DIVE_18 仲良しの握手

「これで自己紹介は終わりだね。あとは親睦を深めながら、これからのことも話し合っていこう」


 亮司の気持ちなど欠片も知らない檜山はそう言った。


「そうね。先のことってなると少し気が重くなるけど」


 鈴森はガクッと頭を垂れて返事をした。ストーカー騒動の時点で精神的にかなり参っていたようだ。


「心配しなくても、きっと大丈夫だと思うよ。前向きに考えていこう」


 檜山が優しく声をかけると、


「……うん。ヒーナの中の人がそう言うなら大丈夫よね」


 鈴森はゆっくりと顔を上げた。その言葉は自分自身に向けて言っているようでもあった。


「話し中のところ悪いけど、何か頼んでもいいかな。今日、朝から何も食べてないんだ」


 亮司は自分の腹をさすりながら二人の間に言葉を差し込んだ。


「あ、やっぱり寝坊したのね」


 鈴森の中の疑念が確信に変わった。


「ち、違うよ。色々あってさ……」

「その色々って何? その寝癖だらけの髪、くしゃくしゃの服は何? なんであんなに来るのが遅かったの?」


 鈴森ははぐらかそうとする亮司を問いただした。そうすると、


「……すみません。寝坊しました。あともう少しで遅刻するところでした」


 亮司は観念して正直に本当のことを言った。それを聞いた鈴森は実に満足そうだ。


「よろしい。丁度、私もコーヒーのおかわりを頼むから、一緒に注文してあげるわ。何がいいの?」


 鈴森は近くのタブレット端末を手に取った。


「何があるの?」

「飲み物は大抵揃ってる。食べ物はトーストやサンドみたいな軽食から、カレー、スパゲティー、オムライス、リゾットみたいな重めのものまであるわ」


 鈴森はタブレット端末の画面に映しだされたメニューを見ながら、向かいの亮司にすらすらと伝えた。


「じゃあオムライスで。軽食だと足りなさそうだし。飲み物は同じコーヒーでいいよ」

「分かった。注文するわね」


 鈴森は自分の注文と一緒に亮司の注文もした。


「よし。これであとは待つだけ」


 鈴森はタブレット端末をテーブルの隅に置いた。


 それからしばらくすると、注文の品が運ばれてきた。鈴森の前にコーヒー、亮司の前にオムライスとコーヒーが置かれた。


「ごゆっくりどうぞ」


 注文の品を運んできた店員は頭を下げて部屋から出ていった。


「いただきます」


 空腹の亮司はさっそくオムライスを食べ始めた。


「うん。なかなか美味いな」


 普段ろくな物を食べていないせいか、亮司はこのオムライスをとても美味しいと感じた。


「一応、私のお気に入りのお店だからね」


 鈴森はコーヒーを一口飲んで、少し自慢げに言った。


 口端にケチャップを付けながら亮司がオムライスを黙々と食べ進めていると、


「ねえ、少し私にもちょうだい」


 鈴森が言った。


「自分で頼めばいいだろ」


 だが亮司はそう言って断った。


「少しだけ食べたいのよ。頼んでも全部食べきれないから。残すのもったいないでしょ」

「……分かったよ。じゃあ適当に食べといて」


 亮司は渋々承諾した。


「ありがとう、と言いたいところだけど、このコーヒースプーンちょっと小さいのよね。それで食べさせて」


 鈴森は笑顔で亮司のスプーンを指さした。どこを指しているかに気づいた亮司の心は揺れ動いた。


「は? 何言ってんだよ。スプーンなら店員に言ってもらってくればいいだろ」


 亮司は動揺を悟られないように平静を装った。


「別にそれでいいじゃない。ほら、早く」


 鈴森は身を乗りだし、口を大きく開けた。


「……しょうがないな」


 亮司はスプーンでオムライスを一口分すくって鈴森の口に放り込んだ。鈴森は嬉しそうな顔で咀嚼した。


「うん、美味しい。もう一口だけちょうだい」

「はいはい」


 亮司は小鳥に餌を与えているような気分でもう一度、鈴森にオムライスを食べさせた。


「あっちの世界でもこんな風に仲が良ければいいんだけど……」


 二人の様子を見ていた檜山はぽつりと呟いた。


「そうねー。いい加減いがみ合うのも疲れたわ」


 もううんざりと言わんばかりの鈴森。


「あのなあ、いつも火種を作るのは……って、そういえばお前モリリンだったな。すっかり忘れてたよ」


 目の前の女性がモリリンだということを忘れていた亮司。


