第一部 竜の少女と研究者

daily life 1

第5話 少女の日々

「くァ……今日もいい朝……」


 早朝、とある丘の上。少女が日光浴をしていた。

 少女は毎朝、日が昇ると同時に目を覚ます。隣で眠るウィルナーにぶつからないよう、二人の基本住居であるテントからこっそり外に出て、太陽の光を浴びる。竜としての本能とかではなく、ジーヌが帝竜メリュジーヌとして万物の頂点に君臨していた頃からの癖だった。日々好き放題に暴力を振り撒くには健康が何よりも大切なのである。ちっぽけな少女になってからも変わることのない習慣だ。

 健康を重要視するジーヌが故に、当然夜更かしなどもってのほか。やれ研究だやれ資金繰りだと昼夜関係なく活動するウィルナーを咎めたりもしているが、今のところ効果はない。


 近くの木から鳥の声が聞こえてきた。

 人間ならば、ただ適当にさえずる様子を見て可愛いなどと思えるのだろうが、しかしジーヌは竜としての特性をしっかりその身に宿している。角や牙、尾といった身体的特徴だけでなく、異常な適応力もそのまま残っている。適応力は、この場面においては鳥のさえずりを言葉として理解する機能として発揮される。

 早朝からこの雌鳥は何をしていたのかというと、おそらく友であろう女性名を泣きながら何度も叫んでいた。あまりに煩いので「焼き鳥にするぞ」と脅しをかけたところ、後で焼いてもいいから話を聞いてくれと絡まれる。命を懸けた訴えなら聞いてやらなくもないと思ったのが運の尽き、雌鳥の話は友との出会いから始まり同じ雄鳥を奪い合ったことやらドロドロしたりバチバチやり合ったりを経て先日素敵な雄鳥と入籍したらしい。友に先を行かれてしまった感情か、それともライバルを失ってしまった喪失感か、どちらにせよとにかく悲しくてやりきれない思いを朝っぱらから叫んでいたのだという。

 ジーヌに話したら気分が晴れたのか、雌鳥は満足した様子だった。ジーヌも女と女の巨大感情物語にちょっと心が揺らいだので、雌鳥を焼くのはやめることにした。雌鳥は穏やかな青空の中に飛び去っていった。


「そろそろ起こすか」


 零れた涙を拭きながら拠点に戻る。

 ウィルナーはまだテントの中にいるようだ。


「おいウィルナー! 起きろウィルナー!」


 眠っているであろう研究者に声をかける。


「二度も言わなくても聞こえてるよ」


 応答が返ってきて三十秒後、簡易設営のテントから痩躯の男が現れた。よれよれの白衣とひび割れた丸眼鏡をかけた男。寝起きの軽運動を終えたウィルナーだ。


「遅いぞ! 三十秒も待たせやがって」

「いつも通りじゃないか」


 こうして、二人のいつも通りの朝が始まる。



 ×××



 ジーヌとウィルナーは街で何でも屋を名乗って依頼を請けているが、常日頃からそうしているわけではない。不足している物資があればこそ依頼をこなしているのであって、不足がなければウィルナーはほとんどの時間を竜の研究に費やしている。

 保管庫から取り出した研究機材、携帯端末に映るデータを見ながら、先日討伐した猪の肉片を何らかの液体に浸している。自然には絶対に存在しないであろう怪しい色をした液体を眺めつつ、ジーヌはウィルナーの背中に引っ付いている。身長百三十もない少女といえど多少の重量はあるので、ウィルナーは猫背のような体勢になる。


「…………」


 しかしウィルナーは何も言わない。ジーヌの接触に興味がないのか、集中しているのか、何も反応がない。


「……チッ」

 

 舌打ちをする少女。

 暇なのだ。端的に言えば、もっと構ってほしい。

 竜というものを解き明かそうとするウィルナーの研究にジーヌは必要不可欠な存在である。が、肉体のサンプルを提供するときや戦うとき以外、ジーヌは時間を持て余している。


「ウィルナー。依頼はないのか」

「無い」

「欲しいものは」

「今は無い」

「そろそろ休憩にしたらどうだ」

「まだ始めたばかり」


 再度舌打ち。少女は背中に引っ付いたまま、男の頬をつまんで引っ張った。


「ウィルナー。オレは暇だ。暴力が振るいたい」


 ウィルナーは無言で、割られていない薪を指差した。

 五分も経たず薪を引き裂き終わった。


「足りない……」

「いや、十分だよ。暫くはもつ」

「薪の話じゃねえよ! もっと力を振るいたいんだよオレは!」


 ウィルナーは急に立ち上がると空に向かって円盤を投擲した。

 ジーヌは円盤の飛ぶ方へ走ると口でキャッチした。


「オレは犬じゃねえ!」

「竜だな」

「分かってるなら、こう、喧嘩相手とか用意しろ。こないだの猪みたいな……殺意マシマシのやつ……」


 ジーヌは先日の討伐を思い出しながら、うっとりした表情で言う。


「気絶したのなんていつぶりだろ……」

「……ジーヌ。思い出に浸るのはいいが、あの様子では困る」


 ウィルナーは研究の手を止め、ジーヌを叱責する。

「あァ、雑魚のお前はヤバかったもんな」と言いつつ、少女は少しだけ反省する。確かにあのときジーヌは猪に不意を突かれて意識を失い、その間ウィルナーは危険に晒されたのだ。


「君が死ぬはずがないとは理解していても、あのように吹き飛ばされては若干なり私の肝も冷える。君は私にとって大切な、命よりも大切な――」

「……っ」

「――研究素体なのだから、もっと自分の身体に気を遣ってほしい」

「はあァー……。まあ、そうだろうけどもよ……」


 盛大にため息を吐くジーヌ。

「どうした?」と首を傾げるウィルナーを見て、ジーヌは重ねて息を吐いた。

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