DIVE_22 閉まった扉、その中へ

 昼食後。二人は満たされた顏でラーメン屋から出てきた。


「さあて! ショッピングに出かけましょうか」


 鈴森はやっと出れたと言わんばかりに大きく背伸びをした。


「あまり大きい物は買うなよ。俺が荷物持ちなんだから」

「分かってる分かってる。それじゃ行きましょ」


 鈴森はそっと右手を差しだした。亮司はどういう意味かすぐに理解。仕方がないと頷いてからその手をしっかりと握った。


 亮司たちはまず今いる一階の化粧品エリアに向かった。そこで鈴森は店員と相談をしながら、いくつか購入した。その様子を亮司はただただ黙って見ていた。


 次に向かったのは同じく一階の香水店。ここは亮司が店長のプレゼント選びの際に訪れた場所だ。亮司はその時を思いだし、鈴森に合いそうな香水を選んでみた。だがしかし好みじゃないと突き返された。


 結局のところ鈴森は亮司が選ばず触れもしなかった香水を一つ購入した。そして二人は次の場所へと向かった。


 二階の南エリア奥にひっそりと存在する小さな雑貨店。亮司たちはそこに入った。店内にはバラエティ雑貨や生活雑貨、食品に文房具、本、洋服や靴、奇妙な性用品などが所狭しと並んでいた。そのどれもが店主の好みであることは明々白々だった。


 鈴森はそこで掘りだし物がないかと亮司の存在を忘れて物色した。その結果、胴の長い犬と猫のクリップと落書きにしか見えない絵が描かれたハンドタオル一枚を購入した。


 店を出た鈴森は大変満足げで、一方の亮司はよく分からないと首を傾げていた。


 物を選ぶというのはやはり時間がかかるものであり、開始からもうすぐ五時間が経過しようとしていた。


「あれって、檜山じゃない?」


 次の場所に向かう途中、鈴森はフードコートで立っている檜山の姿を見つけた。


「あ、本当だ。こんなところで何やってるんだろ」


 亮司の目から見てもその男は間違いなく檜山だった。


「ねえ、行ってみましょ」


 鈴森はそう言うや否や一人で檜山のもとへ小走りで向かっていった。亮司は大切な荷物に注意しながら鈴森のあとを追った。


「檜山。こんなところで奇遇ね」

「あ、鈴森さん、と亮司君も。奇遇だね」


 檜山は少々驚いた顔を鈴森と亮司に向けた。


「観光に行ってるんじゃなかったの?」


 今日は少し遠出すると檜山から聞いていた亮司は小首をひねった。


「ああ。それならもう行ってきたよ。それでお腹が空いたからここで夕飯を済ませようと思ったんだ。君たちは?」

「デート中よ」


 鈴森はわざとらしく言って亮司に抱きついた。亮司は自然な動作で振り払った。


「それはそれは、驚いたね」

「いや、檜山さんの想像してるものとは違いますよ。買い物に付き合って荷物持ちをしてるだけです」


 亮司は誤解を生まないようにちゃんと訂正した。


「なんだ、そういうことかい。でも前よりはずっと仲良くなったみたいだね。あの喧嘩がもう見られなくなるのは少し残念だけど」


 檜山は理解し、冗談を交えて言った。


「そのうちまた見れますよ。基本はいつも通りなんだし」


 亮司は面倒臭そうにため息をついた。


「ははは。まあ確かにね。……それじゃあそろそろ僕は行くよ」

「あ、ごめんね。お腹空いてるのに引き止めちゃって」


 鈴森は彼が空腹状態だということを思いだした。


「いいよいいよ。それでさ、何かお勧めとかはないかな? あれが美味しいとか、あそこの店が美味しいとか。外食自体ほとんどしないし、ここに来たのも初めてだから全然知らなくてさ」


 檜山は眉をハの字にして小さく息を吐いた。


「あ、一階のレストラン通りには行ってみた?」

「レストラン通り? そんなのもあるんだ」

「ええ。私たちはそこにあるラーメン屋さんでお昼を食べたわ。なかなか美味しかったわよ」


 鈴森はそう言って亮司のほうを向いた。


「うん。確かに美味しかった。美食家も絶賛! というレベルではないけど」


 亮司は鈴森に合わせて答えた。


「へえー。じゃあ僕もそこに行ってみようかな。ありがとう、助かったよ」


 檜山は感謝してその場から立ち去った。


「また今日の夜ねー」


 鈴森が手を振ると、檜山は「はい」と言って手を振り返した。


「あ」


 亮司は思いだした。檜山にラーメン屋の場所を教えるということを。


 だがしかし、亮司は檜山を引き止めようとせず、メールで教えようともしなかった。なぜならば彼がラーメン屋への最短ルートを堂々と迷いなく歩いていたからだ。


 亮司はその光景を不思議に思ったが、


「さあ、私たちも行きましょ」

「ああ、うん」


 気にしすぎだと頭を切り替えて鈴森についていった。


 その後は女物しか置いていない洋服店を三件回り、二人は店の外に出た。亮司の荷物は両手で抱えるほどに増えていた。お目当ては最初から洋服だけで、今までの店は全部寄り道だったようだ。


