AM5:53
ゴトーヒロキ
AM5:53
PM6:00。
「僕はなにをやってるんだろう」
AM3:17。
「なにやってんだ、俺」
PM7:30。奏汰は家路についた。玄関には父がいた。
「お前どこいってたの?」
「楽器屋」
靴を脱ぎながら淡々と答える。
「休校中だろ、外出したらダメだよ。聞いてる?奏汰、泣いてんの?」
「糸がさ、切れた」
奏汰は泣いていた。家についたときから泣いていた。そんなのわかっている。僕だけじゃないんだ、つらいのは僕だけじゃない、全国の何千何万という人たちが悔しがっているはずだ。大会に僕らが出場できたのは実力ではなかった。とある枠によって選ばれ、推薦され、出場することになったのだ。だが、その枠の出場が決まったときから、これまで以上に練習は積んだ。投げ込みも、走り込みも、全て。チームメイトたちも一丸となり、大会に向けてそれぞれがそれぞれの準備をしていた矢先のことだった。
それは暴力的に発表された。
「県内の学校がすべて休校となりました。部活動も期間中は禁止とします」
先生は淡々と話している。なぜあんなに淡々と話せるのだろう。
「先生、あと一カ月後に大会があるんですがそれでもダメなんですか?」
「残念ながら例外はないです。五分後に校長先生より構内アナウンスでの詳細発表があります。それまでに学習プリント配るから、これは休校中の課題です」
僕たち野球部は言葉が出なかった。その後野球部が集まり、顧問の先生より説明を受けた。さらに衝撃的な内容だった。
「春の選抜高校野球大会は中止になった」
部員たちは言葉が出なかった。先生は部員たちに今後の流れを説明していたが、ほとんどの部員は頭に入っていなかったはずだ。そしてそのまま何をすることもなく解散になった。奏汰は一輝と家が真隣でいつも一緒に帰宅するが、言葉をかわすことなくその場をあとにした。その時一輝はなにかを考え込んでいた。
AM4:00。一輝は布団をかぶって目を閉じていたが、眠れないでいた。今日の中止になったという言葉が頭から離れない。一気に布団を蹴飛ばしてみる。けれどもすっきりはしない。息が少し切れただけだ。そのまま
(彼女がほしい)
「こんなときに何書いてるんだ俺」
自動的に出てきた言葉に思わず笑った。誰でも青春したいという甘酸っぱい気持ちはあるものさ。文字を書き出すだけで意外と自分の気持ちがすっきりする。色々と書き出してみることにした。
(大会が中止とかなんでうちらの代だけなんだよばかやろう)
(でも今までの練習は無駄じゃない)
(プロ野球の試合を観戦しにいきたい)
(アメリカのメジャーリーグ観戦しにいきたい)
(スパイクがボロボロだから新しいスパイクがほしい)
(ボールケースが壊れそうなのと部室のドアノブがまた誰かに壊されていたので今度先生に報告する)
(バットのテーピングが破れていたから明日の朝交換する)
(奏汰に最近の変化球の投球が以前より開き気味なことを伝える)
「そういえば昨日奏汰と話してなかったな」
ゆっくりと上から見返していく。
「なんだ、ほぼ野球のことになったなあ」
なぜか目頭が熱くなってきたが、透明な
あと二つ思いついたので、書き加えてみる。
(みんなと野球がしたい)
(野球が好きだ)
AM4:30。泣いていた。止めることが出来ない涙が頬を伝う。無理やりTシャツで涙を拭った。カーテンの隙間から見える空が黒から紫に変わりつつあった。
「はぁー眠れないし明るくなってきたし、もう起きるか」
カーテンを思いっきり開けた。
「あ」
目の前には同じタイミングでカーテンを開けた奏汰がいた。
窓を開ける。
「奏汰、なんでこんな時間に置きてるの?」
「さっきまでリビングで寝ちゃってて今起きた」
お互いに久しぶりにあったような不思議な感覚を感じていた。
「そっか。奏汰ひでー顔だな」
「いや、一輝も変わらないからね。つーか泣いてる?」
慌てて涙を拭き取る。
「いやいやいやいや、泣いてないから全然」
「そっか。僕は夜泣いた。で、泣き疲れて寝てた。でもなんか今はすっきりしてる」
奏汰のなにごとも包み隠さず話せるところがかっこいい。
「なるほどな。奏汰は泥臭いだけじゃないんだ。だから女子にモテるんだ」
