DIVE_26 八○五号室

 集合場所の喫茶店には鈴森が先に到着し、遅れて檜山が到着した。席は密室かつ防音対策がしっかりされているボックス席だった。


「ごめん。遅くなった」

「気にしなくていいわ。座って」


 鈴森は向かいの席を指さして言った。檜山はその通りにした。


「さっそくだけど……まずはどこから探す?」


 鈴森は持参した紙の地図をテーブルの上に広げた。現在地と鈴森の自宅には赤い丸が付いている。


「私的にはこの範囲のどこかにいると思うのよね」


 鈴森はそう言うと黒いペンを取りだし、現在地を中心に丸で大きく囲った。


「どうしてそう思ったんだい?」

「どうしても何も、亮司は自宅からここに自転車で難なく来られるのよ? それならこの範囲が妥当じゃない?」


 鈴森は地図上を指で触りながら答えた。


「うーん。そうは言ってもなあ……。自宅から来ているという確証はないし、知らないだけで自転車以外の交通手段も実は持っているのかもしれない。ものすごく体力があって自転車をこぐスピードが速いってこともある」


 檜山の否定的な発言に鈴森は肩を落とした。


「……それを言ったら何もできないじゃない。いつもなら前向きに考えていくのに、どうして今日はそう否定的なの?」

「……それは……」


 痛いところを突かれたのか、檜山は言葉に詰まった。それを鈴森は見逃さなかった。


「……何か隠してるわね。言いなさい」


 鈴森は睨むような目つきで言い放った。


「いや、僕は何も隠してないよ」


 檜山は誤解だと両手を前に出して左右に振った。


「今一瞬、私から目を逸らしたわね」


 鈴森のその言葉に、檜山は片眉をピクリと動かした。


「お願い、何か知ってるなら教えて。今は少しでも手がかりがほしいの。あなただって亮司をこのままにしておきたくないでしょう?」

「…………」


 問い詰められた檜山は俯いて黙り込んだ。


 二人の間に沈黙の時が流れる。俯いて目を合わせない檜山に対し、鈴森は顔を上げた瞬間に目が合うよう視線を調整していた。


 そしてその沈黙を破るようにして檜山が突然立ち上がった。驚いた鈴森は思わず少しのけぞった。


「このマンションの八階、八○五号室」


 檜山は地図上のある場所を指さして言った。それは亮司の住むマンションだった。


「このことは他言無用で。それじゃあ僕は帰るよ」


 檜山はそう言い残して部屋から出ようとした。


「ちょっと! どういうことよ!」


 鈴森は慌てて檜山の服を引っ張り、引き止めた。


「そこに行けば分かる」


 檜山は言いながら鈴森の手をそっと引き剥がして、そのまま部屋から出ていった。


「……まさか、ね」


 部屋に一人残された鈴森はぼそりと呟いたあと立ち上がって部屋を出た。そこに檜山の姿はなかった。

鈴森は携帯電話を弄りながらカウンター近くのレジで料金を支払い、店を出た。


「……よし」


 軽く深呼吸した鈴森は右手の携帯電話を見ながら歩きだした。携帯電話の画面には地図が表示されており、亮司宅への道筋が書かれていた。


「…………」


 亮司宅へ向かおうとする鈴森を後ろからじっと見つめている檜山。あとを追うつもりはないようだった。


 鈴森は携帯電話のナビゲートに従い、黙々と進んでいく。それにつれて周りの高層マンションの数が減っていった。


「……ん?」


 途中、鈴森は振り返った。しかしそこには誰もいない。


 鈴森は首を傾げて再び歩きだした。どうやら誰かの気配を感じたらしい。


 それから鈴森は後ろを気にしつつ早足で歩いて亮司の住むマンションまでやってきた。


「……ここが」


 鈴森は目の前のマンションを一度見上げてから中に入っていった。


 マンションロビーには高齢の男性警備員がいた。椅子に座ってうつらうつらとしている。


「…………」


 起こすのは悪いと思ったのか、鈴森は声をかけずに奥のエレベーターへ向かった。


「酷いセキュリティね……」


 信じられないといった顏で鈴森はエレベーターに乗り、八階のボタンを押した。


 あっという間に八階へ到着し、鈴森はエレベーターから降りた。


「えーと……八○五……八○五……」


 部屋番号を見ながら廊下を歩く鈴森。


「あ! あった」


 鈴森は八○五号室を発見した。他の部屋と違って表札はなかった。


 鈴森はさっそく玄関チャイムを鳴らすが、誰も出てこずもう一度玄関チャイムを鳴らした。


「…………」


 結果は同じだった。誰かが来るどころか足音一つ聞こえてこなかった。


「もう! 出てこないならどうすればいいのよ」


 苛立ちを見せ始めた鈴森がふと玄関扉の下に目をやると、


「……ん?」


 何やら扉が少し手前に出ているのが見えた。


「…………」


 鈴森はごくりと唾を飲み込み、玄関扉の取っ手に手をかけた。そしてゆっくりと手前に引いた。


