第28話 氷の刃

 ジーヌが仲間たちを引っ掴んで外に転がり出た途端、テントが潰れた。落下してきた竜の全身が、彼女らの仮住まいを叩き潰したのだ。

 ジーヌは白い息を吐く。痛いほどの冷気を突きつけてくる竜を睨みつける。


「あれ? 避けた? というか動けるの?」


 足先に転がる二人と一匹、それらを守るように立つ少女を視界に捉え、竜は言った。

 竜――同じ竜でも先ほど戦った連中とは比べ物にならない。大きさは大して変わりないというのに、圧も、実力も圧倒的に上位だと分かる。一目でその特異性を感じ取れる威容だった。

 白銀の表皮、刃のように鋭い鱗。巨大な翼と長い尾。

 会ってしまった。

 死に。

 生きる天災に。

 ジーヌは知っている。帝竜メリュジーヌが地獄の火炎を巧みに扱う竜であるように、目前の竜がその身に宿すのは氷だ。その気になれば一息で世界を白く染め、凍り付かせてしまう脅威。吹雪の中を飛び交い、気付く暇も与えず標的の命を断ち切る氷の刃。

 氷刃竜ユラン。

 少女が絶対に会いたくなかった因縁の竜である。


「凄いなあ。本当に凄い。普通なら凍え死んでいるのに、まだ動けて、ボクに敵意を向けてくる人間がいるなんて。驚いたよ……」


 氷刃竜はジーヌを見つめる。ジーヌだけを見つめている。ウィルナーや焔の男に一瞥もしないところから考えるに、倒れている人間には興味がないらしい。

 少女の服、手足、顔。それから角に目線をやって、氷刃竜は「あれ?」と首を傾げた。


「キミ、本当に人間? その角と尻尾、見覚えあるんだけど」

「逃がしてくれるなら答えるぜ」

「じゃあいいや」


 竜は上空に飛び上がると、両翼で思い切り羽ばたいた。

 強い冷気を帯びた風が、雪を巻き込みながら渦を形成する。多量に氷の粒を含んだ嵐がジーヌたちの前に出現し、猛スピードで接近する。それは人間を飲み込み容易くすり下ろす殺意の嵐だ。

 死の具現も同然のそれを、少女は、


「死ねェ!」


 それ以上の火力をもって打ち消した。

 血を消費した炎、爆発。衝撃で雪の嵐を吹き飛ばす。少しは良くなった顔色があっという間に青ざめる。気分が悪い。ふらついて、なんとか倒れないよう堪える。

 動けない。守るだけで全力だった。これ以上の出血は致命傷となりかねない。

 氷刃竜ユランは炎が発生したことに一瞬目を丸くしたが、すぐに冷静さを取り戻す。炎、暴言、見覚えのある角と尾。少女の発した炎を切っ掛けに、ユランの記憶が繋がった。


「…………、メリュジーヌ?」

「違う」

「違わないね! 思考力の欠落した雑な暴言、燃えるような色の角、炎、全部が全部キミの要素だ。間違いない、そうだろう?」

「…………」

「沈黙は肯定だよ。メリュジーヌ! また会えるなんて!」


 氷刃竜は興奮した様子でくるくると宙を旋回している。

 竜の少女は貧血気味の頭で思考する。どうしても納得できなかった。

 メリュジーヌとしての要素を挙げる際、真っ先に出てきたのが暴言ってどういうことなんだよ。思考力の欠落した雑な暴言ってなんなんだよ。脳から直で返答してるわけじゃねえんだぞ。ちゃんと考えて言ってるってのカス。

 既に会話が嫌になりつつある状況で、氷刃竜は質問を重ねる。


「キミ、死んだはずだろ? その姿は何? どうして人間と一緒にいるの?」

「うるせえ……」

「いや、まあどうでもいいや。それより――」


 氷の竜は尋ねる。

 何度も何度も何度だって繰り返してきた問いを、少女となったメリュジーヌに再びぶつける。


「メリュジーヌ。ボクとの子供を産んでくれないかな?」

「チッ」


 少女は舌打ちをした。

 これだから会いたくなかったのだ。


「キミがいなくなってしまったから、仕方なく適当な相手と契ったけれどさ。それで生まれた子も弱かったし、そもそも行方知れずだし。なんか虚しくなっちゃって。そんな時にキミと再会した。運命だよ!」

「……変わってねえな。お前は」


 氷刃竜ユランは、特段メリュジーヌを好いているわけではない。

 ただ、至高の存在を見てみたかった。

 彼は冷静で、理知的だ。どれだけ努力しようとメリュジーヌに勝てないことは理解していた。圧倒的な力を行使して、メリュジーヌは彼の技術も策略もすべてを薙ぎ払う。氷刃竜ユランでは勝利の目はない。確かな事実であった。

 だが同時に、メリュジーヌの戦いが完璧ではないこともユランには分かった。有り余る力を振るうだけで勝利できるが故に、彼女の戦い方は乱暴で、乱雑だった。奇跡的な状況で偶然の一撃が入れば、メリュジーヌに敗北の可能性がある。ユランだけは気付いていた。

