第22話 確認の応答

 ウィルナーが急に立ち上がった。

 背中に引っ付いていたジーヌが滑り、奇跡的な角度で落下した。角が地面に突き刺さり、少女の首に異常な方向からの負荷がかかる。骨のへし曲がったような尋常ではない音が鳴った。


「いってえ……」

「大丈夫か?」


 竜の少女は差し伸べられた手を握ろうとする、が。

 研究者の手は少女の掌を避け、そのまま身体の方に伸びてきてジーヌの二の腕をつまんだ。感触を味わうように伸ばしたり、引っ張ったり、擦ったりしている。手は二の腕から頬に移動、同じように頬肉をつまんで弄び、さらには喉を通過して少女の胸元、ささやかな膨らみに触れた。ぷにぷにした幼くも張りのある双丘を男の指が登頂する。

 ジーヌはウィルナーにボディーブローを決めた。

 白衣の男は膝から崩れ落ち、流れるように嘔吐する。半端に消化された獣肉が胃液とともに口から溢れて広がった。


「何? 何のつもりだお前? 変態か?」

「質問と確認が終わってから反撃してほしいな……」


「無理」とジーヌはウィルナーの要望を却下する。さすがに無理である。たとえ好意を持っている男が相手だとしても、ジーヌは何の脈絡もなく急に胸揉まれて喜ぶわけがない。普通に暴力の対象である。かろうじて理性がストップを掛けたが、そうでなければ目の前の男は死んでいただろう。

 それくらいの行為だった。

 脈絡もなく胸を揉むというのは、それくらいの罪深い行いなのである。


「確かに先ほどの行動は全面的に私が悪かった。すまない。だが私は変態ではない。そこは理解してほしい」

「いやうるせえよ変態。殺すぞ」

「まあ話を聞いてくれ」


 反省の色が見えないので本気で殺してやろうかとジーヌは思ったが、理性だけでなく本能までその後の悔恨を予期していたので殺すのはやめておいた。代わりに顔面を尻尾でビンタしておいた。五往復分。


「本当にすまなかった。今後君の胸に触る際は事前に了承を取るようにする」


 二倍に腫れ上がった顔でウィルナーは誓った。

 そうこうしている間に多少は精神も平静を取り戻してきたので、ジーヌは変態研究者の言い分を聞くことにした。変態ではないと主張するならば、身体をまさぐった理由は何だというのだろうか。


「で、結局何のつもりだったんだ?」

「肉体強度の確認だ。力強いのに少女のような柔らかさを持つ肉がどんなものだったか、しばらく触れていなかったから急に思い出したくなってしまった」

「良かったな。確認できただろ」

「身をもって痛感したよ……。本当に不思議だな。筋肉質なわけじゃない。なのに、大人を軽く吹き飛ばせるほどの力を秘めている。君に勝てる人間はいないだろう」


「だが」とウィルナーは続ける。


「竜を相手にした場合、君はどれだけ戦える?」


 それはウィルナーにとって、非常に重要な問いかけだ。

 近々竜の争いがある。争いに参戦し、直接竜のいずれかを殺してサンプルを得ようなどとは考えていないが、死骸を漁るにしてもできるだけ新鮮な方がいい。見つからないように戦場に忍び込み、死んだばかりの竜から肉片を得るような状況がウィルナーの理想だ。

 だが、それはあくまで理想でしかない。

 完全に見つからない、というのは机上の空論、おそらく不可能だ。戦場に乗り込もうとすれば見つかることはほとんど間違いない。だから、竜に見つかって襲われた際に逃げ延びることはできるのか、あるいは返り討ちにすることはできるのか。

 この問いかけには、そういった意図が込められている。


「……そうだな」


 ジーヌは少しだけ考えた後、彼女なりの見解を告げた。


「だいたいの連中には勝てる。殺せもする。有象無象なら心配の必要はねえよ。けど、危険な奴らが数匹いる。仮にそいつらに目ェつけられたら、良くて相打ち、おそらく負けるだろうな」

「君のように、自然現象を身に宿す者たちか」

「そうだ。分かってるじゃねえか」


 竜は大枠で二種に区分される。

 一つは動物としての脅威。強靭な肉体を備え、その恐るべき身体能力をもってして街を滅ぼす悪魔の獣性。猪のように街を轢き潰し、豹のように生命を捕食し、熊のように文明を荒らし回る動物としての生命体。

 ジーヌが有象無象と称したのは、これら大多数の竜である。

 そして、もう一つは自然災害としての脅威。炎を撒き散らす。大地を凍り付かせる。嵐を起こす。雷にて地表を焦がす。比喩でなく、そういった現象を発生させるものが、ごく僅かではあるが存在している。

 帝竜メリュジーヌがそうであったように、伝承に語り継がれるような竜はほとんどが後者だ。そしてジーヌが危険視しているのも、天災たる竜たちだった。

 帝竜メリュジーヌが打倒された後も世に残っている、数匹の歩く災害。

 そいつらと鉢合わせになった場合、命は保障できない。

 ジーヌはそう言っている。


「ウィルナーよ。オレの話を聞いて、お前はどうする?」

「……君から明確に死の可能性を提示されたのは初めてかもしれないね」

「怖くなったか?」


 ジーヌが尋ねる。


「全く」


 ウィルナーは答えた。


「僅かな可能性に怯えるようでは、研究の完成には至らない」


 死の可能性をも前にして、それでも研究の為に戦場へ向かう。一切の躊躇なく、竜の研究者は断言する。危険を冒しても得なければならないものがある、と男は語る。

 狙ってはいないはずだが、妙に着飾った台詞と合わせてやたらと格好つけているように見える。

 実際、少女からは比較的かっこよく見えている。


「これでいきなり胸揉むような変態じゃなけりゃなァ……」

「蒸し返すのは止めないか?」


 ジーヌは意地の悪い笑みを浮かべていた。






 はてさて。

 ウィルナーは研究の完成を目標としている。そのために竜のサンプルを必要とし、死地に乗り込もうとさえする。では、研究の完成とは、具体的には何を意味しているのだろうか。

 竜細胞の特性の再現。

 帝竜メリュジーヌの性質抽出。

 猪を用いた生命体の再現およびぼたんという成功例。

 それら研究の行きつく先こそ、ウィルナーが導き出そうとする成果。


 竜の少女ジーヌを


 それこそ、彼の研究の最果て。

 ゴールに定めた、最終目標地点である。

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