど」
テントの外、空から頭上に降ってくる何者かの声。
冷静さとあどけなさを併せ持つ、どこか少年じみた優しい音。
「でも、まあ、終わりだね。さようなら、人間」
その声は、穏やかに、しかし明確に。
終焉を告げていた。
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