第20話 偽りの歴史

「ウィルナー……朝だぞ。起きられるか?」


 いつもより優しい声掛けを意外に思いながら、ウィルナーは目覚める。汚れていた口元を拭い、お決まりの運動をブレのない動作で三十秒行ってから姿を現した。


「やあジーヌ。おはよう」

「……大丈夫か?」


 少女が目を伏せながら尋ねる。自分のミスでウィルナーが毒にやられかけたことを相当に悲しんでいるようだ。翌日になってもまだ失敗を引きずっている状態はかなり珍しい。少女との付き合いが長いウィルナーでも、今まで見た覚えがない。

 それだけ落ち込んでいるのには理由がある。毒を受けた肺をなんとかしてからウィルナーは今朝まで眠り続けていたわけだが、眠っている間のうなされっぷりが史上最高であった。肺だけでなく喉もやられていたようで途中咳き込むし、と思ったら嘔吐するし、そんなこんなでジーヌには立ち直っている余裕がなかった。


「ああ、直した。もう問題ない」

「なら病み上がりに悪いんだが、頼みがある」

「どうした?」


 だが、いつまでもそうしている訳にはいかない。

 落胆を飲み込んで、ジーヌはウィルナーを見つめた。決意の炎が燃えた目だ。


「オレに知識を与えてくれないか」


 ジーヌは自覚し、反省した。

 少女はかつて帝竜メリュジーヌとして暴力を糧に生きてきた。故に、竜として当然知っていなければならないはずの竜にまつわる知識が抜け落ちてしまっている。欠落が何にも影響しないのなら問題ないが、無知が命を左右する事態となるのならば話は別だ。少女は知識と常識を得なければいけない。

 毒の花畑に愛しの研究者を連れていくようなことが無いように。


「なるほど。君の思いは受け取った」


「だが……」とウィルナーは続ける。だが、一口で知識と言ったところで、ウィルナーは竜の常識をすべて知り得てなどいない。そも彼が竜ではない以上、何が竜にとっての常識なのかさえ判然としない。そしてジーヌが何を知り、何を知らないのかについてもまた同様に把握していない。

 それに、だ。

 というものは、話して聞かせたところですぐさま身につく物ではない。


「オレには難しいのか……?」

「違う。何から教えるべきかと悩んでいただけだ」


 ちょっぴり不安そうな表情を浮かべたジーヌに、ウィルナーは一冊の本を手渡した。とある街が形成されるまでの歴史と背景を綴った本。元々は、研究協力者もといトラウィスの主であるサイカが持っていたものだ。

 サイカは貴重な資料、文献と合わせて嗜好品としての本も好いている。今ウィルナーがジーヌに渡した本も、そういった嗜好品、娯楽の品に該当する書籍である。街の歴史に基づきながら、それを拡大解釈、都合のいいように書き換えた娯楽小説だ。紙自体が高価な世界においては非常に価値ある一冊のはずだが、借り受ける際に「捨ててもいいからねぇ~」との伝言を預かっている。取り扱いが雑すぎる。


「よし。これを読んでみてくれ」

「分かった」


 ジーヌは本のページに目を落とした。



 ×××



 如何なる時も聖教会の祈りは人の世を導いた。竜が世界を滅ぼさん時であっても、神の光は信仰者の街を守り、人々はさらに神への信仰を深くした。東の果てに現存する、最も強靭にして最も強固な楯。

 それは聖街スクルヴァンにまつわる物語だ。

 物語の中で聖者は竜の存在を憂い、嘆き、抗い、人々に希望を与えた。神から授かりし知識と技術を世界にもたらし、神と祈りを広め、信徒を集め街を作った。そして長い時をかけ、苦難の冒険の末に竜を討ち果たし、泰平の世が築かれた。人々は聖者の名を忘れぬよう、勇ましき心を持った者として石碑に刻んで記録した。


「…………」

「どうだ? 感想は」

「なんだこれ」


 ジーヌは顔をしかめている。予想通りの表情だったので、ウィルナーは内心でジーヌを慈しんだ。

 その本の実態は娯楽小説だが、作者の趣味か、非常にもっともらしく作られている。要素要素を見れば確かに真実を描いており、またそれら真実を作中のロジックで組み合わせたときの結末は非常に真実味を帯びているように感じる。しかし、それは小説の中にしか存在しない、偽りの歴史だ。現実世界はそう都合よく推移していない。

 聖街スクルヴァンは実在する。

 宗教と守護の街スクルヴァンは、最も多くの兵力と人口を擁している。

 スクルヴァンには勇者の名を刻んだ石碑が作られている。

 以上の情報は真実だが、そうした勇者の活躍があっても竜は滅びておらず、泰平の世などどこにも見当たらず、そして人類の知識と技術は人類の努力の賜物だ。決して神から授かったものではない。


「嘘だらけだ」

「ああ。その通りだ」


 それらしい文体で、それらしい論拠を提示して綴っているから説得力のようなものが垣間見えるだけで、まともに世界を見ていればこの本を本物の歴史として読むことはない。


「だが私は、この本を真実の歴史と思い込む子供たちを見たことがある」

「嘘だと気付けねえのか」

「そうだ。この本しか知らず、自ら調べようともしないからだ」


 ウィルナーの言葉で、ジーヌは理解した。


「君や私が嘘だと分かる物語を嘘だと気付けない子供がいるように――私から聞いた知識を鵜呑みするのでは、間違いがあった場合に気付けない。自分や他人、多くにとって比較的正しい知識とは、いくつもの情報源を得、内容を精査した上で身につけ、更新を繰り返すものだ」


 ジーヌが知識を得るためには、先ず正しい知識の身につけ方を覚えなければいけない。

 根拠。理由。論理。

 どうして、何故という疑問と解消。

 それらの積み重ねが正しさの担保となるのだと、知る必要があったのだ。


「お前の言いたいことは分かった。聞いた話は自分で吟味してみたいと思う。ただ、一ついいか」

「構わない」

「この本よォ……」


 ジーヌは本を潰さん勢いで握りしめた。


「竜の描写、ざっくりしすぎてんだろ……」

「だろう!!! 私もそう思っていたんだ!!!!!」


 平時の三倍くらいの大声で同意してきたウィルナーに、少女は引き笑いを返した。

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