DIVE_32 黒幕

「……ん? あれ? どうして開かないの」


 玄関扉は開かなかった。鈴森は何度もガチャガチャと取っ手を動かすが、それでも開かなかった。


「たぶん彼らが細工したんだ。僕らが出られないように」


 檜山はそう言って立ち上がった。


「……確かトイレに小窓があったわよね」


 鈴森は諦めず、今度はトイレへと向かった。


「まさかそこから出るつもりかい? 仮に出られたとしてもここは一階や二階じゃない」


 驚いた檜山は慌てて鈴森についていった。


「止めるつもりならついてこないで」


 鈴森は檜山に冷たく言い放ち、トイレに入った。トイレの上部後方には人がなんとか通れそうな大きさの小窓があった。


 鈴森は便座の上に乗って小窓を開けると、顔を出して外を見た。


「……ちょっと高いわね」


 鈴森はすぐに顔を引っ込めた。


 実際はちょっとどころじゃない高さだった。落ちれば間違いなく体は砕け散るだろう。


「だから言っただろう。ここは大人しく助けを待つほうがいい」

「そうだ!」


 何か思いついたらしい鈴森は檜山とその言葉を無視してリビングに戻った。


 カーテンとレース。ベッドカバーやシーツ、布団のカバー。テーブルクロスやタオルなど、鈴森は部屋中のありとあらゆる布を集めた。そして端を結んでいった。


「もしかしてそれで下まで行くのかい……?」


 信じられないといった顏で檜山は聞いた。


「下まで下りるつもりはないわ。下の階まで行ければいいの。そこで誰かに助けを求めるわ。ダメならガラスを割って中に入る。それもダメだったなら、入れそうな場所を探して中に入るか、また別の方法を考えるわ」