 玄関扉はギィと小さな音を立てて開いた。玄関扉は小枝のせいで完全に閉まり切っていなかったのだ。


「……檜山。もしも間違ってたらあとでぶっ飛ばすからね」


 鈴森は物騒なこと言って亮司宅に入っていった。


 家の中は不気味なくらいしんと静かで、電灯は点いていなかった。


 鈴森は短い廊下を歩いてリビングへ通ずる扉を開いた。


「……な、何よこれ……」


 扉を開けた先に広がっていたのは荒れ放題の部屋だった。荒れ具合は前と変わっていなかった。どうやら亮司が暴れたのはあの日だけらしい。


 鈴森は部屋の隅に視線を向けた。そこには現在稼働中のDIVEがあった。


 鈴森は足元に気をつけながらDIVEの前まで向かい、しゃがみ込んだ。


「……ええと確かこの辺に……」


 DIVEの下部、側面をまさぐる鈴森。強制ログアウトスイッチを探しているようだ。


「あ、あったあった」


 鈴森はカバーをスライドさせてスイッチを露出させ、グッと押した。そうするとDIVEは機械的な音を発した。それが止んだ頃、自動的に扉が開いた。


「……いったい何が」


 目覚めた亮司は困惑した表情でDIVEから出てきた。その際、外で待ち受けていた鈴森と目が合った。


「すぐに逃げるから、直接会いに来たわ」


 鈴森は驚く亮司に向かって言った。


「……どうしてここにいる」

「家の鍵、開いてたから」

「そうじゃない。どうしてここが分かったんだ」

「それは秘密よ」


 鈴森は檜山に言われた通り答えなかった。


「……今すぐ帰ってくれ」


 亮司は鈴森から目を逸らして言い、ソファのほうへよろよろと歩いていった。


「あなたが元に戻ったら帰るわ」

「元に戻るも何も、これが本当の俺だよ」


 亮司はソファに座り、鋭い目つきで鈴森を見た。


「……もしそうだったとしても、なぜ私たちを避けるの?」


 鈴森は亮司の前までやってきて、見下ろしながら言った。


「…………。お前たちといると……引っ張られるんだよ、偽物に。それで胸が苦しくなるんだよ」


 しばしの沈黙後、亮司は小さな声で答えた。


「……それは私たちと一緒じゃ本当の自分が出せないってこと?」

「そう」

「じゃあ、今までのは全部演技だったってわけ?」

「そうだよ。お前と同じ演技。上手かっただろ」

「……私を好きになってくれたのも、私とキスをしたのも、私と付き合い始めた日の記憶を忘れたのも、私のことを思ってメールしてくれたのも、全て演技?」

「それも全部演技、演技、演技」


 亮司は鈴森の質問に答えていった。


「……嘘ね」


 鈴森はぽつりと一言漏らした。


「嘘じゃない」

「いいえ。嘘よ。私には分かる。あなたのことをずっと見ていた私には」


 鈴森は真剣な表情で亮司の言葉を否定した。


「今の亮司は私が好きだった根本の部分まで変わってる。まるで別人みたいだわ」


 鈴森のその言葉が癇に障ったのか亮司は急に立ち上がって、


「どこが変わったって言うんだよ! お前が俺らしさを勝手に決めるなよ! この俺が本当の俺だって言ってるんだ! 違うはずないだろ!」


 憎しみのこもった言葉を機関銃のように口から発した。


「……そういうところ、前はなかった。前は怒ってもちゃんと優しさがこもってて、すぐに仲直りできる未来が見えてたのに」


 鈴森は一歩も引かず、亮司の目を見据える。


「ねえ、誰かに唆されたんじゃないの? ……例えばカードの持ち主とかに」


 その言葉を聞いた瞬間、亮司は後ずさりをした。しかしソファの下部に足が当たり、ストンと倒れるようにしてソファへ座った。


「やっぱり、そうだったのね」


 鈴森は疑いを確信に変えた。


「……違う。そうじゃない。全部俺の意思で……」


「自分の意思だと本当に心の底から誓える?」


 鈴森は亮司の言葉に被せるようにして聞いた。


「……あ……」


 亮司は誓えると言おうとした。それなのに出たのは掠れた声だった。


「亮司。そんな素性も知れない人に騙されないで。私たちの元に帰ってきて」


 鈴森は亮司に近づいて背中に手を回し、肩に顔を置いた。亮司は抵抗しなかった。


「お願いだから、元に戻って……思いだして……」


 鈴森は強く祈るようにして言った。その声は震えていた。


「…………」


 亮司は何も答えず、ただただ鈴森の体温を感じていた。その表情は抱きしめられて戸惑う母の愛を知らない子供のようであった。


 二人はその体勢のまま言葉を発さずにじっとしていた。


 やがて鈴森は顔を上げ、背中に回した手を解いて立ち上がった。そして、


「いつもの公園で待ってるから」


 それだけ言い残して帰っていった。


 部屋に一人残された亮司は、ふと鈴森の顏が乗っていた肩を触った。


「…………」


 ほんのり湿っていてまだ温かかった。



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