第18話 鋭角コーナリング

 レースが始まってすぐ。


 藤堂さんは顔色も変えず、ピットの入り口で腕を組んで仁王立ちした。

 ぎゃんぎゃん喚いているあかりさんは全く無視して、目で追っているのはモニターの中のランエボだった。



 ランエボはある程度改造していると倉本さんは言っていた。だからなのか、小林さんの腕なのか、それともコースなのか、最初は直線ではGTRに負けてはいるが、カーブになるとランエボが差をつける。先頭争いは入れ替わりながらの展開で私はハラハラしていた。

 けれど3週目、三枝さんはかたずをのんで見守るメカニックたちを横目に、鼻歌を歌いながらコーヒーを持ってきて、モニターを見ながら飲んでいる。

 公平さんは最初からコーヒータイムにしているし、何なの、この余裕。


「こっからだ、見てろよ」

 公平さんはニマニマしながらそう呟いた。


 4週目、直線で並んで走ることはあったが、GTRは追い抜くことができずに勝負はコーナーに持ち込まれ、しかしコーナーワークでは競り負けてGTRは一度も先頭に立てなかった。


 5週目も同じ展開だった。GTR同士が仕掛けようとするが、ランエボはそれを交わすようにひょいひょいっとコーナリングしている。だからランエボがトップのまま。


 6週目。ほんのわずかだが、直線ではランエボがリードを取り、コーナリングでは車長半分ほどのリードを保っている。


 7週目、完全にランエボがリードを取るようなレース展開になっている。


 8週目、コーナリングでは常に車長一台分の差が付く。モニター越しでもわかるくらい、コーナリングがすごい。コース取りに無駄がないんだと倉本さんがその差を説明してくれる。コースに入るポジションを無駄なくキープして、車の性能を生かして無駄な動きをしないで最短最速のラインを取り、コーナーを脱した後は素早く立ち上がる。


「うわぁ、あんなに攻めるんだ」

 初めてその走りを見たというメカニックマンたちが何人もあ然とそのコーナリングに見惚れている。5週目からの小林さんの車の軌跡を示すラインは見事に無駄がないラインを描いている。


「キレイ、速い、無駄がない。お嬢のコーナリングセンスは他の誰にも負けてない。見ろ、あのラインを取りながら後ろの2台に絶対前を譲らないんだ」

「ウチのレーサーでもあんなに攻め込まない」

 メカニックマンの一人がそうこぼす。


「マシンに全幅の信頼を置いてるからだよ。だから安心して乗れるんだと」

 藤堂さんがこぼした。

「え?」

「昔、レースやってて怖くなかったのか、とか、レーサーでもないのに、未だに車の整備を忙しい三枝チームに任せるのは悪いじゃないか、と言ったことがあるんだ」

「いや、それは俺が勝手にしていることで…」

 三枝さんは思わず反論した。

「ん、知っているよ。俺が言いたいのはそう言うことじゃなくて、あの事故の後、恐怖が先に立って安心して乗れる車じゃないと嫌なんだと答えたんだよ。レースの時も、安心して乗れる車だからぎりぎりまで攻め込むことができたんだと。今はもう大丈夫だけれども、一時期社用車を運転出来ないことがあったんだ。俺はそれでも車に乗っているあいつをすごいと思うし、それを支えている三枝さんも、またすごいと思うんです」


 明かされた事実に、三枝さんが驚いたように藤堂さんの顔を見ていた。

「だから、勝負なんてどうでも良いから無事に帰ってこい、ですか」

「そうですよ。あいつの地雷を踏みまくったバカ女を見返してやる意味でね。その意味は理解できる連中だけが理解できればそれで良い。何でも自分の思い通りになると思ったら大間違いだ」

 藤堂さんは横に「バカ女」こと吉川さんがいることを承知でそう言った。当の吉川さんはむっとしている。

「どんな仕事でも現場は汗まみれ泥まみれだ。物流の現場にいたら車の整備だって第一線。そこで働くなら油まみれになるのは当然だ。アンタは彼らが稼ぎ出す金で成長したんだろう? なのに、現場の人間を馬鹿にする、自分は上等な人間だから上等な男と結婚したい。だったら相手は俺じゃない。俺の仕事は倉庫や工場で常に現場最前線の仕事だよ。楓の方がまだオフィスにいることが多いくらいだ。でもあいつは現場の人間を馬鹿にしたりはしない。自分も汗まみれになって現場の人間と一緒に働くことが楽しいというし、炎天下で真っ黒に日焼けすることも笑って楽しいと言える女だ。現場の苦労を知っているし、何が大事か知っている女だからだよ。そういう価値観を持っている方が一緒にいて楽しいし、これからの人生を共にしたいと思う。アンタじゃない」

