DIVE_2 八畳ワンルームと電脳商店街
八畳ワンルームの部屋。その片隅で一人の男が目を覚ました。
その男の名は
亮司はくしゃくしゃの布団から抜けだして顔を洗うと、依頼されたシステム修復をおこなうために目的地へと向かった。と言っても、部屋に置かれた『DIVE』に入るだけなのだが。
『DIVE』は揺り籠に入った卵型の装置で、全長約二メートル。中には体への負担が軽くなるリラックスチェアとヘルメット型のヘッドセットがあった。
使用する者はリラックスチェアに座ってヘッドセットを装着する。起動すると体の感覚がなくなって眠ったような状態となり、ゲームの中へと入ることができるのだ。
ゲーム内に入った時の感覚は人によって違い、魂と体が分離したような、幽体離脱のような、夢を見ているような、と実に様々だ。
亮司はDIVEの開閉スイッチを押して中に入り、リラックスチェアに座った。
「はあ……」
亮司は大きなため息を漏らしながらヘッドセットを装着し、肩から力を抜く。そして、
「ログイン」と言って接続を開始した。
頭に厚紙でシュッと切られたような痛みが走り、思わず亮司は口元を歪める。だが次の瞬間には無事にゲーム内仮想世界『TRUE WORLD』に到着した。
亮司の眼前に広がるのは現実世界と何ら変わらない街並み。大通りの左右には永遠に枯れることのない綺麗な街路樹と様々なジャンルの店舗が立ち並ぶ。
肝心の大通りでは、人々がアバターと言う仮想世界における自分の分身として歩いていた。現実世界と同じ人型なのはもちろん、動物や絵から飛びだしてきたようなキャラクター、現実世界には存在しない生物などもおり、バリエーション豊かである。
「……やっぱり今日もか」
そんな世界に到着早々、亮司は渋い顔で言った。
実はここ最近、ログインする際に頭に痛みが走るようになったのだ。不安に思った亮司は急ぎ病院に向かったものの、特に異常なしで結局原因も分からずじまい。接続前に大きなため息を漏らしたのも痛みが嫌だったからだ。
「よし!」
渋い顔の亮司は気を取り直して頬を思いっきり手で叩いた。これはログイン時に必ずするよう義務付けられた痛覚チェックだ。結果はいつも通りの痛みなし。
現実世界と違って、この仮想世界では痛みを感じないようになっている。なぜなら痛みは現実世界の体に悪影響を及ぼしかねないからだ。
他の感覚は現実世界同様に感じられるが、痛覚だけはその理由により遮断されている。
痛覚チェックを終えた亮司は依頼人のいる場所に向かうためテレポートを使った。一瞬の視界暗転後、目の前に小奇麗な八百屋が現れた。
「おじさん、来たよ」
店内に入り亮司が親しげに声をかけると、
「……おう、来たか。ほれ、ささっとやっちまってくれ」
陳列棚と陳列棚の間に立ってぼーっとしていた八百屋の店長が返事をした。
店長は原始人並みに濃い顔が特徴的な毛深い筋骨隆々の男だった。ちなみに現実世界と同じ姿をしている。
「じゃあ、さっそく始めさせてもらうよ」
軽く口元を緩めた亮司は奥のレジカウンター前へ。レジに触ってシステム修復を開始した。今回は通信販売関連の修復で、購入者から手続き時の動作が重いと苦情が来たそうだ。
亮司は視界に映るデータの海としばし睨めっこしたあと、
「……っと。これでもう大丈夫だよ」
ふっと顏から力を抜いて店長にそう告げた。
「相変わらず仕事が早くて助かるぜ。代金はあとで口座に振り込んでおくからな」
「どうも」
亮司は店の隅にポツンと置いてある椅子に座った。そこからは店の外、人通りがみんな無で寂れた商店街が見えた。
「今日はこれで仕事は終わりか」
「うん。今日はこの一つだけ」
「そうか。まあ、ゆっくりしていけ」
店長は指を鳴らして虚空から椅子を出し、自身も座った。
このように亮司と店長が親しいのは顔見知りだからだ。もう五年もの付き合いになる。
依頼される仕事のほとんどはこの商店街で店を構える人たちから。亮司は店長以外の人たちとも親しい関係だ。
「ここ最近、ますます人が減ったね」
店の外を見ながら亮司はぽつりと言葉を漏らした。
