DIVE_30 ふとした疑念
荷物のない亮司はさっそくベッドに寝転がろうと寝室へ向かった。
「……あ」
だが途中で、亮司は自分の足が汚れていることに気づいた。右足を上げて裏を見てみると、汚れと血で染まっていた。所々にカサブタがあり、いつの日か踏んだガラスの破片は刺さっていないようだった。
亮司がバスルームに行き足を洗っていると、コンコンと玄関扉を叩く音がした。
「はーい!」
亮司は急いでタオルで足を拭いて玄関に向かい、扉を開けた。
「来たわよ」
笑顔の鈴森はためらいなく亮司の部屋に入ってきた。
「うーん。やっぱり内装は一緒ね」
鈴森はあちこち視線を巡らせながら部屋をうろつく。
「こっちに来ても面白いものは何もないよ」
「確かに面白いものはないけど、一人でいるよりはずっといいわ」
鈴森は大きめのソファに寝転がった。
「何か遊べる物持ってくれば良かったわね。ここはDIVEもないみたいだし」
自宅にいるかのようなくつろぎ方で鈴森はテレビの電源を入れた。静かな部屋が少しだけ賑やかになった。
「しばらくは退屈だけど、毎日誰かの視線を感じて追われるよりはましだ」
亮司は言いながら一人掛けのソファに座った。
「確かに。あのせいでだいぶストレスが溜まったし、すごく怖かったし」
鈴森は仰向けになって返事をした。
「今はすごく安心できるわ。亮司もいるしね」
「俺はそんな役に立たないと思うけど」
亮司がそう言うと、鈴森は天井を軽く睨んで、
「精神的な支えってことよ」
分かりなさいと言わんばかりの口調で言葉を返した。それで亮司はなるほどと頷いた。
「ちょっとコーヒー入れてくるよ」
亮司はソファから立ち上がってキッチンに向かった。
キッチンの棚で瓶を見つけ、亮司がインスタントコーヒーを作っていると、
「……ねえ、亮司」
後ろから鈴森が声をかけてきた。
「もしも私に何かあったら、どうする?」
「うーん……」
亮司の頭は即座に見捨てるという答えを出したが、それは退けられた。
「近くにいるなら守る。どこかに連れ去られたなら助けにいくよ」
亮司はコップの中をスプーンでかき混ぜながら、心の赴くままに答えた。
「…………」
鈴森は思わず目頭が熱くなって静かに息を吐いた。自分の好きな亮司はまだ消えていないと、確かに存在していると分かったのだ。
泣くつもりはないらしく鈴森は必死に我慢して涙を引っ込めたあと、
「……思いだすの待ってるから。いえ、思いだせなかったとしてももう一度……」
亮司に聞こえない音量でそう呟いた。
亮司と鈴森は熟年夫婦のような落ち着いた雰囲気でテレビを見つつ、時より言葉を交わして時間を潰していた。
コンコン。玄関のほうから音がした。時刻はもう午後七時前。夕飯時だ。
「誰だろう」
お腹が空いたなと思いつつ亮司は玄関に向かい、扉を開けた。
「こんばんは」
扉を開けるとそこに檜山の顏があった。
「檜山さん。てっきり来るのは明日以降と思ってましたよ」
亮司は少々の驚きをこめて言った。ヒーナとは気軽に接することができるが、檜山にはまだ慣れておらず、話し方といい、微妙な距離感だ。
「檜山も来たのー?」
檜山と聞き、鈴森は玄関に小走りでやってきた。
「あれ、鈴森さんの部屋はこの向かいって聞いたけど」
「一人じゃ暇だから遊びに来てるのよ」
鈴森は小首をかしげる檜山にそう返事した。
「なるほど。じゃあ僕も暇だから、仲間に入れてもらってもいいかな」
「ああ、はい。どうぞどうぞ」
亮司は扉を大きく開けて後ろに下がり、通りやすくした。
「ありがとう。お邪魔します」
檜山は礼を言って亮司の部屋に入った。
