道程の途中
篠岡遼佳
道程の途中
「いってぇ……」
そのまま地面に倒れ込む。したたかに頭を打ち、頬やら肘やらをすりむいた痛みで、意識がはっきりする。
起き上がろうと両手をついた時点で、違和感に気づいた。
暗い。
おかしい、自分は朝の登校途中であったはずだ。
そういえば鞄もないし、というか地面が黒い。
見渡してみれば、そこは光のない、真っ黒な空間だった。
ただ、自分自身は何かの効果で淡く光っているようで、視認できる。
――なんだこれ。
「どういうこと……?」
思ったことがそのまま口に出た。
そして、なんだか背筋が寒くなった。
これってやばいやつじゃないか?
「ひょっとして」
よくよく思い出しても、青になった信号と、女性の悲鳴しか記憶にない。
「死んだ的な……?」
そうは言っても、あまりのことに実感がわいてこない。
注意不足の車に轢かれでもしたのだろうか。
さきほど痛かったところも、今はじんじんとするくらいで、やはり実感がわかない。死ぬんだったらもっとすごく痛いだろう、というイメージがあったからだ。
でも、頭ぶつけてるしな、打ち所が悪かったのかな……?
変に冷静に考えていると、かしゃん、と上方から音がした。
そちらの方を向くと、先ほどまでついていなかった蛍光灯の明かりが落ちていた。
猫足のやや大きい長椅子に、ひとが身を横たえている。
やたら髪が長く、さらにぞろぞろとしたローブのようなものを着ていて、顔の上に何かの雑誌が乗っている。
その雑誌と額の隙間からは、長い……そう、長くつるりとした角が生えていた。
(角!?)
角だけではない。さらに異様なことに、長い髪と角は青のグラデーションで色づいており、さらにそれと色味の違うふさふさで濃い青のしっぽが、確かにローブの裾から見えていた。
(しっぽ!!??)
ただただ興味の湧く方へ、純一はてこてこと歩いた。
横たわる人の間近まで来ると、顔に乗っているのは、クロスワードの雑誌であった。だらん、と垂れた手に、鉛筆が握られている。
どうやら、かなり暇を持て余していたようだ。
寝てるかな、と思いつつ、声をかける。
「あの」
「……タテの23、“サインとコサインを無限に足し合わせた式を○○○○級数という”」
「へ?」
「答えは?」
「ええと」
数学も物理も得意である純一は、唇を湿してから答えた。
「”フーリエ”級数じゃないですかね……」
「ふーりえ!!!」
がばっ、と音がしそうなほど勢いよくその人は起き上がると、猛然とクロスワードを埋め始めた。
3分ほど経つと、「できたー!」と、ばんざいして雑誌と鉛筆をその辺に投げた。
「いやあ、これできっと我が家にも加湿空気清浄機が当たるはずだよ!」
なぜか両手を握られて、ぶんぶんと振られる純一である。
それはどうかな、懸賞って渋いよな、と思いつつ、再び尋ねる。
「あのう」
「なにかな?」
にっこり、その人は微笑んだ。
なんとも中性的な顔立ちである。簡単に言うと、美形だ。見たところ二十代前半くらいだろうか。肌は色白で、瞳の色は見たこともないような淡い紅色だ。よくよく見ると、もう2本小さい角が頭頂に生えていた。純一は瞬きしながらとりあえず続けた。
「あの、あなたは一体……?」
「おや、君はお客さんかい?」
「ええと、よくわかりませんが……」
「なるほどなるほど」
なぜか、相手はこの状況に慣れているようだ。
「よしよし、じゃあ、君は賢いみたいだし、問題を出そうかな」
「問題?」
「そうだよ。よっこらしょ」
言いつつ起き上がる所を見ると、意外と年は取っているのかもしれない――角生えてるし。
「ま、ここは僕の家みたいなところでね、何もないけどくつろいでよ」
ぽん、彼が手を打つと、長椅子の前に一人分のソファが現れた。
勧められるがままにそこに座る純一。
邪魔そうに長い髪を払い、長い角をぺしぺしとたたいて何らかの具合を整えると、片足を組んだ。
「では、第一問」
「は、はい」
クイズ番組のように、問いが投げられた。
「ここはどこでしょう」
「ええと……記憶が微妙なところで止まっているんですけど……」
純一は固く唾を飲んだ。
