第21話 接触の価値

「もくもく……」


 独特な擬音語を使う竜の少女ジーヌ。

 煙を出しているのではなく、物を食べているのでもなく、ひたすら文献を読み漁っている。ウィルナーの研究用資料を主に、端末内に取り込んでおいた竜の物語も少々。決して黙々とはしていないが、一生懸命に本を読んでいる姿は愛らしい。

 愛らしい上に、都合が良い。

 常識と知識を身につけるため、とジーヌが読書を始めてからというもの、ウィルナーはひたすら研究に取り組めるようになっていた。実験中に少女が背中に引っ付いてきたり、構ってほしいと白衣の端を引っ張ったりすることがなくなったからである。

 基本的に黙っていれば美少女のジーヌである。口が悪くて暴力に走りがちで雑な性格なところさえどうにかなれば最高の相棒だと常々思っているウィルナーだが、思わぬ流れで理想が現実になるやもしれない。毒を受けて死にかけたのも、悪いことばかりではなかったか。


「…………」


 と、考えている。はずなのだが。

 数日前からウィルナーは集中できずにいた。取り組む時間自体は伸びたはずなのに、進捗としてはさほど変わらないどころか、明らかに進みが悪い。邪魔が入らず、時間も確保できているのに結果が伴わない。明らかに異常である。

 邪魔が入った方が集中できている。

 おかしい。意味が分からない。

 当初は身体が限界を訴えているのではないかと疑った。邪魔がない影響で、普段より休憩時間が少なくなっているのではないかと、それ故の進捗不良ではないかと。しかし、休憩時間を余計に設けても状況は改善しない。

 異常には必ず原因があるはずなのだが、しかし他に理由らしい理由も思いつかない。研究者の悩みは深まるばかりだった。

 ウィルナーは研究の手を止め、ため息を吐いた。


「ドウシタ」


 珍しい様子だ、とぼたんが頭上から尋ねてくる。ウィルナーの頭に乗って、四肢で抱きつくようになんとかバランスを保っている。ジーヌがウィルナーの背中に引っ付いているときはそもそも頭上に登れないので、この構図も竜の少女が読書を始めてから見られるようになったものだ。


「集中できなくてね」

「ナゼ?」

「……もしや君のせいじゃないか?」


 子供のぬいぐるみ程度の大きさしかない、と言っても中身は綿じゃない。内臓と筋肉の詰まった生獣は真っ当に重量がある。首や肩にかかっている負担が集中力不足という形で表れているのだろうか。


「いや、違う。常に君が頭に乗っているわけじゃない」


 それに、研究に集中し切れていない状況はぼたんの有無に依らず継続している。


「やはり分からないな」

「サミシイ、ノデハ?」

「寂しい?」


 ぼたんの意見はウィルナーが考えもしなかった可能性だった。寂しい、ジーヌが構ってくれと言い寄ってこない現状を寂しがっている。


「まさか、そんなはずは……」


 反射的に否定しようとして、言葉を止める。


「……ない、と言いたいところだが。そうとも言い切れないか」


 腕を組んで思考を巡らせる。ぼたんの指摘は本来ウィルナーにとって考える必要さえないことだった。実験中は実験以外のあらゆる要素は邪魔者で些事、だったはずなのだから。

 だが、その指摘は存外的を射ているのかもしれないと思えた。意外性のある内容だったのは事実だが、だからこそ検証する価値はある。それに、集中できた時期とできなかった時期を比べて一番はっきりと確認できる違いはそこだ。


「少し試してみるべきだな。ジーヌ!」

「……あん? なんだ、オレを呼ぶとは珍しい」


 少女は端末を置いて、ウィルナーの元にやってきた。「何の用だ?」と首を傾げている。


「背中にくっついて研究を見ていてくれないか」

「ああ。……はァ?」


 了承のち疑問。この男は何を言っているのか、といった感情が顔から溢れ出ている。疑問だらけの少女に対し、ウィルナーはぼたんの指摘内容と検証を行いたい旨を伝える。

「仕方ねえな」と若干恥ずかしそうにしながらも、ジーヌは男の背中にくっついた。恥ずかしそうにしている意味は分からないが、ともかく状況の再現は叶った。


「なるほど。これは……」


 背中に少女の温もりを感じるのは久々だ。

 懐かしさとともに、浮かび上がってきた素直な思いを口にした。


「重い」

「女の子に重いとか言うの本気でダメだぞお前」


 軽く頭をはたかれながら、順当すぎる批判を食らった。竜としての常識はない割に、人間としての常識観を持っているのはどういった理屈なのだろうか。ウィルナーと生活する中ではそんなものを身につける機会は生じないので、サイカのところで変な情報源でも得ていたか。

 あり得そうだ。


「しかし、うん。自然だ」


 重いが、不快ではない。欠落がなくなった、という感覚が同時に心を満たしていた。


「ジーヌ。どうやら私は君がくっついていないと集中できない身体になってしまったようだ。責任を取ってほしい」

「えぇ……何その言い方ァ。責任取れって」

「何と言われても、言葉通りだが」

「お前の言葉、時々信用できねえんだよな……」


 ぶつくさ言いながらも嬉しそうな少女であった。

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