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青葉は桜が好きだった。
「桜が見たい」
雲ひとつない青空を、真っ白な病床で見上げながら青葉は言った。
殺人的な残暑が続く、八月も末の病院。桜の花は散り、葉桜の季節も過ぎ去った、深い緑が目に染みる季節。
外界から隔離された個室に横たわったまま、俺の顔に視線を移してすぅっと目を細めた。
「ねぇ、葉太くん。私、死ぬ前に満開の一本桜が見たいの。桜が大好きだから」
「縁起でもない事言うなよ。元気になって、また来年見に行けばいいだろ?」
高校三年になった俺たちが待ちに待った夏休み、直前。
元々体が弱かった青葉はついに学校で倒れた。
ずっと危惧していた事が現実になった。詳しい病名は知らない。聞いてもいない。聞いたら目の前から青葉がいなくなってしまう気がして聞けなかった。
「お願い。もう、あまり時間はなさそうだから」
縋るような目を向ける青葉が憎らしかった。そんなに簡単に、時間がないなんて言って欲しくなかった。
生まれつき色素が薄い、青葉の明るい茶色の髪に手ぐしを通しながら、俺は小さな溜息をつく。
「わかった。絶対に見せてやるから、早く元気になれよ」
「……ありがとう。大好きだよ」
桜子は桜が嫌いだった。
桜子は俺が受け持つクラスの生徒のひとりだった。
教師生活四年目の、新しい高校、新しいクラス。始業式も終わり、教室での緊張の自己紹介。
そんな中、一番後ろの席で真っ白な足を机の下に放り出し、ベージュのスクールカーディガンのポケットに両手を突っ込んだまま窓の外を見つめる女子生徒がいた。
どう考えても校則違反の明るい茶色の髪。誰もが初日は紺のブレザーを着ているのに、一人だけスクールカーディガン。机の下に見える足の長さから、彼女のスカートの短さが伺い知れた。
その姿が初恋の彼女――青葉の姿と重なった。
似ている。髪の色が、その姿が。
窓から射し込む陽の光に金糸のように輝く茶色の髪が、深く眠った記憶を呼び起こす。
「……生! 秋田先生!」
ハッと我に返った俺を不思議そうに見つめる生徒たち。
出席簿に並んだ名前の上に指を這わせ、目を走らせる。
チラリチラリと彼女の姿を伺いながら、彼女の名前を探し……あった。
――春川桜子。
目を奪われる俺を一瞥して不満気に顔を歪めると、桜子はスッと立ち上がり教室から出て行ってしまった。
何が起こったのかわからず、生徒たちが顔を見合わせざわめく。
「オイッ、どこへ行くんだ? まだ始まったばかりじゃないか」
桜子を追いかけ慌てて飛び出した廊下の先で、振り返った彼女は射るような冷たい視線を俺に向けて気持ち口角を上げた。
「体調が優れないので早退します」
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