「死後の世界……というやつでしょうか……」
「せいかーい!」
相手はなぜかとてもうれしそうに拍手をした。
純一としてはがっくりくる事実である。そうか、俺は死んでるのか……。
「まあまあ、そんなにがっかりしなくても大丈夫大丈夫」
にこにこしながら、また相手が問いかけてくる。
「第二問、わたしは誰でしょう。ああ、個体名はヴァーイィというよ。よろしくね」
「う゛ぁ、ヴァーイィさん……」
「うん、さて、わたしはどんな存在でしょう」
「ええと」
死後の世界に居る人といえば、ひとりしか思いつかない。
「死神……ですか?」
「うーん、惜しい! でもカミサマだから正解!」
「ん?」
「90%正解!!」
正解にパーセンテージがあるのか……。
どうも、この角あるヴァーイィは、四角四面からは遠めの人らしい。
そのまま問いは続く。
「んじゃ、第三問。なぜ君はここに居るのかな?」
「――それは、俺がこれから死ぬからじゃないんですか?」
死後の世界なのだ、生前には戻れない。そう思って純一は言ったが、
「さて、それはどうだろう?」
さきほどのように、またうれしそうに言うと、足を組み替え、
「でさ、正直なところどうなの?」
「え? どう、といいますと?」
「ねえ、生きていたい?」
じっと、その紅色の視線が、純一を上から下までなぞった。
純一は反駁した。
「そんなのあたりまえ……」
「あたりまえ?」
それに疑問を挟まれる。
「ねえ死んだら全部楽になるんだよ?
勉強も受験も就職も労働もありとあらゆる苦痛がなくなるんだよ。
それも、君はラッキーなことに、このままなら、痛みも大して感じず、若いうちに死ねる」
「え……?」
純一は瞬いた。
無害そうな外見からは考えられない、そんな闇へ引き込むような台詞を、角ある人は放つ。
「――それに、ねえ」
ずい、椅子を立ち上がって、ヴァーイィは純一の両頬を手で挟み込み、
真紅の瞳で純一の目を見据えた。
「死ぬって最高の快楽だと思わないかい」
――これは、魔性の瞳だ。
カミサマだけど、かみさまではない。
けれど、その”死の快楽”というものが喉から音を塞ごうとしている。
「――――むり、無理です!」
「俺は生きて、好きなこと結婚して幸せな家庭を築くんです!!!!!」
「彼女いるの?」
「いませんけど」
「未来にかけるの?」
「俺はまだ17ですから」
「ふうん」
ものすごく、意味を持った「ふうん」であった。
けれど、その意味を、はっきりと純一は言葉にできない。
できなくていいのだろう。
死のカミサマの言葉を、生きようとするものが理解できるわけもないのだ。
「うむ、おめでとう! 君はもう一度生きなおす
柔らかくその瞳を細めて、ヴァーイィはまた拍手した。
「は!?」
ありえないだろう、そんな偶然!
っていうか、クイズは何だったんだ!?
顔に丸々出ていたのであろう、カミサマはちょっと笑って、
「あのね、伊達でカミサマやってるわけじゃないんだよ。酔狂でやってるんだよ」
そううそぶくと、ヴァーイィは、何もない空間に鉛筆で扉を描き、
「さあ、取っ手は君が描きなさい」
とその鉛筆を渡してきた。
純一は、なぜかやや震える手を押さえ込みながら、適当な、丸いノブを描いた。
「どうぞ、開けていいよ」
「あの、あなたは」
「カミサマの心配なんてしなくていいんだよ、人の子くん。僕は僕なりにやっていくからね」
ばいばーい。
それが、純一が聞いた、カミサマの最後の台詞だった。
――――
ヴァーイィは、落ちていたクロスワードの雑誌を手に取り、空中から鉛筆を取り出して、再び長椅子に寝転んだ。
「こーゆー、僕の出番は、あまりない方がいいんだよなぁ……。生きるのも死ぬのも、自分で決められる子ばっかりになればいいのにね」
そんな独り言で、はるかな世界へささやかに祈りながら。
道程の途中 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka
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