「こっちとあっちじゃ全然違うから混乱もするわよね。まあ、私の演技がそれだけ上手だったってことなんだろうけど」

「そうかな? 僕はだいぶ前から気づいていたけど」


 檜山のその言葉を聞いた瞬間、鈴森は顔が強張った。


「……だいぶ前って、いつ頃?」

「出会って一カ月の頃かな。本人も亮司君も気づいてなかったみたいけど、所々に女性らしさが出ていたよ」


 檜山は目を閉じてしみじみと懐かしんでいた。


「じゃあ私は気づかれてることを知らずに今まで……。途中で言ってよ! 恥ずかしいじゃない!」

「ごめんよ。何か事情があるんじゃないかと思って、なかなか言えなかったんだ」


 真人間の手本のような檜山は項垂れてしまった。


「あ、いや、別に怒ってるわけじゃないのよ。ちょっと言い方がきつかったかしら」


 深刻に受け止める檜山の姿を見た鈴森は困惑し、反省もした。


「ヒー……檜山さん。そんな深刻に受け止めなくても。いつもの悪乗りですよ」


 いつもの癖でヒーナと言いそうになったが、亮司はすぐに訂正して項垂れる檜山を励ました。


「……そうなのかい? てっきり本気で言っているものだと……」


 檜山はゆっくりと顔を上げた。


「いっつも私こんな感じじゃない。気にしすぎよ。でもまあ……ほんのちょっとだけ本気だったけど」

「……それなら良かった。言うか言わないかでずっと迷っていたから、心のしこりが取れた気分だよ。僕自身が性別を偽っていたから、妙に気になっていたんだろうね」


 鈴森の言葉を聞いた檜山はもう大丈夫だと爽やかな笑みを浮かべた。


 檜山の顔を見た亮司は安心して残ったオムライスを食べ始めた。とその時、


「あ、私と間接キス」


 にやついた顔の鈴森が言った。


「それがどうしたんだよ。お前もさっき俺のスプーンで食ったしお互い様だろ」

「ふふ。もしかして私のこと意識してる?」


 小馬鹿にするような鈴森の態度に亮司は眉をピクピクと動かしたあと、


「ああ、やっぱりお前はモリリンだ」


 そう言って残りのオムライスを一気にたいらげた。


「ごちそうさまでした」


 亮司は手を合わせて礼を言い、何もない皿の上にスプーンを置いた。鈴森がまた食べさせてと言う前に先手を打ったのだろう。


「頬っぺたにご飯粒が付いてるわよ。取ってあげようか?」

「いい。それくらい自分でできるっての。というかさっきからお前おかしいぞ。いったい何を企んでるんだ」


 亮司は頬に付いた米粒を自分で取り、さきほどからやけに馴れ馴れしい鈴森に問うた。


「いやね。何も企んでないわよ。ただ単に仲良くしたいだけ。これからはね」

「嫌だね。なんでお前と仲良くしないといけないんだ」


 亮司はあっさりと断り、そっぽを向いた。


「もう! 檜山からも何か言ってよ。仲がいいに越したことはないでしょ?」

「そうだね。仲は良いほうがいい。喧嘩ばかりだと疲れるだろうし、特に今はみんなで協力していかなければならない時だ」

「ほら、檜山もこう言ってるわ。つまらない意地なんか張らないで仲良くしましょ」

「…………」


 沈黙を守りつつ亮司は隣にいる檜山を見た。今まで恋していた女性とは似ても似つかない顔だが、見ているうちにだんだんとヒーナに見えてきた。そうするとなぜか自然に亮司の口が動いた。


「……分かったよ」


 その言葉が亮司の口からこぼれ落ちた。この瞬間、亮司は目の前にいる男性が本当にヒーナなのだと心から納得した。


「過度に煽ったり、すぐ喧嘩腰になったりするのはもうやめる」


 亮司はこの場できっぱり宣言した。すると今度は、


「私も発言と行動には気をつけるわ。はい、仲良しの握手」


 鈴森もきっぱりと宣言し、友好の証として亮司に握手を求めた。


 亮司は差しだされた鈴森の手を握った。その手は少し汗ばんでいて柔らかかった。


 そのあと、亮司たちはテーブルゲームで遊んだり談笑したりし、これから先のことも話し合った。


 少しは吹っ切れたのか、亮司は普段の落ち着いた状態に戻っていた。また時より笑顔も見せていた。


 三人は帰り際に連絡先を交換し、それぞれ別の方向へ帰っていった。遠くから来た檜山は近くのビジネスホテルに泊まるようだ。


 亮司は夜道を自転車で走り、自宅に到着した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る