第19話 落ち着け、わたし
週明けの月曜日
今日から一泊二日の予定で、深山店に出かけることになっている小林さんに私は同行することになっている。
研修の一環であり、向こうにいる熱田さんと九条さんに正式に紹介してくれるそうだ。
県外事業部長である九条さんと、県外事業部営業部長である熱田さんは会社の中でもトップコンビと言われている。支店にいた時からの憧れのトップエリートだった。
深山店は、竹内さんという若い店長が取り仕切っている。若いけれど、こちらもトップエリートに間違いない。何でも、小林さんが育てようとしていたところを、熱田さんが横からかっさらって言ったという。店長会議で会ったときに、なるほど、と思えるくらいにはっきりものをいう人という印象があった。
午前中は社内の仕事があってそれをてきぱき片付ける。藤堂さんは何故か有休をとっていて、今日はお休みだ。事後処理だからね、と耳打ちしてくれたのは当の小林さんだった。
午後から、小林さんの車で深山店に向かう。今日はお兄さんに借りたというハチロクに乗っている。あのランエボは、整備中と言っていた。
周回から帰って来た小林さんは、まず三枝さんにハグして、その後は順番にメカニックの人達とハグしていた。
私も倉本さんとは、機械油が付くからと握手とハイタッチだったが。
町田レーシングチームの人達と、当の双子兄弟とは火花散るかとおもうくらい睨まれた。三枝さんに、こんなレーサーが所属しているなんて聞いたことがない、と詰め寄っていたんだけれども。
駆けつけてきた町田レーシングの豊川専務は小林さんの姿を見るなりうわぁぁぁぁんと泣きながら小林さんを文字通り抱きしめた。驚いたのは専務の左腕が義手だったことだけれども。
まぁ、良くわからないけれど、町田モータースの社長であり双子の親でもある町田さんと豊川専務とは、小林さんがレースをしていたころからのお付き合いがあって、とても仲が良かったんだそうだ。
だから、身売り話の件は心配することないよ。
と、戸田さんが教えてくれた。
私がやきもきするようなことじゃないから、静観。
きれいに話がおさまるならそれで良い。
「あの、吉川物流とのことはどうなったんですか?」
「キッチリ落とし前付けましたよ。あそこにいた戸田という男は元は弁護士でね。まぁ今も弁護士なんだけど」
「は?」
「向こうもごねたけれど、証拠の動画や音声があるからね、ウンというしかないでしょうに。あ、ちゃんと払ったからね、2千万円」
「本当に?」
「私の貯金目減りしましたけどね」
行きの車の中でくすりと笑ってしまえるところが、コワイ。
ご機嫌ドライブで、途中のサービスエリアの新商品だというパフェを二人できゃぁきゃぁ言いながら食べた。仕事中に、という罪悪感はあったけれど、小林さんはこれも仕事だよ、と携帯でサービスエリアの屋台だの、出店だの、ラーメン投票企画だのをカメラに収めている。
その後で仕事モードで深山店に到着し、私は熱田さんとの研修に入った。
まずは店舗内のいろいろな説明を受け、それから店舗外のエクステリアゾーンに入る。そろそろ夕刻、客足も増えてくるころだ。
今は秋だから、春先ガーデニングのためのあれこれが所狭しと並べられている、のだが、週末明けの今日は売れ行きが良かったので欠品が目立つ。
担当者はせっせと生花の手入れをしながら売り場を整えてはいるが、とても手が足りているとはいいがたい。月曜日は特に忙しいのだ。
店長の竹内さんは手が足りない部署にあちこち走り回っていて、今は買い物かごの整理に走っている。
その時だった。うわぁぁぁぁ、という人の声に気づいて顔を上げると、黒い車が真っ直ぐ、私達の方向に向かってきていた。
あの時と同じ。
途端に、フラッシュバックが起きる。事故の記憶。
黒い塊が来て、逃げなきゃ、と思うけれど、体は動かなくて。
「危ない」
誰かの声がして、ドン、と体に衝撃が走った。
物凄い音とともに、私はガーデニング用の花の苗木の棚に頭から突っ込んでいた。