「そうじゃないわ。これは会社が絡む話よ」

「まだわからないのか? 会社を構成しているのは人間だよ。人間が会社を作って、会社が人間を守る。だから人は会社を大きくしてその力を強固にしようとする」

「だから、お父様の会社と貴方の椿グループがもっと手を組めば大きな仕事ができるじゃないの? 地方最大も夢じゃない」

 ふっと、藤堂さんは笑った。

「会社を大きくしてその力を強固にするのは簡単だ、規模を大きくすれば良いという発想は幼稚だよ。違うんだ。構成力を強くするという話だよ。その意味が分からないんならアンタはよほどのバカと言える」


 ああ、言っちゃったよ。確かにわかりやすいけど、ちょっと考えればわかるような話を言ってもまだ腑に落ちない顔をしてるということは、本物の馬鹿か。

 三枝さんは彼女を相手にすることをあきらめて、三人の走り具合を比べてコーヒー片手に若手へのレクチャーをしている。


「こんな簡単な話が分からないようじゃぁ、小学生からやり直してこい」

 いや、藤堂さん、チームでいろいろやろうという話は幼稚園からのことだと思います。それ、小学生に失礼な気がする。


 9週目、一台のGTRが大きく崩れ、それに動揺したのかもう一台のラインがぶれて、タテに三台並ぶ形になった。


 10週目、文句なしにランエボがゴールを切った。写真判定も何も、きっちり車長一台分の差。文句のつけようがない。


「嘘でしょう?どうして?」

 町田レーシングのメンバーも驚いている。確かにそうだ。若いメカニックばかりなので、楓が活躍していたころの年代ではないのだ。

「ではお嬢さん、約束ですからね、今後総一郎にも藤堂にも、椿にも手出し無用に願おう。それから今日この時をもってして、町田レーシングの社長以下スタッフ及び土地家屋は我々のものだ」

「間違いないですよ。契約書にサインがありますからね」

 公平さんの言葉を受けて、まだ若い男性が契約書を振りながら頷いた。

 彼は寮にいた人だ。何て名前だったっけ、なんて思っていたら。


「失礼します。社長、ご依頼通りタクシーが到着しましたが」

 そのタイミングで横から入って来たのは、制服警備員の男だった。

「彼女がお帰りになるそうだ。丁重に送って差し上げてくれ。タクシーの誘導も頼む。吉川物流の本宅に送り届けるように」

 公平さんはそう言い付けて、警備員はごねる彼女を強引に連れて行った。

「公平さん」

「おう」

「実家に顔出してきます。契約書のコピーを回してくれませんか?」

「戸田、持たせてやれ」

「はい」

 腹黒い笑みをしながら、契約書を持った戸田さんが立ち上がった。

 そうだ、戸田さんだ。

 確か彼は会社の食堂で紹介された人で、元は弁護士さんだった人だ。いや、今も弁護士だけど。会社の顧問弁護士の一人で、レーススタッフの雑用係として働いている人だ。メカニックのことは勉強中って言ってたっけ。


 腹黒ばっかりだな、見なかったことにしたい。イロイロ。

 というか、笑うしかないこのカオスチックなこの状態。


 藤堂さんはガッツリ公平さんと三枝さんに握手して、それから顔見知りのメカニックマンにもみくちゃにされながら笑っている。

 楓さんはクールダウンのためにコースを周回中だ。

「じゃぁ、俺行きます」

 藤堂さんは戸田さんから契約書のコピーを受け取った。

「迎えてやれよ」

 公平さんは笑いながらピットに向かわせようとしたが、藤堂さんは首を振った。

「こっから先は俺のターンなので」

「おう、そういうオトコで良かったよ。頼むな。車、乗っていけ。今日はBMWだ」

「でも」

「修平がこっちに向かってるし、多分、ノブ兄も来るだろう。アシは十分確保できるし、倉本君たちも責任もって送っていく。心配ないよ」

「じゃぁ遠慮なく。借ります」

 公平さんから車のキーを受け取ると、私達に断ってから藤堂さんは姿を消した。


「久々に、良いコーナリングだったなぁ」

「今夜は眠れないかもしれない」

 ウッホウッホホ、という表現が似合うほど興奮している三枝さんがいた。

「あー、上の調整室にいるわ。上の連中も興奮してそうだな」

「そりゃぁそうでしょう」

 公平さんと三枝さんもまた、握手を交わしていた。

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