「こんな重いものどうするんだよ。一人で持って帰れるのか?」

「あら、あなたが家まで運んでくれるんじゃないの?」


 鈴森は質問に質問で返した。


「そんなことを言った覚えはないぞ。ほら、タクシーとかあるだろ。それ使えよ」

「そんなに遠くないし、別にいいじゃない。そんなに私と早くおさらばしたいの?」

「そういうわけじゃないけどさ……」


 鈴森の返しに亮司は困惑する。そして少し黙ったあと、


「いいよ、分かった。でもその代わり半分は持ってくれよ」


 条件付きで承諾した。そうすると、


「こんな細腕、それも疲れた状態じゃきっと折れてしまうわ」


 鈴森は自分の細腕を抱いて演技調に話した。


「はいはい、分かったよ。俺一人で持つよ」


 亮司はやれやれと言わんばかりの表情で返事をした。もうこれ以上、何を言っても無駄だと悟ったらしい。


「ありがとう。じゃあ案内するわね。ついてきて」


 きっちりお礼を言って鈴森は先導するように歩き始めた。亮司は抱えた荷物と前方に注意しながら遅れないようついていった。


 例の喫茶店まで戻ってきて、通り過ぎて、さらに歩く。するとだんだん右方や左方に高層マンションが現れ始めた。どうやら高層マンション街に入ったようだ。


 鈴森の住むマンションはその一角にあった。


「着いたわよ。ここが私の住んでるとこ」

「ここが……」


 亮司は目の前の高層マンションを見上げた。全体的にシンプルな灰色で統一されていて特段変わったデザインではなかった。

 正面玄関は二重扉で、その左手には地下駐車場への入り口があった。


「扉はすぐ閉まるから遅れないでよね」


 鈴森は正面玄関横の静脈認証装置前に立ち、手の平をかざした。すると一秒後、最初の扉が開いた。


「ほら行くわよ」


 鈴森は振り返り、亮司に声をかけてから中に入った。亮司は挟まれないかと心配しながらあとに続いた。


 次に二人を待っていたのは暗証番号入力装置。鈴森は慣れた手つきで暗証番号を入力した。最初の扉と同じ秒数で最後の扉が開いた。


 二人が最後の扉を抜けると、そこは広いロビーだった。警備室や売店があり、休憩用のテーブルやソファもある。地面は滑り止めのためかザラザラしていた。


 そんな広いロビーを二人は通り抜けて奥にあるエレベーターに入った。鈴森は三十二階のボタンを押した。


「セキュリティしっかりしてるんだな……」


 亮司は動き始めたエレベーターの中でぽつりと呟く。


「今の時代、これが普通よ」

「そうなんだ……。ちょっと考えてみようかな。引越しのこと」


 亮司のマンションには静脈認証装置も暗証番号入力装置もない。目的の人物の部屋まで誰もが行けてしまうのだ。一応、ロビーに警備員はいるのだが高齢で非常に頼りない。


 それに亮司は自分の部屋に不信感を覚えている。引越しのことは本気で考えているようだ。


 ピンポンと音が鳴ってエレベーターの扉が開いた。三十二階だ。鈴森に続いて亮司もエレベーターから降りる。


「私の部屋の近くが空いてるから、もしも本当に引っ越す気があるなら紹介するわよ」


 鈴森は歩きながら背中越しに話す。


「ここは無理だよ。絶対に家賃高いし」

「あら、あなたには湯水のようにお金が湧きだすカードがあるじゃない」


 鈴森は振り返り、からかうような口調で言った。


「……使えるわけないだろ。あんなもの」


 亮司は目を伏せて握った拳にグッと力を入れた。


「私が使っても何のお咎めもなかったんでしょ? ならどんどん使っちゃえばいいのよ。持ち主もそれを望んでるみたいだし」

「…………」


 亮司は何も答えない。分かってはいるのだ。あとは自分自身が許可を出せばすぐにでもカードを使えることを。


 だがカードの使用は法律に反する行為であり、未だ真意が見えないミツルの思惑通りになることでもある。


 いくら使う理由があるとはいえ、やはり亮司はなかなか使う気にはなれなかった。


「着いたわよ」


 鈴森は立ち止まって振り向いた。そして玄関扉横の静脈認証装置に手をかざした。


 カチッとロックの解除された音が鳴り、鈴森は扉を開けた。


「さあ、入って」

「やっと着いたか……。足も腕ももうくたくただよ」


 亮司は軽く息を吐いて中に入り、玄関の奥、一段高くなっている場所に荷物をゆっくり置いていった。


「よし、これで終わりかな。それじゃあ俺はこれで」


 残業を終えた亮司は手を叩いて帰ろうとした。のだが、


「ちょっと待って」


 鈴森に手を掴まれてその場で止まった。


「ちょっと休憩していかない? 疲れたでしょう」

「別にいいよ。家に帰ってたっぷり休むから」


 亮司は小さくあくびをした。


「そんなこと言わずに少しだけでも。話したいこともあるし」

「話したいこと……?」

「そうそう。だからほら、入って入って」


 鈴森は亮司の手を強引に引っ張り、扉を閉めた。



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