「檜山。それは何?」
鈴森は檜山が持っている大きな紙袋を指さした。
「ああ。みんなで食べようかなと思って色々買ってきたんだ」
檜山は紙袋の中をちらりと見せて答えた。中にはたくさんの菓子やおつまみが入っていた。
「さっすがー。気が利くわねー。丁度お腹が空いてきたところだったの」
鈴森は喜び、お腹をさすった。
「あと下に三人分の弁当も入ってるよ。夕食用にって受付の人から頼まれたんだ。それとこれからは朝昼夕と弁当を持ってきてくれるってさ」
「あ、その辺はちゃんと考えてくれてたのね。ご飯は自分で用意しなきゃいけないと思ってたわ」
鈴森は安心の表情を浮かべた。
「ははは。ここの出入りも一苦労だからね」
檜山は笑いながら歩いてリビングテーブルの上に紙袋を置いた。そして中から菓子やおつまみ、弁当を出していった。
食事の準備が整う中、亮司は気を利かせて三人分の緑茶をコップに入れて持ってきた。
「亮司も気が利くわね」
鈴森はすでにソファに座って待っていた。手伝う気は更々ないようだ。
「あのさ……まあいいや」
亮司は鈴森に小言を言おうとしたが面倒臭くなってやめた。
「何よ。気になるじゃない」
鈴森は不満そうな顏で食いついてきた。
「次に何かあったら手伝ってくれよってこと」
「……うーん。分かった。次何かあったら手伝うわよ」
「…………」
絶対に手伝わないだろうなと思いつつ、亮司は一人掛けのソファに座った。テーブルの向こうで同じ一人掛けのソファに座った檜山も同じことを思っていそうだった。
「準備もできたし、食べようか」
檜山の言葉に二人は頷いた。
ソファに座ったままだと食べにくいので、亮司たちは床に座り直し「いただきます」と言って弁当を食べ始めた。
「……そういえば、こっちの世界にこうして三人で集まるのってあの日以来じゃない?」
「あの日っていうと、初の顔合わせの時かな。うん。確かにそうだね」
檜山は顔と視線をわずかに上げて、鈴森の言うあの日を思いだした。
「ばたばたしてたせいか、遠い昔の出来事のように思えるわ」
鈴森は一度箸を置いて大きなため息をついた。
「…………」
ばたばたさせた原因である亮司は罪悪感からか、わずかに視線を下げた。
「檜山が亮司の自宅を教えてくれなかったら、事はもっと長引いていたかも。本当にありがとう」
鈴森は頭を下げて心の底から感謝した。
「礼を言われるようなことはしてないよ。助けたい気持ちは僕も同じだったんだから」
檜山は戸惑い、胸の前で両手を振った。
「でも、どうして知っていたのに嘘をついて渋ってたの? もっと早く教えてくれれば良かったのに……」
顔を上げた鈴森は胸に引っかかっていた疑問を檜山にぶつけた。
「直接会うということは、亮司君の逃げ道を無理やり塞ぐということ。そんな状況下で果たして心を開いてくれるのか、余計に溝を深めるだけなのではと思ったんだ」
「……色々と考えてたのね。知らなかったわ」
鈴森は胸の引っかかりが取れた顔になった。
「本当は時機を見て話すつもりだった。亮司君がこちらに向けて何らかのアクションを起こした時にね」
檜山はそう言って亮司を見た。
亮司は檜山と目が合い、すぐに逸らした。このまま目を合わせていたら何もかも見透かされてしまう、そんな気がしたのだ。
「……ん?」
檜山の視線を受けたことで、亮司の脳裏にふとある疑問が浮かんだ。
「檜山さんに自宅の住所を教えたことありましたっけ……?」
亮司は檜山と目を合わせぬまま問うた。
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