第15話 抵抗の炎
一方その頃。
浴場の外で迎えの人とやらを待つ間、ぼたんは外から聞き耳を立てていた。付き合いの短いぼたんでもジーヌの様子には違和感を抱く。ぼたんの知るジーヌなら、絶対に文句の一つや二つつけていたに違いないからだ。
脱衣場からは何の音もしなかった。防音でもされているのか、黙って服を脱いでいるだけなのか。覗き見ようにも鍵が閉まっているため、扉は少しも開かない。どうにか開かないかと試行錯誤してみるも、猪の身体では大した工夫もできない。いつまで経っても音も聞こえない。二人は既に浴場だろうか。扉に体当たりもしてみたが、びくともしなかった。
はたしてウィルナーはジーヌの異常に気付いているのか。
当然気付くだろう、日がな一日竜の研究に励む男が少女の異常に気付かないわけがない。異常と知りながら何も対応しないはずもない、過度の心配は不要だとぼたんは心を落ち着ける。
大抵の獣は一度仲間意識を持ってしまうと情に厚くなるものである。
ところで、とぼたんは思う。
迎えの人とやらはいつになったらやってくるのか。いくら待てども通路の先には人の姿はない。
「……ムム」
灯りが見えた。サイカが送ったという迎えの人かとぼたんは目を凝らす。
灯りはぼたんの方に近づいてくる。遠くに見えた時点では、迎えの人が灯りを持っているのだと思った。しかし距離が詰まるにつれ、それが勘違いだと判明する。人が灯りを持っているのではない。人が灯りを代替するレベルで炎上しているのだ。熱い心を持っているとかではなく、物理的に燃えている。
「やあ! すまない、遅くなった!」
「オマエ……」
四肢の一部が炭化して黒く焼けてしまっているが、ぼたんは彼のことを知っていた。ジーヌもウィルナーも知っている男だ。彼は、サイカの部屋で竜の薬品を摂取し、燃え尽きたはずの男だった。
ウィルナーの作った薬品は、細胞の変化を促すものである。体組織のほとんどすべてから発火する帝竜メリュジーヌだが、当然ながら自身の炎で朽ちることはない。メリュジーヌの細胞は熱を吸収・発散させる特性を備えている。
発火特性と熱耐性。
ウィルナー製の薬品は、以上二つの特徴を後付けで付与する。
ただし動物実験を行ったところ、熱耐性を持たないまま身体が発火するようになり、絶命するケースが非常に多かった。投与したら死とほとんど同義であったはずなのだ。
しかし男は生き延びた。
炎を抑え込む術を覚えていないため、肌という肌、穴という穴から炎が上がっているものの、自身の炎によって燃えて死ぬことはなくなった。全身から炎を放ちながら、平然と動いて回る。焔の男とでも呼ぶべき姿だ。
「俺が迎えの人だ! さあ、猪くん、行こう」
「ぼたん、ダ……」
「そうか、ぼたんと言うんだったか! これからはそう呼ぶことにしよう!」
焔の男は高らかに笑う。薬品による細胞変質の影響が出ているのか、男の素の性格がそうだったのか。明るくはつらつとした動作と喋り方だった。
「さあ! 俺の手に乗るんだ!」
「イヤ……」
手に乗れと言われても困る。男の手も炎に包まれている。乗ったら猪の丸焼きになってしまう。ウィルナーは嘆き悲しみ、ジーヌも一応体裁として悲しむ振りはするだろうがその後遠慮なくぼたんを食うだろう。それは嫌だった。
「何を躊躇している! さあ!」
男の手が伸ばされる。ぼたんは逃げ出そうとしたが、男の足で逃げ道を塞がれる。
「ィ、イヤァ……!」
ぼたんがか細い悲鳴を上げる。遂に炎に包まれそうになった、
瞬間。
浴場を破壊する凄まじい衝撃。
「オレは何をしてるんだあああァ!!!」
ほぼ同時に、そんなジーヌの声が聞こえた。
×××
竜の剛力で握りしめられたウィルナーの腕がへし折れる寸前、ジーヌが爆発した。感情の爆発に伴い少女の手が離されたので、ウィルナーの腕は骨折を免れた。その代わり、壁を破壊するほどの咆哮を至近距離で受けたので鼓膜が死んだ。
「オレは……」まで言った後、ジーヌの心に湧き上がったのは欲望を上書きするほどの強烈な抵抗心だった。ジーヌは薬を盛られた工程におおよそ見当をつけていて、霧状の薬品が散布されたときに自分の予想が正しいことを確信した。
確信したが故に、強く抵抗した。
想いを告げるにしても、こんなふうに薬の力を借りて勢いで告白したくはない。当人たちの問題に介入する第三者があってはならない。何を間違っても、この状況下で愛しているなどと口にしたくはない。
強固に抗った、結果。
ジーヌは体内を巡る魅了の薬効成分を焼き払ったのである。
「大丈夫か?」
骨にひびの入っている腕を支えながら、ウィルナーは尋ねた。なお、少女の言葉を聞き届ける聴覚は現在まともに機能していない。
「ウィルナー。お前はさっき聞いたことを忘れる。いいな?」
「……問題ない」
ジーヌが何を言っているかは分からないが、キレていそうなので頷いておく。
「さて……じゃあ後は……殺すか……」
元帝竜らしい殺意を存分に振り撒きながら、ジーヌは浴場を出ていこうとする。粉々になった壁の向こうで、ぼたんと焔の男が妙な体勢で固まっていた。恐怖で動けなくなっているようだった。
「待つんだ、ジーヌ」
ウィルナーは、恐怖の具現に等しき存在となった少女に声を掛ける。ジーヌは振り返らず、ただただ殺意だけを強めて研究者を威圧した。
「ハッ、止めんのかよウィルナー。今日のオレは容赦しねえぞ……」
「まず服を着よう」
「…………、…………」
ジーヌはしばらく前の自分の発言を思い出した。全裸で屋外を闊歩するウィルナーに変質者と叫んだことを思い出していた。
「仕方ねえな……」
「ナイスよぉウィルナー! その調子で時間稼いでぇ~」
サイカは逃走の準備を進めていた。このままだとジーヌがサイカを発見した途端に殺されかねない。ウィルナーが庇ったとして、それでも死に匹敵する酷い仕置きを受けそうだ。実験データは充分に取れた、あとは二人が街を離れた後でフィードバックすれば良い。
「別れの挨拶はできないけれど……そのうち、また会いましょ~」
ほとぼりが冷めた頃に。
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