第16話 疾風

 直線距離をすいすいと走り抜けながら後続車との距離を取っていく。

「今何時?」

「20時半です」

「まだ早いかな」

 倉本さんの返事に小林さんはどこかに電話をかけ始め、助手席に座っていた藤堂さんはグローブボックスの中から無線機を取り出した。

『はいどうした、楓』

 落ち着いた男の声が社内に響いた。

「修平、車6台に仕掛けられてる。週末で交通量多いからこのままだと一般車両が事故る。こっちは総一郎さんと一緒に会社の人間二人載せてる。とりあえず、安全に三人を降ろせる場所として湾岸を考えているんだけど」

『それ、駐車場の物損がらみかもな。現在地は?』

「宮島の交差点から海岸方面に向かってる。今、宮島北交差点通過」

『わかった、向こうに連絡しておく。6台引き連れているのか?』

「振り切ったはずなんだけど、とと、前に3台、かも。仲間増えてるし。気になるくらいうまい奴がいる。それも2台」

『コースが変わったら逐次状況を報告しろ。総一郎君』

「はい」

『無線の設定をチャンネル1にしてくれ。それから、「ナビが変わった」らチャンネル7に再設定を』

「了解です、兄さん」


 電話の相手は小林修平さん、小林室長のすぐ上のお兄さんで、メカニック担当だと倉本さんが教えてくれた。

 小林さんには三人のお兄さんがいて、一番上のお兄さんが信平さん、次兄が公平さん、一番下のお兄さんが修平さんだという。だから私が会社の寮で会ったのは信平さんということになる。

 そもそも、修平さんは会社に常駐というわけではないらしいことは信平さんから聞いていた。


「これ、囲まれてるなぁ」

「どういうことだ?」

「明らかに前で仕掛けているのは3台。でもその先で露払いのごとく一般車両を蹴散らしているのが3台、私の後ろからあおって一般車両をけ散らしているのが2台いる。さっき、後ろからの6台とは別の車も交じっているから、多分これ、15,6台いるんじゃないの?」

「は?」

「え?全部わかるんですか?」

「エンジン音違うから。囲まれると厄介だなぁ」


 交通法規を守りながら安全に追尾を振り切るのは難しい、と倉本さんは言う。

「ちょっと運転荒くなるよ。後ろの2台を相手にするのは面倒だし」

 小林さんはそう言ってハンドルを切った。

 3車線幹線道路をちょいちょいっと抜けて、という要領で前で仕掛けている3台を抜いた。そこから、その3台を前に行かせないようにハンドルを切っている。一般車両がいないから出来る技だ。

「すげぇ」


 後ろの3台を援護するかのように、前をブロック状態で走っていた車の一台が離れて小林さんの車の前に就こうとした瞬間。


「いただき」


 ひょいっと、車を交わして一番の先頭に立ったと思ったら、いきなり重力がかかって車がスピードアップした。

 直線道路マジック、というのだろうか。ここの直線道路は信号に一つ引っかかると全部の信号に引っかかり、相応のスピードを出して通過すれば信号にかからない、という仕様になっている。そしてそれを狙って県警は交通機動隊が取り締まりをしているのだが。


「これ、もしかして、車に発信機ついてるのかなぁ」

「えッ?」

「会社出るときに2個くっついていたのは外したんだけど、3個目とかあったら大笑いだわ」


 藤堂さんが、ピクンと動いた。

「はい、総一郎です。現状コース変わらず、でも、楓が言うには車に発信機が付いているんじゃないかって」

「総数15から18、このまま引っ張っていくと伝えて。このうち改造車が8、ノーマル3台確認」

 無線機に向かって話す藤堂さんに小林さんが情報を次々と伝える。

「腕の良いドライバーが二人いる。一人は白のGTR、一人は黄色のGTRでどちらも改造車」


 車は驚くほどの滑らかさで湾岸道路に入る。けれど、スピードは…暴走と言われても仕方ないくらいで。後続の連中が付いてこられるぎりぎりをキープしながら、しかし一般車両をクッションにして程よいスピードを保っている。


「え? 湾岸サーキットに入るんですか?」

「一般車両巻き込むわけにはいかないでしょうが」


 湾岸サーキットは、かつてイベント会場のあった駐車場をレース場にしたもので、県唯一のサーキットレース場ともいえる。公式レース場としての役割もあるが、レジャー施設としてもファミリー向けのイベントをやっていたりもするので割合ポピュラーなレース場だった。


 湾岸サーキットへのアプローチは道一本の一方通行なので間違えようがない道路なのだ。そこの道路に入ったとたん、小林さんは慣れた調子で駐車場を横切り、関係者用のピット方面に車を走らせる。


