第21話 鬼か悪魔か魑魅魍魎
退院後、初めて出社したときは、いやになるくらいの晴れ。
まだ右足の調子がイマイチなので小林さんの車で出勤することになった。
入院していたから知らなかったけれど、アクセルとブレーキを踏み間違えた75歳のおじいちゃんは社員である私たち二人と、お客様7人を巻き込んで店に突っ込んでいた。
店舗は、あのあと岩根課長と本社の営繕チームが応急処置をして、翌日はに通常開店にこぎつけた。現場検証の関係でエクステリア部門は閉鎖されたそうだけれど。
今は事故を思い出せないように、お客様の安全を図るように、レイアウトを変更して営業再開できるように竹内店長が奔走しているそうだ。
そりゃそうだ、事故を思い出させない配慮って必要だものね。
熱田部長は、頭をしたたか打ってはいたものの、精密検査の結果、異状はなく、左腕の開放骨折と肋骨骨折でまだ入院中らしい。病室にパソコンを持ち込んで仕事をして、主治医から怒られたそうだ。
そして、熱田部長がかばってくれたとはいえ、車に跳ね飛ばされてもそんなに怪我のなかった私には「やはり営業統括本部の一員」としての「鬼か悪魔か、不死身の
ほめているのかけなしているのか。
小林さんはご機嫌で、いつもと違って正面玄関に車を付けた。
すかさず、ドアが開けられる。ドアを開けてくれたのは井上本部長で。
「お帰り」
「あ、おはようございます、本部長」
手を取られて車を降りると、目の前にずらりと人が並んでいて…。
「え?」
常務も社長も、拍手で私を出迎えてくれた。
思わず、深々と頭を下げた。
「ありがとう、寺岡君、これからも頼むよ」
社長はそう言って、私の目の前に手を差し出した。
「あ、あの…」
「うちの純情っこちゃんはこういうのに慣れていないんですよ」
井上本部長がそう言ってフォローしてくれた。
「あの、私で良いんですか?」
「ああ、君じゃなきゃ困る。この先、いろいろあるだろうが何かやらかしたときは井上や小林がいる。そのための二人だ。コキ使ってやれ」
後ろで本部長と室長の顔で井上さんと小林さんがニコニコ笑いながら親指立ててGOODサインをしているのはいつものこと。
私は、緊張しながら社長と握手した。
出勤した初日は各所への手続きやらあいさつ回りやらで午前中はつぶれた。社長賞の表彰式も午前中だった。社長賞ですよ、社長賞とは、驚いた。
社長賞を取ったことは社内回覧で報告された。賞状だけかと思いきや、副賞は金一封と記念になる品物。ここまでは社内回覧に報告された。けれど、井上本部長が言うに、今回は特に褒章に値するものが贈呈されるという。ある種特権だから公表はされないというのだ。
何だろう?
社長室での表彰に立ち会ったのは社長と北河常務、井上本部長だけで、表彰状と副賞の目録を渡された。その場で目を通すにははばかられたから、戻ってきてから確認しようと思った。
ら。
デスクの上にはカメリアブランドのショップバックと、誰もが知る海外ブランドのショップバックがあって驚いた。
「何驚いてるのよ、副賞のスーツ一式と時計だよ。社長賞の定番」
小林さんは当たり前のようにそう言った。
「スーツ一着だめにしちゃったでしょ? だからありがたくもらっておきなさい。それ、ビジネス用のスーツだからそんなに高くないわよ。予算いっぱい使って、ブラウスと替えのスカートも入れてもらったから」
「はい?」
慌てて副賞も目録を見る。
金一封って…振込します、との記載があったけど、は? ってくらい高額。給料何か月分よ、これ。
スーツに時計という品物もちゃんと副賞に入っていたけど、
「転属権利」が付与されました。
何じゃそれは、と思ったんだが。
異世界でカミサマが与えてくれるナントカの権利か何かか?
