第15話 斜め上の人


「知り合いなのか?」

 叔父に声をかけられてはっとする。


「良かったらこちらへどうぞ」

 声をかけてくれたのはカウンターにいたバリスタの制服を着た男で、物静かな男だった。イケメンだけれど。

「え?え?」


「寺岡さんの、叔父様ですか?私、小林楓と申します。トップリードで道子さんと一緒に働いております」

「そうでしたか、道子の叔父の寺岡芳治です」

「それから、倉本徹、彼もトップリードで道子さんと一緒に働いています」

「ああ、それで道子が驚いたんですか」

「え?室長は今日は仕事、ですか?」

「気分転換のドライブに。そうしたらここに倉本兄弟がいた」

「バリスタの小池省吾です。駆け出しのバリスタです」

 彼はきちんと一礼した。


 関係性がわからないのだが。名前違うよね。

 まるっきり似ていないし、まるっきり苗字も違う。


「親父の再婚相手の連れ子で、バリバリの反抗期だったんだ。夜な夜なバイクかっ飛ばして暴走するタイプの」

「今は更生して立派なバリスタになりましたけれどね。さて、私は帰るわね」

「ありがとうございました」

「いえいえ、美味しい一杯をもらえて至福の幸せ」

 小林さんはそう言ってありがとう、とお礼を言った。


「今度、峠道に行って良いですか?」

「良いよ。オートサロンの五十嵐さんに連絡するといい。皆が集まる日を教えてもらえるよ。単独で走るには気を付けてね。県外ナンバーのマナーのなってないやつが時々乱入してきてるって注意書きが回ってきた。SNSで連絡用のグループ作ってるから、入れてもらえば?」


 静かなバイブ音が響いた。誰の携帯かと思ったら小林さんのもので。

「仕事の電話だわ、ごめんね、またね。寺岡さん、失礼します」

 叔父に一礼して、小林さんは出て行った。


「今私がいる、本部の室長なのよ、小林さん」

 驚いている叔父にそう説明する。

「え?あの若さでか?40代、ではないだろう?」

「まだ30代です。俺とそう年が違わないんですけどねぇ」

 倉本さんがごちた。

「ではごゆっくり。俺も時間だから行くよ」

「ありがとう、兄さん」

「ごちそうさま」


 倉本さんも席を離れ、私は叔父と一緒にカウンターに座った。

「おすすめのコーヒーは、何かな?」

「今日のハウスブレンドはモカをきかせたブレンドと、ロースト軽めの酸味をきかせたブレンドを用意しております。お好みの味がありましたらこちらでブレンドいたしますが」

「コーヒーには詳しくないんだ」

「でしたら、こちらでブレンドします。苦めが好きとか、軽めが好きとか、ございますか?」

「だったら、深入りしたものは好きじゃないが、かといって浅入りすぎるのも好きじゃない。酸味があるのは嫌だ、というのが最低ラインかな」

「かしこまりました。お嬢様は何になさいますか?」

「私は、うん、深入りのハウスブレンドを」

「かしこまりました」


「あの人がお前の上司とはなぁ。確かに、見た目に騙されたらただのお嬢さんだよな。仕事となると違うだろう?」

「まるっきり。漢字の漢と書いてオトコと読む、って言われているの。社内の女子社員の評価」

「普通、それ男に向かって言うだろう?」

「うーん、あのねぇ、この間の雨の日に、会社のエントランスで足を滑らせてこけたことがあって」

「道子?」

「大したことはなかったの、一晩で直るくらいの軽いねん挫だったんだけど、その時通りかかった小林さんて、私を、こう、ひょいっとお姫様抱っこしてくれて」

「は?」

「頭真っ白になって、降ろしてくださいって言ったら、暴れると危ないからじっとしてなさいって、医務室まで連行されたの。それがさぁ、もうどこかのタカラヅカというか、漫画の世界というか、サマになってるのよ」

 その話に、目の前の小池さんがくすくす笑っている。

「背景にお花が飛びませんでしたか?」

「本当にそんなノリで。あとから女子社員にうらやましがられるわ質問攻めにされるわ、大変でした」

「だからオトコ、か」

「ご実家があの小林自動車です。幼い頃はご自身もトップレーサーとして活躍していましたから体は鍛えていますから、そういう意味では私も敵いませんよ」

「レーサー、ですか?」

「はい。小学生の頃には既にポケバイの国内トップレーサーとして、学年が上がれば四輪のカートレーサーとして常にトップを張っていた人です。ファンも多かったと聞いていますよ」

「なのに、今はトップリードに?」

「同じチームに、どうしても勝てないレーサーがいたそうです。同じチームですから、チームを割るようなことはしたくないという戦略的な判断と、この先女性としての体力差が出てくれば不利になるという判断で逆にそのレーサーをバックアップする、それが引退理由です」

「なるほど」

「でも、そのレーサーは小林さんの引退直後に白血病で亡くなったんです。レース仲間たちが集まった追悼レースでは暴走したファンがレース場に乱入する騒ぎがあって、ファンを守るために小林さんが乗った車はクラッシュする羽目になって。まぁ、レース界そのものに距離を置きたいという意向もあって、全然違う業界に」

