第25話 言葉の裏

「雪だぜー!」

「ツメタイ……!」


 晴天の雪原を駆け回るジーヌとぼたん。まるで犬のようだ。

 北に向かえば向かうほど、寒さは増していく。最初はただ降っているだけだった雪も途中からはうっすらと積もり始めていて、移動から二日も経つ頃には膝の高さにまでなっていた。

 二日間のうち、晴れは今回で二度目だ。それ以外の時間は、強烈な猛吹雪が絶えず吹き付けてきていた。とても雪原を無邪気に走り回れたりはしない。嵐のような風と刺すような冷たさの雪、片方でも大規模な被害が出る自然災害の合わせ技である。用意がなければ、生命活動さえままならない天候だった。準備があったウィルナーたちだからこそ移動してくることが出来たが、並の住人たちなら生存さえ危ういだろう。ここからさらに数日も経てば滅びる街が出てきてもおかしくはない。

 トラウィスの街は、サイカはどうしているだろう。地下に雪の影響はどれほど出ているか。心配はしていないが、気にはなる。


「……しかし、元気だな」


 追いかけっこをしている一人と一匹を見守りながら、ウィルナーはぼやいた。

 特にジーヌ、二日前には寒い寒いと言っていた割に今は少女そのものといった笑顔だ。竜特有の適応力で雪と寒さに慣れたのだろう。羨ましいばかりである。

 ウィルナーに雪を楽しむ元気は残っていない。

 いくら耐寒装備を身につけていたとしても、寒さ以外の要素が研究者の体力を奪っていく。

 単純に、膝まで積もる雪の中を歩くにも人間は想像以上のエネルギーを使う。足をほとんど持ち上げず、摺り足のような歩き方をしては固まった雪に阻まれ前に進めない。わざわざ一歩ごとに足を膝上まで持ち上げ、前方に伸ばし、雪を踏み抜くような歩き方を強いられる。常時腿上げをしているような状態に近く、無為に体力を消耗してしまう。

 さらに、強風。風に煽られる身体を支えるにも、筋肉に普段以上の力を加えなければいけない。一瞬ごとに掛かる力は少なくとも、それを何時間も何日も続ければ負荷合計は相当だ。

 たった二日の道程で、一週間以上不眠不休で歩き通してきたかのような疲労を感じている。


「いやあ、ジーヌちゃんはともかく、ぼたんは元気に決まっている! ずっと俺の肩に乗っていたからな!」


 隣に立つ男が言った。

 焔の男、と呼んでいいのか分からない姿。連日の吹雪に晒された影響で炎は完全に消えている。おそらく体内では炎がくすぶっていると思うのだが、体表面の冷却に熱が追いつかず内に隠れてしまっているらしい。興味本位で肌を触らせてもらったが、凍り付く寸前まで冷えていた。

 氷点下の晴れ間でようやく震えは止まっていたが、あと一時間もすればまたきっと吹雪が到来する。寒さに震えながら笑顔を維持する狂人状態に逆戻りだ。


「本当に要らないのか?」

「ああ。その布切れなら要らないさ!」


 二日経過しても、焔の男は耐寒装備を受け取っていなかった。


「心が熱いから?」

「……まあ、それは後付けの適当な理由だな」


 ぼそり、と男は本音を漏らした。


「サイカ様からな。絶対に君たちの負担になるな、とのお達しだ! 俺は君たちを助けることだけが許可されている!」

「そんなことだろうと思ったよ」


 サイカの言いそうなことだ。律義に命令を守るこの男もこの男だが。


「負担になるな。助けになれ、か」

「そうだ」

「なら私の荷物を持っていてくれないか? 疲れてしまってね」


 ウィルナーは焔の男に、荷物を差し出した。食料と耐寒性の布が入った袋だ。暗に「使え」と言っている。


「それに、君が震えている様子を見ているのもいい加減苦痛だ。私の助けになる行為なら、許可されているのだろう」

「……任せてくれ!」


 焔の男は笑顔で布を受け取った。


「ウィルナーさんは優しいな!」

「そうか」

「サイカ様の次に」

「それは絶対に間違いだ。サイカに比べればずっと私の方が優しいはずだ。君は洗脳を受けている」



 ×××



「これは仮の話だが」と焔の男は切り出した。


「どうした?」

「俺だけが死ぬ、もしくは死にかけている状況だったら、ウィルナーさんは俺を置いて逃げてくれ。危険を冒してまで俺を助ける必要はない」

「…………」


 ウィルナーは返答せず、ぼんやりと雪原を眺めていた。

 ジーヌたちはまだ戻ってこない。いつの間にか遊ぶ声が聞こえなくなっていたとは思っていたが、どれだけ遠くまで遊びに行ったのだろうか。というか、別に雪でそこまでテンション上がらなくてもいいだろうに。

 先ほどウィルナーは少女が寒さと雪に適応したと判断したが、どうやら誤認だったようだ。肉体は慣れたとしても、気分が浮ついたままだ。

 戦場に境界線が引かれているわけでもなし、いつ闘争中の竜が現れるか分からない。気を緩ませすぎないようにしてほしいものだ、とウィルナーは考える。

 と、そこに。


「ウ、ウィルナー……!」


 ぼたんが雪を掻き分けて戻ってきた。


「ぼたんか。ジーヌはどうした?」

「ドラゴン、ダ!」


 焦りを含んだ声で、ぼたんがそう告げた瞬間――

 空気をつんざくような、激しい咆哮。

 竜の哭く音が雪原に響き渡った。

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