「ああ。中央通りにまたでっけえ店ができたからな」と店長は眉をひそめる。
「そうなんだ。……昔みたいに活気づいた商店街が見たいのになあ」
「今の状態じゃあ、とてもじゃねえが無理だろうな」
店長は諦めの混じった表情を浮かべて、
「最初はみんな、目を輝かせて大きな夢を見てここに来たんだがな。どうしてこうなっちまったんだろう」と悲しげに目を伏せた。
「確か、商店街をこっちの世界に出してからの三年間はとても繁盛してたよね。中央通りや大通りが整備されて老舗や大型ショッピングモールが出てきてからはどんどん人が減っていったけど」
「……現実世界では奴らに散々辛酸を舐めさせられてたから、未来のあるこの真っ新な大地で今度は反撃してやろうって、みんな頑張ってたんだがな。結局、奴らのほうが一枚も二枚も上手で今じゃこの有り様だ」
「でも一度繁盛できたなら、やり方次第ではまた繁盛できると思うんだよね」
「……今と昔じゃ状況が全く違うし、できることは全てやってきた。それでも無理だったんだぞ。もうそういう運命なんだ」
「でもまだ別の方法があるかもしれない。諦めたら全てが終わっちゃうよ」
「でもでも言われたって無理なもんは無理なんだよ。……それとおめえにはまだ話してなかったが、来月からこの商店街は実質閉鎖状態みてえなもんになるからな。棺桶の一歩手前ってところだ」
「え、どういうこと? 店を閉めるの?」
そんな話は聞いていないと亮司は目を丸くした。
「店は閉めねえよ。みんな、現実世界に帰るのさ。それこそ昔みたいにご近所同士で仲良くしながら細々とやっていくんだ」
「つまりこっちにはもう来ずに現実世界だけでやっていくってこと?」
「まあそんなところだ。あと仕事のことなら心配すんな。店を完全自動化したって不具合は起こるもんだからな。その時はみんな、いつも通りおめえに頼むって言ってるぜ」
「それはありがたいけど……。やっぱり諦めるのはまだ早くない?」
諦めの悪い亮司は食い下がろうとしない。それに店長は、
「おめえがこの商店街を好いてくれてるのは十分に分かってる。でもな、もう決まったことなんだ。悪いが諦めてくれ」
と優しい口調でバッサリと切ってかかった。
「……おじさんや他のみんなが諦めても俺はまだ諦めないよ。色々と方法は考えてあるんだ。肝心の資金がないんだけどさ」
真剣な表情の亮司を前に店長は急に目を見開いて、
「そうだ。思いだしたぞ」
藪から棒にそう言った。唐突すぎるその言葉に亮司は口をポカンと開けたまま固まっている。
「そういや昔、現実世界のこの商店街におめえにそっくりな奴がいたんだよ」
「……俺にそっくりな奴?」
「そうだ。方法を考えて金も集めてこの商店街を復興させてやるーって言って飛びだしていった男がいたんだよ」
「それっていつの話?」
「んー……もう三十年くらい前のことだな。間違いなくおめえじゃねえが」
「……三十年前って言ったら、大型店側との摩擦が一番激しい頃か。近所の人たちに土地を売らないよう呼びかけたり、大安売りや特売のセールをみんなで一斉に始めたり、出店・進出の反対運動が頻繁に起こってたね」
脳内を検索して出てきたものをすらすらと話す亮司。それを聞いた店長は驚きの表情を浮かべた。
「やけに詳しいな。昔も昔、こんな辺鄙な商店街で起こったことなんて知ってる奴も覚えてる奴も限られてるぜ。第一、その頃おめえはまだ生まれてないだろ」
「生まれてないけど、知ってるってことはたぶん何かで見聞きしたんだと思う。この商店街との付き合いももう五年だしね」
「……五年。もうそんなに経っちまってたのか」
店長は目を細めて月日の流れをしみじみと実感しているようだった。ここで一旦会話は途切れ、亮司は時計を確認した。
「……さてと、そろそろ昼ご飯だからお暇するよ」
「ああ。また何かあった時はよろしくな」
店から出た亮司はログアウトして現実世界へ帰っていった。
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