つまり、会社の中での自由な転属権利が保障されたのだという。井上本部長が言うに、「いつでも、自分が望む部署に転属できて、二年間の間は好きな時に元の部署に戻れる権利」だそうだ。
びっくりした。意味わからなくて聞き返したら、「会社から命令されての転属や研修はあるだろうが、自分から行きたい場所への転属や研修は100パーセントかなうわけでもない。それをかなえるための切符だ。転属先が自分に向いていればそのまま向こうに住みつけばよい。よほどヘマをしない限り、そこからの転属はない」と。
社長賞とセットになっている副賞ではなく、社長や役員が全員一致して与えられる副賞で、滅多に出さないというものでもあることも耳打ちされた。
だから、公表されないんだと。
「スーツ一式と時計は熱田さんも同じ副賞。熱田さんは過去に転属権利の副賞をもらっていてしかも行使してるから、今回は県外事業部を昇格させた支部長席に座ることになると思う。北河常務、グッジョブ」
小林さんは笑いながら親指立ててのグッドサインまでつけた。
「支部長就任を断わるのに転属権利を行使するとは思わなかったな、ありゃぁやられたと思ったよ」
本部長がくすくす笑っている。
「県外事業部はいずれ独立させてきちんとした支社を立ち上げたいというヒトの思惑を無視するからだ。これで肩の荷が下りた。あいつが九条と一緒に支社を立ち上げてくれたら次の一手が進めやすくてウハウハするよ。これで吉崎の転属も早くなる。野田はグウの音も出まい」
井上本部長、その笑いは黒すぎる。吉崎課長の転属も連動してるということは、何か裏があったということなのか。
そして熱田さんって、ナニモノなんですか。ついて行けない。転属権利をもらったってことは、二度目の社長賞? 昇進拒否するためにカード切ったって、どんだけ?
そして机の上に置かれたショップバッグには、カメリアブランドの上下のスーツとブラウスが2枚、である。既製品だとは言え、お値段はそれなりに高い。スカートも、私好みのちょっと長めの丈の替えスカートが付いたパンツスーツだ。
「これ…」
「多分サイズも丁度良いと思うって。不都合があったらお直し対応しますよ。見立ては恵子姉さんだから間違いない」
「は?何で恵子さんなんですか?」
「あの人、元はスタイリストだよ。会ったことがある人のサイズは大体わかるから」
恐るべし、藤堂一族。
「それで、転属権利どうするの? 使うの? いつ使うの?」
宇城さん、ちょっと待ってよ。
「そうか、宇城は初めてか」
「だって、倉本さんはあっさり営業統括本部に骨をうずめたいから転勤話があったときにカードを切るって温存してるでしょう?みんな温存するから、使ったところを見たことない」
「え?みんな温存って、どういうことですか?」
「井上本部長に小林室長、岩根課長に藤堂課長、青山さんに倉本さん、それから退職しちゃったけど、常務だか、専務だかも権利持ってましたよね?」
宇城さんがそう解説する。
つまり、少なくとも社長賞取った猛者ばかりってことじゃん。
恐るべし、営業統括本部。
「あ、社長賞だけというなら店長の四分の一は経験者だよ」
も、わけわからん。鬼も出てくれば悪魔も出てくるし、今度は魑魅魍魎だらけじゃん。
「店に立てなくても、会社に貢献できることは山ほどある。社長賞はそのためにあるんだ。店に出ている人たちのためには売上賞とか、報奨金とかがあるわけだしね」
青山さんはそう言ってばさりと資料を私の机の上に置いた。
その量は、悪魔的で。
「社長賞3回獲得した猛者は違うねぇ、青山さん」
「その年で3回も獲得したお前に言われたくはない」
「いやいや、取ったのは私じゃないから。そこまで手を貸してくれた仲間たちがいたから。みんなのおかげ」
小林さんの歳で3回って、やっぱり魑魅魍魎の世界なのか。
奥が深い。
けれど。
やりがいのある仕事だと、私は思っている。
いらっしゃいませ、が言えないけれど。
心の中では、
いらっしゃいませ
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