 赤と白の誘導ツナギを着たスタッフが、当たり前のように誘導灯を振って通路口に案内してくれた。


 通路口を抜けると、そこはサーキットレース場になっていて、びっくりした。

 メカニックマンたちがチームごとに働いている。もう帰っているチームもあるけれど、明かりがついたピットブースは活気がある。これが、フル状態でピットが開いたらとてつもない迫力だ。誰もいないスタンドでも迫力があるのに、ここに観客がいたら双璧の圧迫感だ。

 レーサーやピットマンはこんなところでコンマ何秒の世界を争っているんだ。

 圧巻だった。


「降りて。最悪ここでレースするかも、だわ」

 そう言われなくても、小林モータースの真っ青なツナギを着たチームスタッフがわらわらと寄ってきてドアを開けてくる。

 車はいつの間にか小林モータースのピットに入っていた。


「お嬢、修平さんから連絡があった」

「助かった、ありがとう。まさか一般人巻き込むわけにはいかなくて。ねぇ、ボディに発信機がないかチェックしてくれる?」


 声をかけてきたのはあの三枝さんだった。そしてその三枝さんはメカニックマンを指揮して先頭に立って車の整備を始めた。


「かえで」

「兄さん」

「車が16台通過したそうだ。誘導にしたがってコースに入って来るのはGTRが2台、白と黄色だそうだ」

「やり過ごしたい」

「本当に。前代未聞だ」

 信平さんとそっくりな人がいて、彼が公平さんなのだと倉本さんは教えてくれた。


 前代未聞というその言葉とは裏腹に、三枝さんもメカニックマンもわらわらと車によって士気高くメンテナンスしている。一体どんなノリなんだ?

「荷物降ろします」

「タイヤチェック入ります」

 などなど、完全にレース状態だ。


 ブースは違うけれど、別のチームの人達はにやにやしながらそれを見守っている。

 私たちは公平さんに案内されて、ピットブースの中の、作業の邪魔にならない奥のスペースに案内された。

「どういう連中なんだ?」

 ポロシャツにジーンズ姿の公平さんはピットに不似合いなほどの人だった。

「知らないよ。この間も一晩鬼ごっこしたんだけど、映像見て修平はスカウトしたいってのたまうくらいよ」

 楓さんは答えながら降ろされた荷物の中から洗いざらしの、もう色が落ちてしまったツナギを引っ張り出してきている。

「お前の所見は?」

「2台のGTR乗りは腕は良いわね。この間鬼ごっこしたドライバーの二人に間違いない。修平も私も同じ見解。二人には荒削りの面白さはある。公平、上に上がってカメラ回して記録してくれる?おっつけ修平もここに来ると思う」

「かえで」

「はい」

「お前今何を言っているのかわかるか? 自覚あるのか?」

「あれだけ腕の良いドライバーが二人もいるのよ? しかもあのバカ女に協力しちゃってる。おかしいとは思わない?」

「あーちょっと良いかな」

 兄妹の言い争いに割って入ったのは、三枝さんだった。


「三枝さん、ちょっとこのバカに水ぶっかけてくださいよ」

「GTRからドライバー二人と女が一人、降りてきた。三人とも見覚えがある。女は例の運送会社のご令嬢で、GTRのドライバーは町田レーシングの双子のレーサーだ。町田雄二と丈二」

「うわぁ、とんでもない新人じゃん」

「町田レーシングは資金繰りが悪化して、半年ほど前に文字通り身売りして、レーシング業界から身を引いて運送業に転じたんですよね。買い取ったのが吉川物流」

 三枝さんはそう言ってニンマリ笑う。

「自分の会社で整備部門とドライバーの両方を手に入れたってわけか」

「期待の新人ですよ」

「修平の前に引きずり出す価値はあるか」

 ニンマリ、小林さんが笑った。

「いくらで買えると思う?あの二人」

「四千万、だそうですよ。その負債」

「ふーん、考えておこう」

 隣で藤堂さんがため息をついていた。

「車ばか」

「あきらめろ、総一郎」

 慰めたのは公平さんだった。



 小林さんと藤堂さんはピットを出て、車のそばに行く。

 小林さんの車はもう整備はほとんど終わっていて、メカニックの人達は後ろに控えている人も多い。なのに、彼らを見下す勢いでかの女性は立っていた。


「やぁぁぁっと会えた、私の総一郎さん。さぁ、こんなバカ女放っておいて、私と一緒に帰りましょう」

「と、彼女はおっしゃっていますが。総一郎さん、選ぶのは貴方だ」

「じゃぁ、お前離婚届にサインするのかよ」

「それがあなたの選択なら。私からの意志では離婚しないわよ。でも、私といるより彼女といる方が貴方の幸せなら、サインするわよ」

「ちょっと待ってくれ。離婚届ってどういうことだよ。アンタたち結婚してるのか?」

 町田兄弟に動揺が走った。

「お黙りなさい。貴方が首を突っ込む問題じゃないわ」

「そうそう、ちょっと黙っててね、順番に話をしましょ、双子の町田君」


 吉川あかりさんの後ろにいた双子君たちが、自分の名前を言われてびっくりしていた。

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