「え?なんの話」
「いや、なんでもねー。それよりさ奏汰、この間の西高との練習試合のとき変化球結構打たれてたけど、あれって途中から体が開いて、変化球って読まれたから打たれ始めたんだ」
「え、なんでそのとき教えてくれないの」
「いや俺も後で試合の映像見て気づいた」
「へぇ、そんなこと先生にも言われてないけど。よく気づいたね」
「投げてるときからなんか違和感はあったけど、あのときはどういうコースに投げるとかそっちに集中しちゃってたわ、わりぃな」
「うん、いいよ」
少しの間、寒さと静けさが二人を包み込む。一輝は不意に言葉を発していた。
「今からキャッチボールしよう」
静けさの中に発せられた声に奏汰は驚く。
「え、なんで今?」
「なんか今じゃなきゃダメな気がする」
一輝にその確証はない。
「わかったよ。じゃ、五分後外で」
「了解」
奏汰もなにかを感じていた。でもそれは言葉にできるものではなく、もっとリリカルで好転的なもの。昨夜グローブとボールに対して持っていた消極的な感情はもうない。
「やっぱ、仲間は大切だね」
奏汰は自分が独り言を言ったことに気がついていない。
使い古されたグローブと硬球を手に外へ出る。
AM5:15。二人はまだ薄暗い中、淡々と体に染み付いている方法でキャッチボールをしていく。最初は近くから徐々に離れていくが、焦らない。ゆっくりと身体を、肩を、温めていく。奏汰はキャッチボール中は話さないが、一輝はいつものように話しかける。
「肩どう?」
「悪くない」
お互いにさっき話したのに久しぶりに話したような感覚をしている。一輝はいつもはキャッチボールのペースが早い。が、今はこの空間の流れに身を任せるようにして、緩やかにキャッチボールを行っている。それにしても、この場所でキャッチボールをするのは久しぶりだ。奏汰とは小学校から同じクラブチームだった。当時から家の前の砂利道で、毎日毎日キャッチボールや素振りをした。
「先生の発表あったとき、どう思った」
「うーん最初は焦ったし、昨日一日は精神的に不安定だった」
奏汰でもそういうふうになることがあるんだ。今まで精神が乱れたところを見たことがなかったから、少し驚いた。
「俺も。全く寝付けなかったし。飯はめっちゃ食ったけど」
「あ。そういえば昨日、夜ご飯食う前に寝た」
「だめですねぇ。ちゃんと体作りしないと」
少しずつではあるが精神が安定しつつある。話しながらも奏汰は鉛のように重い球を投げ込んでくるため、しっかりとキャッチングしないと痛い。
「昨日の発表はさ、正直めっちゃショックだった。みんなと初めて行ける甲子園だしな。だけどつらかったけど、その後主将の俺としてはチームに一言かけるべきだった。ケアするべきだった。ごめん」
奏汰は何も言わない。
「だけど、やっぱ」
つばを飲み込み、もう一度言い直す。
「だけどやっぱりさ。野球が好きだ」
そういうと、思いっきりステップを踏み込み、奏汰へスローイングする。
良い音が鳴り響く。
「痛いよ、でも」
やはり、同じようにつばを飲み込み、もう一度言い直す。
「でも、僕も野球が大好きだ」
そういうと、思いっきりステップを踏み込み、一輝へスローイングする。
目が覚めるようないい音が鳴り響くAM5:50。完全に近所迷惑。
「うわー、いい音。やっぱだいぶ高校入ってからスピード伸びたよな」
「まぁね」
二人は伸ばしていた距離を縮めてキャッチボールを終える。
一輝と奏汰は何か心の
「ありがと、なんか気分が晴れたわ」
「こちらこそ、ありがとう」
「あ、でも奏汰。まだ終わってないしな、2020」
そう、二人の2020年はまだ終わっていない。
2020年夏の甲子園がある。それに向けて
でもこれでお互いにわかったはずだ。たとえ大会が中止になり、ショックは大きいが、そのことにムカついたり、悲しくなったり、怒りをぶちまけたくなったりしても、野球が好きということは、変わらない。
「あ、日の出だ」
AM5:53。夜が明ける。
そう、明けない夜はないんだ。
AM5:53 ゴトーヒロキ @gotohiroki
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