DIVE_31 奪還と裏切り

「あるよ。記憶をなくして覚えてないだろうけど」

「……それはいつの話ですか?」


 亮司が表情を険しくして聞くと、


「亮司君が鈴森さんと一緒にショッピングモールに行ったあの日の前日かな。僕が自宅の住所を聞いたら快く教えてくれたよ」


 檜山は思いだす素振りすら見せずにすらすらと答えた。


「そう、だったんですか」


 亮司は納得した。いや納得させられた。すっぽり抜け落ちたように覚えていないのだから信じるより他はないのだ。


「なるほど。だから亮司の自宅を知ってたのね」


 鈴森も納得したようで、うんうんと何度も頷いていた。


「けど何のために自宅の住所を聞いたの? 私としてはそこが気になるわ」

「あ、ああ。えーと確か……そう! 最近、お菓子作りを始めてさ、試しに作ったクッキーを食べてもらおうと思ったんだ」


 何気ない鈴森の質問に、檜山は少々の焦りを見せて答えた。


「クッキー? 檜山が?」

「そうだよ。趣味で料理をやっていて、お菓子作りのほうにも手を出したんだ」

「……私より女の子っぽいわね」


 鈴森はショックを受けたようだった。


「今度、鈴森さんの分も作るよ。どんなのがいいかな?」

「なんでもいいわ。それよりも私に作り方を教えて」


 鈴森は質問を適当に流してお願いした。


「始めたばかりだから、あまり上手には教えられないと思うよ。それでも良ければ、一緒に作りながら教えるけど、どうする?」


 檜山が聞くと鈴森はこくりと頷いた。


「……分かった。明日外で材料を買ってくるよ」


 檜山は携帯を取りだして、明日買う材料をメモしていった。


 そのあと、三人は飲み食いしながら夜遅くまで語り合った。

 他愛無い話やこれからの話、今まで話せなかった現実世界の自分たちについての話。非常に濃い内容であった。




 翌朝。亮司は目覚まし時計ではなく、玄関扉の開いた音で目を覚ました。


「……誰だ」


 亮司はベッドから降り、寝ぼけ眼をこすりながら玄関に向かった。


「おはようございます」


 リビングには日本ラジエイト社の女性社員がいた。その女性社員は丁寧に一礼して挨拶をした。


「朝食の弁当をお持ちしました。こちらに置いておきますね」

「ああ、はい」


 女性社員はリビングテーブルに弁当を置いて、部屋から出ていった。


「…………」


 亮司は言葉では言い表せない妙な気分になった。頭が十分に働いていない隙だらけの時に他人と出会えばそうもなるだろう。


 亮司は眠気とその妙な気分を洗い流すために洗面所へ向かった。

 洗面所で顔を洗い、眠気も気分もすっきりした亮司が鏡で自分の顔をじっと見つめていると、コンコンと玄関扉を叩く音が聞こえた。


「はーい!」


 亮司は急ぎ足で玄関に向かい、扉を開けた。

 そこには朝食の弁当を持った鈴森と檜山がいた。


「みんなで食べましょ」


 鈴森がそう言うと、亮司は返事の代わりに扉を大きく開けた。


「ありがと」


 鈴森は礼を言って亮司の部屋に入った。それに続いて、


「おはよう。それとお邪魔します」


 檜山も部屋に入った。


 亮司は扉をしっかり閉めて自分もリビングへと向かった。


 リビングに全員揃ったところで、三人は昨夜と同じ場所に座って朝食を食べた。


「ふうー。ごちそうさま」


 最後に箸を置いたのは亮司だった。他の二人はすでに食べ終わっており、膨れた腹を休めている。


「口直しに、このガム食べるかい?」


 檜山は包み紙に入ったチューインガムを亮司に差しだした。


「あ、食べます」


 亮司は受け取り、包み紙を開けてチューインガムを口に放り込んだ。グリーンミント味だった。


「味がなくなったら吐きださずに飲み込んでね。そういうガムなんだ」

「そうなんですか」


 亮司はそういうガムなのだと納得して包み紙を捨てた。


 それから三人が食後の談笑を楽しみつつゆったりテレビを見ていると、突如乱暴に玄関扉が開かれた。


 三人は一斉に玄関扉のほうを見た。


 開かれた玄関扉からぞろぞろと屈強な男たちが断りなしに入ってきた。


「え、ちょっと、どういうこと」


 鈴森はしきりに視線を動かしてうろたえる。


「お前たちは……」


 亮司は来訪者に対して刺すような視線を送った。その来訪者は亮司を追ってきた者たちだった。


「ターゲットを連れていけ」


 黒帽子の男が命令すると、部下らしき男二人が亮司の腕を掴んだ。


「…………」


 亮司は抵抗しなかった。ここで暴れることの無意味さを分かっていたからだ。