「小池君は、彼女と付き合いが長いんだ」

「一時期全くなかったこともありましたけど、離婚した方の親父がレース業界の人間で、ガキの頃からレース場で小林さんとは何度か。ホント、格好良い人ですよ」

 人当たりの良い笑顔で接客する彼は、「とがっていた」印象はない。

「あんなことがあっても、普通に笑っていられる人っていうのは人間としても尊敬できますよ。両親の離婚ぐらいでガタガタやってた自分が恥ずかしいです。考え方もナナメウエというか」

 そう言って小池さんは笑っていた。



 ナナメウエノヒト。

 叔父はそう言って頷いていた。納得の頷き。だからこの人がトップに立てるのだという頷き。

 確かに、ナナメウエノヒト、という表現にしっくりするだけの才気を持った女性だ。私はそう思う。



なのに、私はどうして戦略班に呼ばれたんだろうか。


 この頃、そればかりがループしている。

 吉崎課長の赴任が予定より遅れていて、事務の鈴木さんの退職が迫っていて、この頃、青山さんの体調も思わしくない。

 なのに、私の仕事のほとんどは本部内の事務仕事で、戦略班の仕事は本当にスローモーにしか進んでいない。

 誰かの視察に一緒について行って、その店の店長やスタッフと雑談を含めた会話を交わし、当然だけれども、気が付いたことをメモしたりして。

 でもそれだけだ。

 そういうことが大事なんだと岩根課長も藤堂課長も口を揃える。小林さんはそれと並行して、必要な知識だからと本当に戦略に必要なあれこれを惜しみなく私に教えてくれている。

 だから余計に、役に立てない自分がもどかしい。



 ほんとうに不運な時は不運なのかもしれない。


 午後から小林さんが店舗に出て、本部の人間がほぼ残業1時間程度で駐車場に出た時、従業員駐車場ではちょっとした騒ぎになっていた。

 社員の何人かの車のタイヤが悪戯されたり、ボディに傷付けられたりしたのである。総務の衣笠部長がさっさと動いてくれて警察に通報し、防犯カメラの映像も捜査のために提出し、現場検証を終えた頃。

 小林さんがハードな店舗周りを終えて直帰予定だったところを、藤堂さんからの連絡で会社に寄ってくれた。一緒に帰ろう、と藤堂さんが声をかけてくれたのだ。


「被害、タイヤだけだったって?」

「倉本の車はボディとダブルだよ。俺と寺岡さんの車はタイヤ」

「ひっでぇよな」

 ぶすっとした倉本さんがため息を追った。

「送っていこうか?」

「あ、でも…」

「今日の夕飯はミスター・ブルーなの。方向違うって気にしないで」

 ミスター・ブルーはテイクアウト専門のハンバーガーショップだ。事前に注文しておけば、ドライブスルーで受け取れる。

 量販店のハンバーガーチェーンよりは割高だが、それだけ厳選された材料を使っている、というのがウリだった。

 そして、どうやら倉本さんはその店の近くに住んでいるらしい。当然だ、小林モータースの近くに住んでいると言っていたから。


「寺岡さんは生まれて初めてのミスター・ブルーだと。びっくりしたよ」

「今日のスペシャルはエビチーズバーガーだそうですよ」

「乗っかる、俺の大好物」

「じゃぁ決まり」


 そんな気やすいアフタータイムだったんだけれども。

 ミスター・ブルーのドライブスルーに行く前から、ちょっと、小林さんの雰囲気が変わった。


「かえで、どうした?」

「気が付いただけで6台の車が尾行しているんだよね。ねぇ、ドライブスルーに入ったら、倉本と寺岡の座席の位置、変えてくれる? 倉本が運転席側の後ろに、寺岡が助手席側の後ろに」

 いつにない指定に、倉本さんと顔を見合わせて、ドライブスルーレーンに入るとすぐに車の中で位置を入れ替わった。それから倉本さんはちょっと怖い顔をして、私のシートベルトの点検をした。


「ガーっ、こんな市街地で仕掛ける? こんなに交通量あるのに。頭イカレてるんじゃないの? 馬鹿なの? ナナメウエすぎる」


 小林さんはそう言いながら直線道路で、一般車をひらりひらりとかわしながらスピードを上げてゆく。

 一般車両としては車の間を縫うようないやな運転ではあるけれど、小林さんの運転は安定していて事故を誘発するようなぎりぎりのタイミングでもない。

 が、いきなり運転が変わった。

 信号がそろそろ変わりそうな交差点に突っ込み、鮮やかにタイヤを鳴らして鋭角Uターンを決めると、後ろから追いかけていた車4台を振り切ったのだ。

 彼らの前には信号待ちしている一般車両があるので追ってこられない。


「やるぅ」

 倉本さんが小さな声で称賛したけれど、私はそれ以上に目が点になっていた。

 何が起きたかわからない。無駄な動きがなく、手足のように車が小林さんのいうことをきいていた。こんな感覚は初めてだった。

 そして、遊園地のゴーカート場でもなく、レース場でもない、一般道路で鋭角Uターンを決めちゃう人の方がナナメウエノヒトのような気がする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る