第3話 罠の森

 その獣は、異常発達した牙と逆立った鱗のような皮を持つ猪だという。

 当初、街を襲って食べていたのは作物だったが、いつからか人を襲うようになった。血の味を覚えたのだ、と考えた住人が刺激せぬよう密かに後を追うと、その先で見つかったのは小さな竜の死骸だった。猪の食い残しと思しき竜の尾と、噛み砕かれた爪、鱗が周辺に散らばっていたそうだ。

「証拠品だ」とウィルナーが取り出した鱗の数枚を、ジーヌは受け取って確認する。それは確かに竜のものと思われた。


「…………」

「明確に喰っている場面が目撃された訳じゃない。が、こうして実物が手元にある以上、住人の予想を否定することもできない。可能性があるなら調査は必要だ」

「竜を喰う猪ね……。格落ちも著しいなァ、おい」


 もともと竜だったジーヌとしては思うところがあるのだろう、珍しくため息を吐いている。


「子供だとしても最強の種だぞ。それが喰われてるってのは、どうにも……」

「どうにも?」

「最近のガキは弱っちいな!」


 高笑いした。

 竜の少女は傲慢さを煮詰めたような性格をしているので、これは仕方ない。


「まあいいさ。頂点がいないんだ、弱るのも当然か」

「結局は喰った喰われたも噂でしかない。死体を漁っただけという場合もあるだろう。それも不思議な話ではあるが」

「どちらにしたってクソ猪は狩る」


 ジーヌは殺意に満ちた笑顔で言った。

 その殺意が何に由来するのか、ウィルナーには判断できない。食欲か、竜としての本能か、喰われた同類への憐憫か。敵討ちに熱を上げているとすればどうだろう。


「いや……」


 憐憫――するほどの心が、同情するほどの機微が。

 はたして、今のこの少女にもあるのだろうか。

 ウィルナーは考える。

 死ぬ竜はいる。いくら最強の生命体とはいえ、竜もひとつの生命である以上、寿命や病といった要因で死亡することはある。だが、殺された同胞を悼む機会となると非常に稀だ。人間相手ならば限りなくゼロに近い。

 まったくのゼロではない。竜は幾度も人を滅ぼした災禍ではあったが、打ち倒すこと自体が不可能だったわけではない。竜を討伐し、勇者と呼ばれた者たちがごく少数だけ歴史に記録されている。聖街と呼ばれる東の都には歴代勇者の名を刻んだ石碑があるという。


「いや……じゃねえよ、絶対仕留めるわ! というか歩くの遅いっ、先行くぞ!」


 ウィルナーの独り言を律義に拾いつつ、先を歩くジーヌの背を見る。背から目線を上に、立派な角が生えた少女の頭部を見つめる。

 勇者の伝承には、必ずといっていいほど竜の価値についての記述が付随する。

 竜の肉体は非常に重宝された。武具や農具、工芸品に加工すればその強度と美しさは他の追随を許さない。肉は良質な脂と噛み応えのある食感で、火で炙っただけでも一級品の料理に並ぶ。

 そうして余すところなく竜の身体は活用されるが、その中で最も高い価値を持つのは脳だ。

 本当に竜を喰っているとすれば、おそらくだろう。


「ところで、道は分かるのか?」

「まっすぐ!」

「違う」



 ×××



 森の中に、突如として霧が発生した。


「作為的なものを感じるね。警戒を怠らないように」

「お前は自分のことだけ考えとけ」


 ジーヌはウィルナーを庇うようにしながら、全身で周囲を探っている。不穏な気配や空気の動きがあれば即座に炎を向けられるよう、手の甲を爪で裂く。真っ赤な血が滴った。


「何かに乗じて仕掛けてくるとは考えていた。やはり知恵が付いている」

「予想はしてたってか。なら対策は?」

「していない」

「毎度のことだけど狩りで役立たず過ぎねえか?」


 ジーヌは日に三度の調理で役立たずなのだが、ここでの言及は控える。

 霧の中で二人、立ち尽くす。標的の気配はない。緊張の糸が切れた頃に襲うつもりだろう。ウィルナーは集中力の保持に長けているので苦はないが、幼女同然のリミットしかないジーヌは一分も経たないうちにキレた。


「あー、もう、しゃらくせえ! 燃えろ!」


 血を自身から円形に散らすと、回転して息を吐く。

 辺りを包んでいた霧を吹き飛ばすように、爆発的に炎が舞い上がった。

 瞬間――。

 攻めに転じたはずの少女が、ウィルナーの隣から消えた。数メートル先の大木まで吹き飛んだのだとウィルナーが理解した頃には、目の前に巨大な猪が現れていた。

 巨大なのは身体だけではない。異様なのはその牙だ。妙に捻じ曲がり、血と苔で汚らしい、恐ろしく巨大な牙。猪の半身ほどもある。皮は荒々しく逆立ち、土や血に濡れて固まっている。

 間違いない。こいつが標的だ。

 

「ヨワイ」


 猪は言った。異常な声帯から発せられた鳴き声ではない、人の言葉を扱っていた。


「速いな……。まったく気付けなかった」

「グフッ。ホカノニンゲンモ、オレニキヅカズ、シンダ」

「人語を介するということは、竜を喰らったという噂は真実のようだ」


 竜の脳を食べた者は知恵がつく。

 知恵がつく、というのは正しい表現ではない。傍からはただただ知恵がついたように見えるその現象に対して、もう少し適切な説明をしようとすれば『』となる。勇者は竜の脳を喰らい、まるで賢者か神のように人々のあらゆる問いに適切な答えを見出した。結果、その尽くが国の主となり、素晴らしい統治を行ったと伝えられている。

 どういった作用が働いているかは不明だが、死した竜の機能を継承しているのではないかとウィルナーは考えている。本来、竜は高い知性と適応力を持つ生物だ。どのような状況であれ、即座に解析し対処する。会話であれば、相手に通じる波長と音で返答する。居住環境であれば、時間さえ経てばどんな環境下でも生存が可能となる。細胞が適切な特性を備えるよう変化する。

 その予測が正しいか否かを、ウィルナーは知りたいと思う。

 竜を狩ることは難しい。だが、竜の機能を引き継いでいる可能性が高いこの獣を討伐し、解析することができれば――ウィルナーの研究は、また一歩前進するはずだ。


「問題は……」


 頼りの少女が、数メートル先で寝転がっているということだ。

 ウィルナーの戦闘能力は皆無だ。ジーヌが気絶する威力の突進をまともに受ければ、間違いなく胴体が吹き飛ぶだろう。ジーヌが意識を取り戻すまで時間を稼ぐ必要がある。


「話をしよう」

「……ハナシ?」


 ウィルナーの提案に、猪は疑問を返した。

 故に、ウィルナーは猪に確かな知性が発生していることを確信する。

 知性は興味を呼び起こす。興味は関心を。関心は疑問を、連鎖的に呼ぶ。そして答えを知ることで知性はさらなる進化を遂げていく。


「そうだ。興味があるだろう? お前を恐れない人間に」

「……コワクナイ、ノカ?」

「私はお前を恐れない。こうして平気で話しているだろう」

「…………。キョウミ、アル」


 かかった。

 ウィルナーの命がけの時間稼ぎが始まった。

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