どこかで悲鳴が起きていて、ガシャンガシャンと音がしている。
「寺岡さん、熱田さん、おきゃくさまっ」
叫ぶ竹内店長の声。
痛いんだかなんだかよくわからない感覚。倒れ込んで横を向いているのは分かったので、手足をゆっくり動かしてみてから上半身を起こした。
部分部分で痛いところはあるけれど、骨折や脱臼などの痛みではないと判断した。足は痛いけれど。
それから、周囲を見渡す。
一番近くにいたのは熱田部長で。
私の足元には熱田部長の体があって、じんわりと血だまりができていた。
「大丈夫ですか」
「大丈夫ですか」
あちこちでそんな声が聞こえる。
「熱田部長」
声をかけるが、意識はない。座り込んで呼吸を確認すると呼吸はある。
生きてはいる。
ざっと見渡すと、倒れているお客様が何人か。従業員も一人いる。中からスタッフが走ってきていて、竹内さんが熱田部長のそばに来る。
「熱田さん」
「意識はありませんが呼吸はあります」
わらわらとスタッフが集まって来る。
何をするわけでもないけれど、とりあえず集まっている状態。
どうする、どうするのが最適なのか。
落ち着け、まず安全確保、負傷者の救出、客の誘導の三原則だ。
店内から何人もの社員やパートさんが飛び出してくる。
「そこのポニーテールの貴女」
「はい」
「救急車の手配をして。一台じゃダメよ。少なくとも5台はよこせと言って。その隣のあなたは警察に電話して。事情を話してきてもらって。その隣のショートカットのあなたは救急箱。ケガをしたお客様のために。あとの三人はケガをしたお客様をまず安全な場所に誘導してください。竹内店長は車の人を確保してください。残りのスタッフは、お客様を誘導して安全な場所に。入店するお客様に関しては目撃者以外断ってください」
指示を出しながら熱田さんのケガの具合を見る。左腕があらぬ方向に曲がっていて、出血している。出血量もかなりあるとすると、解放骨折かもしれない。
熱田さんのネクタイをほどくと、ためらわず傷から離れた場所である上腕で止血した。頭は打っているかもしれないのでそのまま。気道確保だけはしておく。
幸い、スタッフはぱきぱきと動いてくれる。
混乱しているけれど、大丈夫。不測の事態が起きた時の安全マニュアルに従って動いてくれている。
けがをしたお客様の状態を確認する。頭を打っている可能性のあるお客様には動かないように要請して、動けるお客様に関しては安全な場所に移動させること。
今回の暴走車両の車からこっそりキーを取り上げた社員は、竹内さんに報告がてらそれを預けている。
できることを、ひとつづつ。
私は深呼吸して、まず小林さんに電話する。商談中だから電話に出ないのは想定内だから、メッセージを残し、次に本部の井上本部長に連絡する。報告と、いくつかの指示をもらう。
あとは、どうしたら良いんだ?
本部長は何を言った?
思い出せ。安全確保、負傷者救出、消防と警察に連絡、スタッフの安全確保。店は閉める。関係者の連絡先保持だ。
大丈夫、間違っていない。
消防と警察には連絡した、サイレンの音が聞こえているから大丈夫。
お客様の安全が第一で。
次に従業員及びスタッフの安全。
それから安全のために建物内外のチェック。エクステリアゾーンのお客は日陰に移送した方が良いよね。
「ごめん、レジャーシート持ってきてくれる? ブルーシートでも良いから。お客さん座らせたいから」
「あ、はい」
手の空いたスタッフが飛び出してゆく。
「ちょっと、貴方と貴方」
「はい」
「貴女は目撃者の方、貴方はケガをしたお客様、両方とも話を聞いて、お名前と住所と連絡先を聞き取ってくれる?」
指示を次々飛ばすが、竹内店長の教育が良いのかみんなパキパキ動き、自分の手に負えないとわかると仲間を呼んで分担する。
「看護師です。何かお手伝いすることがありますか?」
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