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 青葉は桜が好きだった。


 真夏に満開の桜を見せるなんて、俺は花咲かじいさんじゃない。とんちの効いた一休さんでもなければ、ましてやタイムマシンを持っているタヌキ型ロボットでもない。

 写真、映像、絵。考えられる方法としては、せいぜいこれくらいか。けど、青葉の前で胸を叩いた手前、ネットで拾った桜なんか論外だ。

 青葉の病気が消し飛ぶような、そんな満開の桜を見せてやらないと。


 ガラッ!


 古びた引き戸を勢いよく開ける。部室の中の男女と目が合って、そっと引き戸を閉じる。イチャついていやがった。

 慌てて部室から飛び出してきたのは、写真部部長の海斗だった。


「何だよ、葉太。珍しい」

「いや、悪い。邪魔した」

「何が!?」


 海斗の肩越しに首を伸ばし、机の上に広げた写真を真剣に見おろす女の子を覗き見る。

 長い髪をミドルアップにくくった大きな目の女の子。

 海斗は部長の特権を利用して部室に女の子を連れ込んでいる。しかも、だ。なかなかの可愛さだ。青葉には負けるけど。

 俺の視線の意味を悟った海斗が慌てて声を上げる。


「お、お前、今、何か変な誤解しただろ? あれは、夏樹だよ。夏樹祥子!」

「夏樹……? え、は、あの瓶底ちゃん!?」


 三年になって、俺は数えるほどしか部活に出ていなかった。それでも、一年後輩の瓶底ちゃんは記憶にある。言い方は悪いが、瓶底眼鏡の薄暗い女子だった。声だって聞いたことがない。

 何があった、夏休み。

 海斗も瓶底ちゃんもいい感じに焼けている訳だし。なるほどなるほど。


「失礼なヤツだな。で、万年幽霊部員がなんの用だ? 文化祭に参加する気にでも……」

「桜だ! 桜の写真を撮りたい!」


 あんまりにも突拍子のない俺の言葉に、海斗は目をしばたたかせて首を傾げる。


「は!? どうやって? もう八月も終わりじゃあないか」

「それでもだ! 城跡の一本桜――満開の一本桜の写真が欲しいんだ!」

「無理言うなよ。来年の春まで……」

「待てないから言ってるんだ!」


 俺の強い視線に、海斗はゴクリと息を飲む。

 無理は承知の上。他力本願甚だしいのも十分理解している。だから俺がこうして頭を下げて……下げたっけか?

 俯き腕を組み、うんうん唸る海斗の後ろで、瓶底ちゃんが部室奥の棚に置かれたカメラケースを開けて中を確認する。そして、それを肩にかけてひとり部室から出て行く。


「おい、祥子! どこに行くんだ?」

「体験出来ることは全部やるべきだ、でしょ? 行ってから考えようよ。ほら、海斗も葉太先輩も何のんびりしてるんですか?」


 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする海斗を尻目に、瓶底ちゃんは廊下へ姿を消した。俺たちは、慌てて瓶底ちゃんを追いかけた。








 桜子は桜が嫌いだった。


「葉太先生が大嫌いです――だとよ」


 地元に帰った時は必ず立ち寄る居酒屋で、俺はギネスビールの独特な苦みを喉で味わいながら串の盛り合わせに手を伸ばす。


「どうしろってんだ、まったく。好きでテメェの担任になったんじゃねぇってぇの!」


 ムシャクシャする。楽しい話で盛り上がりたかったのに、これじゃあ折角の料理も台無しだ。

 校則違反の髪の色の事もあって、何度も何度も話しかけるも無反応。俺を一瞥するだけで、碌に口も聞きやしない。

 学力はあるのに、俺の授業だけはサボりがち。

 他の先生たちの授業は出席率100%。授業も真面目に受けていると言う。

 完全に俺をナメてるとしか思えない。どうしてやろうか、あの小娘。大体、あの髪が気に入らない。色が似てるからって、青葉とは大違いだ。


「おーおー、久しぶりに会ってみりゃあ、一端いっぱしに学園ドラマの先生してんじゃねぇか」


 冷酒を片手にカンラカンラと笑う夏男。高校時代の、少しヤンチャな友人だ。

 俗に言うはみ出し者。それが今やお互い教師だなんて世も末だ。


「笑い事じゃねぇぞ? それでも気を遣ってだな、何とか話をしようと頑張ったんだ。それなのに、今のガキどもはどうなってんだ? 春川じゃないが、文句を言えばパワハラだ、肩を叩けば虐待だ、腐ってんのか根性が!」


 俺の心と同じ色の、どす黒いビールを一気に煽る。ダンッと空のジョッキをテーブルに叩きつけると、オヤジさんの鋭い視線が飛んできた。何だよ、オヤジさんまで。


「夏男の学校も相当だって話だよな? 手に負えない連中はどうするんだ? 停学か? 退学か? 流石に教師が拳を上げる訳にはいかねぇだろ?」


 ハンッと吐き捨て、次のギネスに手を伸ばす。そんな俺を見て、夏男はテーブルの上に置かれた小さな箱からロングピースを一本取り出した。


「まぁ、バカばっかだな。愛おしきバカどもだ」


 薄い煙を噴きながらクシャリと顔を歪めて笑う。その顔は、どこか嬉しそうにも見えた。


「愛おしき、か。余裕だな、夏男は」

「バッカ。毎日、必死だよ」


 笑う夏男を尻目に、俺はヤケクソ気味にギネスを煽る。そして、オヤジさんの顔色をチラリと伺いながら今度はそっとジョッキを置き、吐き捨てるように呟いた。


「いくら言っても髪を黒くしてこねぇし、今度家に電話してやっかな……」

「オイッ!」


 夏男の声に、小さく肩を弾ませて目を見開く。今の今まで笑っていた夏男が、真顔で深い溜息をつく。


「変わったな、葉太。オレらは、責任もクソもなく、親に丸投げするような先公が大嫌いだったんじゃねぇのか?」


 夏男の低い声に、俺は少し鼻白む。


「お、大人になるってのはそう言うもんだろ?」

「はんッ、立派なもんだ。そんな先公の言葉に誰が耳を貸すかね? 青葉ちゃん、泣くぜ?」

「なっ……」


 青葉の髪を掴んで「黒く染めてこい。親は何を考えてるんだ」と怒鳴りつけた教師の腕を捻り上げ、謹慎処分を食らったのは俺だ。それが青葉とのきっかけだった。

 俺たちが一番嫌っていた教師に、俺はなっていたのか?


「俺は大切な生徒を誰かに任せたりなんてしねぇよ。殴り合いになっても、な。絶対に退学なんてさせない。ひとりも欠かさず卒業させてやる」


 クソッ、変わってない。夏男は高校時代からまるで変わってない。

 俺は何を目指して教師になったんだ? 青葉のような子を守ってやりたかったからじゃないのか?


「殴り合いになっても、ね。この不良教師が」

「は、違いねぇ」


 屈託なく笑う夏男。


「ま、不良教師はバカどもと一緒に卒業して、今度は春子の故郷へでも行くかな」


 春子――か。懐かしいな。外国人だかハーフだかのエキゾチックな顔立ちの美人だった。高校卒業後、夏男を日本に置いて遠い遠い場所へ行ってしまった。

 俺とは違って、夏男はどこまでも真っ直ぐな男だ。負けたくないな、コイツだけには。


「目ぇ覚めたわ。明日からまた追いかけっこだ。もう嫌われてんだから、失うものなんて何にもねぇや」


 笑う俺の肩に堅く握った拳を押しつけて、夏男は親指を立てた。

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