 仮にここで行動を起こしてもすぐに捕縛され、抵抗しても傷を増やすだけで、良いことは全くない。それどころか鈴森や檜山にまで害が及ぶ可能性もあるのだ。


「そのうちきっと戻ってくるから、心配はいらないよ」


 そう言い残した亮司は男二人にどこかへと連れていかれた。


 鈴森は声も出せずにただただ呆然と見送っていた。檜山はなぜか落ち着いていた。


 亮司の姿が完全に消えた頃、玄関のほうから華奢な男がやってきた。その男は外国人顏で亮司に雰囲気が似ていた。


「ご苦労だったな。檜山」


 華奢な男は開口一番に言った。


「……はい」


 檜山は目を伏せて静かに返事をした。


「え……。檜山、これはどういうことなの……?」


 状況が全く理解できない鈴森はすがるような目で檜山に問うた。


「そこの檜山は私の付き人だ。仮想世界における君らの監視役でもある」


 檜山が口を開く前に、華奢な男がそう答えた。


「そ、そんな馬鹿なことって。嘘……よね?」


 鈴森は目を見開いて檜山に確認をとった。


「本当だ。四年前から僕が君たちの監視役になった」


 檜山は答えた。華奢な男の言ったことは本当だったのだ。


「……四年前ってことはつまり、最初から……」

「…………」


 檜山は黙った。それこそが答えだった。


「目的は達成した。帰るぞ」


 華奢な男がそう告げると、屈強な男たちは急いで部屋から出ていった。黒帽子の男だけは出ていかず、華奢な男の隣にいた。おそらくボディガードも兼ねているのだろう。


「お前とはここでお別れだ」


 華奢な男は行動をともにするために立ち上がった檜山に言った。


「……え?」


 思わぬ言葉に檜山はきょとんとした。


「計画には順序というものがある。それをお前は乱した」

「…………」


 檜山はやはりという表情を浮かべた。その男の言うことをしっかり理解しているようだ。


「しかしお前の勝手な行動によって非常に有用なデータが取れたのも事実」


 華奢な男のその言葉に、檜山は目を見張った。


「その成果に免じて、お前たちを消すのはなしにしてやる。最後の温情だ。だから邪魔をしてくれるなよ。俺も手を汚したくはない」


 華奢な男の口から飛びだした衝撃的なワードに鈴森と檜山は愕然とした。


「行くぞ」


 華奢な男は隣に告げて踵を返した。黒帽子の男はそれに従った。


 嵐は過ぎ去り、亮司の部屋には鈴森と檜山だけが取り残された。


「……檜山!」


 鈴森は激昂して檜山の胸倉に掴みかかった。


「これから亮司がどこに行くのか教えなさい!」

「…………」


 檜山は申し訳なさそうな顔で首を横に振った。


「じゃあこれから亮司がどうなるのか教えなさい!」

「……ごめんよ。全然知らないんだ」


 檜山は鈴森の質問に全く答えられなかった。


「この役立たず! 嘘つき! 裏切り者! 人でなし!」


 鈴森は目に涙を浮かべながらソファのクッションで檜山を何度も殴った。


「信じてたのに! 味方だと思ったのに! 友達だと思ったのに! どうしてあんな奴らの仲間なのよ!」

「…………」


 無抵抗で殴られ続ける檜山。言いたいことがあるようだが、今はその時ではないと、ただひたすらに耐えた。


 やがて怒り疲れた鈴森はクッションを置いてソファに腰を下ろした。


 今がその時だと、檜山は小さく深呼吸してから口を開いた。


「途中何度も辞退を申し入れようとしたけど……結局できなかった。さっきの彼、エイジの父親には大きな恩があるんだ。それのおかげで今の僕があると言ってもいい」

「…………」


 鈴森は一切言葉を発さない。


「君たちに許してもらおうとは思わない。僕はそれだけのことをした。だけどこれだけは言わせてほしい、聞いてほしい。君たちと過ごしたあの四年間は嘘じゃない。笑って、怒って、悲しんだあの僕は正真正銘本当の僕だ」


 檜山は精一杯の誠意を込めて話し続ける。


 鈴森はそっぽを向いて聞いていない振りをしているが、本当はしっかりと聞いていた。


「友と呼べる者がいなかった僕にとって、君たちと過ごした日々は、幸せの一言に尽きるものだった。本当に毎日が楽しかった……」


 檜山は四年間の幸せな日々を思いだし感慨に浸った。もう話は終わりのようだ。


 鈴森はソファから立ち上がり、玄関のほうへ向かった。


「……どこに行くんだい?」


 檜山がそう声をかけると、


「どこって、亮司を捜しにいくのよ」


 鈴森は振り返らず止まらず、玄関扉の取っ手に手をかけた。



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