 だから、もし、帝竜メリュジーヌの力を引き継いで、氷刃竜ユランの思考と技術を継承した存在を生み出せれば、それこそが至高にして完全な、完璧たりうる存在だ。

 その為に、氷の竜は何度も執拗にメリュジーヌへ言い寄り続けており。

 その度に、メリュジーヌは「勝てたらな」と断り続けていた。


「ねえ、メリュジーヌ。もう一度考えてほしいなあ。最も強いキミと、キミの次に強いボクの間に生まれた子供は誰よりも強いはずだ。昔から言っているじゃないか」

「嫌だ。……何度も言っただろ」


 ジーヌは吐き捨てるように言った。

「勝てたら」という返答は、実質的な拒絶である。氷刃竜は帝竜に勝てないことは二匹の共通見解だった。それでも言い寄るユランには、少女となる前からずっと辟易としていた。


「そうかい。なら、戦って言うことを聞かせた方がいいかな? 今なら勝てる」

「それも意味ねえよ。……お前が勝っても、今のオレはお前に従わない」

「……何だって?」


 氷の竜は信じられないものを聞いたとばかりに尋ね返す。ジーヌは「力で勝ってもオレは従えられない」ともう一度伝えた。


「キミに何があったんだい?」


 ジーヌは答えない。信じられないとばかりに少女を見つめても、ユランに答えが返ってくることはない。

 帝竜メリュジーヌの性格であれば、力で勝る相手に抗うことはあり得ない。氷刃竜ユランとのやり取りはメリュジーヌの勝利を前提としてはいたが、仮に敗北することがあった場合、メリュジーヌはユランに従っていただろう。

 そのはず、なのに。

 暫く考え込んだ後で、ユランは一人納得する。


「ああ、当然か。当然だよね。キミは死んだんだから。人間の手で。人間のせいで。……なのに、どうして人間と一緒にいるのかな?」


 ようやく氷の竜の意識が人間に向いた。

 ウィルナーは竜の眼光を受けてさえ一切物怖じすることなく、ユランを真っ向から見返した。ぼたんは意識の戻らない焔の男を引きずって運び、遠くからその様子を見守っている。


「ようやくこちらを見たか。私はウィルナー。竜の研究者だ。氷刃竜ユラン、で合っているな? 私はジーヌを竜に戻すべく研究を行っている。君に協力を要請したい」


 ウィルナーは平時と変わらない調子で話す。


「君が協力してくれるなら、より早くジーヌを君が知るメリュジーヌの姿に戻すことができる。人間と竜が混ざり合った少女と交配するより、竜同士での方が確実性があるはずだ。先の話を聞く限り、君にも利が生じる有意な提案だと思う」

「お前……この状況でそんなこと言うかァ普通?」

「もちろん。協力を取り付けられれば私の生存にも繋がるからね」

「それは思っても口に出すな!」


 ジーヌが焦って言う。

 そのやり取りに、記憶よりも穏やかすぎる少女の様子に、ユランは我慢の限界を超えた。


「協力かあ」


 はあ、と氷の竜はウィルナーに向かって息を吐いた。たったそれだけの行動で、男の下半身が凍り付く。抵抗する間も、反応する間もなかった。

 環境さえ整えば、氷刃竜の力は帝竜に匹敵するほどに強大となる。


「これは……」

「おいユラン!」

「黙れよメリュジーヌ。いや、違うね。メリュジーヌではないただの女」


 親しみを捨て、喜びも棄てる。


「そうだね。姿は戻せるのかもね。でも、在り方は戻らない」


 元々そうであったように、目の前の人間を単なる排除対象物として認識する。


「人間と一緒にいるから、メリュジーヌは変わってしまった。歪んでしまった。暴力を至上とし、判断基準を力に委ねたメリュジーヌの在り方を、人間が変えたんだ。殺して、生き返らせて、歪めて、弄んで。メリュジーヌを玩具にして」


 そうだ。そもそも、氷の竜は、殺しに来たのだ。

 敵対する竜とまとめて、人間を殺すために争いを起こしたのだから。


「その、人間風情が……協力?」


 氷の竜はウィルナーに向けて再度息を吐く。氷は研究者の腰を覆い、腕を固め、胸に到達し、喉に至る。ジーヌが氷を溶かそうと近づくが、ウィルナーの目を見て思い出す。

 戦いを避け、花を守り、また私と会うまで生き延びろ。

 そう約束したのだ。

 ならばジーヌの取るべき行動は、ウィルナーを救うことではなく。

 ウィルナーの全身が氷で覆われる。氷刃竜ユランはウィルナー目掛けて襲いかかる。

 ユランの狙いがウィルナーに集中した瞬間、ジーヌは残る血を燃やして推進力に変換し、高速でその場を離脱する。遠くで逃走準備をしていたぼたんを拾い、さらに加速。後ろを振り返らず、ひたすらに逃げる。


「冗談も程々にしなよ」


 遥か後方で、氷の砕け散る音が響いた。































 氷の竜は立ち去った。

 生者のいない雪原に、欠片が散らばっている。

 それは粉々に散ってはいるが、元々は人間だったものだ。ウィルナーという人間を構成する部品の数々。

 それら全てがウィルナーというを形作っている。


 部品は徐々に熱を放ち、自身を覆う氷を溶かす。

 静かに、しかし着実に。

 誰に指示されるでもなく、自律的に、それらは再起動を試みようとしている。

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