 鈴森は冗談ではなく本気で答えた。


「あまりに無謀だ。危険すぎる」


 檜山は鈴森の隣に立ち、引き留めようとする。


「よし、できた」


 だが鈴森は耳を貸さず、布のロープを完成させた。一繋ぎになった長い布をずるずるとトイレまで引っ張っていく。


「お願いだ、やめてくれ。そんな危険なこときっと亮司君も望まない」


 檜山は鈴森のすぐ後ろを歩いて必死に説得する。


 鈴森はそれらを無視してトイレに入った。便器の下に布のロープをぐるぐると巻きつけて何度も何度もしっかり結んだ。


 あとは結んでいないもう片端を小窓の外に放り投げるだけ。鈴森は片端を持って便座の上に立ち、小窓から放り投げようと振りかぶった。


「邪魔をしないで」


 振りかぶったその腕を檜山は掴んでいた。


「違う。その役目は僕が引き受ける」


 檜山は覚悟を決めた顔で言った。


「……本気で言ってるの? つまらない嘘で時間を稼ごうとしているんじゃないの?」

「本気さ」


 檜山は鈴森から布のロープを取り上げて小窓から放り投げると、


「……もしもそっちに誰かが来たら頼む」


 布のロープを握って小窓から外に出ていった。


 まさか本当に行くとは思わず鈴森は驚いた。小窓から顔を出すと、風に煽られながら懸命に下へ下りていく檜山の姿があった。


「ほんと、馬鹿真面目ね……」


 鈴森ははらはらしながら檜山をじっと見つめる。風が吹くたびに檜山の体はゆらりゆらりと大きく揺れ、鈴森の心も同様に大きく揺れた。


 緊張と安心の連続でさすがに見ていられなくなった鈴森は一旦顔を引っ込めて深呼吸をした。その時だった。


 玄関のほうからドンドンと音がした。誰かが扉を激しく叩いているようだ。


 音に気づいた鈴森は玄関のほうへ急いで走っていった。


「誰かそこにいるの! ?」


 玄関前に立った鈴森は大声で聞いた。すると、


「その声は……鈴森さんだったかな? 私です、良川です!」


 扉の向こうから返事が返ってきた。


「扉が開かないの! 早くここから出して!」


 鈴森は単刀直入に言った。


「扉が……分かりました! ちょっと待っていてください!」


 その返事を聞いた鈴森は急いでトイレに戻り、


「檜山ー! 玄関は開いたわ! 戻ってきて!」


 小窓から顔を出して下にいる檜山に伝えた。


 ガラスを割ろうと何度も蹴りや体当たりを試みていた檜山は見上げたあと、上のほうへ登っていった。


「あと少し! 気を抜かないでよ!」


 鈴森の声援を受けながら、檜山は小窓のところまで戻ってきた。片方の手をロープから離して窓枠を掴んだ。もう一方の手もロープから離して窓枠を掴んだ。


 が、檜山はふっと力が抜けて片手を滑らせた。


「危ない!」


 鈴森は滑らせたその手を両手で掴んだ。


「……早く、上がってきなさい!」


 鈴森は細い腕で力の限り引っ張った。


「ごめん。もう力が入らない」


 檜山は諦めの入った声で言った。窓枠を掴んでいる手も震えて徐々に後退している。


「何諦めてんのよ! あと少しでしょうが! しっかりしなさい!」


 鈴森は顔を真っ赤にして踏ん張るが、長くは持ちそうになかった。


 そんな危機的状況の中、鈴森の隣にふっと誰かが立った。その誰かは檜山の滑り落ちそうなもう一方の手を掴んだ。


「鈴森さん。せーので一気に引き上げましょう」


 その誰かは良川だった。鈴森はこくりと頷いた。


 二人はせーので思いっきり引っ張った。一度目で顔が見えた。二度目で上半身が帰ってきた。そして三度目で全身が帰ってきた。


「……ありがとう」


 生還した檜山は真っ先に礼を言った。


「あいたたた……」


 良川はその場に座り込んで腰をさすっていた。慣れないことをしたから腰を痛めたのだろう。


 鈴森はぎゅうぎゅう詰めになったトイレからいち早く脱出して、


「さあ、亮司を捜しにいくわよ」と言った。休むつもりも休ませるつもりもないようだ。

「その前に一度、リビングで話し合おう」


 檜山は立ち上がり、冷静に言葉を返した。


「……分かったわ」


 案外あっさりと鈴森は聞き入れた。感情が先行しているだけで、頭では闇雲に捜しても意味がないと分かっているのだ。


「肩貸します」

「ああ、すみません」


 檜山は座り込む良川に肩を貸してリビングへ向かった。鈴森はそのあとに続いた。


 各々ソファに腰を下ろして、話し合いの雰囲気を作った。


「それで、これからどうやって亮司を捜す? 何か手がかりがあればいいんだけど」


 鈴森は大きなソファに座って足を組み、最初に口を開いた。


「良川さんは事情を把握しているんですか?」

「部下から一応は聞いていますが、完全に把握したわけでは……」


 良川は檜山の問いに目を伏せて答えた。


「なら僕から説明します。全てを」


 檜山は良川に事情を説明した。言い辛いはずの自分のことも含めて。


「……なるほど。やはり……。実は誰が事件の黒幕なのか、見当はついていたんです。それが今、確信に変わりました」

「……で、誰なの?」


 鈴森は一人で納得する良川に聞いた。


「はい。村雲亮司むらくもりょうじで間違いないでしょう。エイジ君の父親であり、アメリカにある本社の幹部社員。TRUE WORLDの立ち上げにも携わった一人です」と良川は答えた。

「亮司って……同名?」

「漢字も同じですね。彼は離婚歴がありますから、もしかすると霧谷さんは前妻の子かもしれません」


 その答えに鈴森は息を呑むほど驚いた。同じ名だと知っていた檜山も驚きを隠せないようだった。


「じゃあ亮司は黒幕の息子ってこと……?」

「はい。前妻との間に子供がいれば、そういうことになります」


 鈴森の確認に、良川は深く頷いた。



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