第13話 しんじられない、おそろしさ

 そこからの展開が良くわからない。


 平里さんはその場でどこかに電話をかけはじめ、小林さんはSNSのアプリでグループ通話の回線を開いた。

 何人かの人から応答があったけれど、何人かからは応答がないと携帯の向こうで騒いでいたが。

「時間がないから用件だけ。花火大会開始して良いわよ」

『えー? それ誰発なの?かえちゃん名義?それともメイプル名義?』

「メイプル名義だよ。こんな楽しい事、かえちゃん名義でするわけないじゃないの」

『おー、修平公認かよ』

「そこ、間違っちゃいけない。御隠居公認。修平は最後まで反対してた」

『おいおい、ご隠居公認ってまたすごいな』

「そりゃ、今目の前で会社に乗り込んできて、私のカワイイ部下を侮辱してくれて、挙句に総一郎さんの子供を妊娠してます、別れてくださいなんて言われたら頭カッチーンって来るでしょうに」

『お前、今会社か?』

「そうよ。最大級に頭沸騰してる」

 電話の向こうでわはははっと男女の笑い声が起きた。

『なぁに、貴方でも嫉妬するのね、安心した。わかった、おねぇさんに任せなさい。それで、総一郎さんは大丈夫なの?』

『大丈夫なわけないだろうが。こっちのルートもいま大騒ぎだ。あいつも今最大級に頭沸騰しているだろうよ。出張先だからじりじりしてるがな』

 わはははっと野太い声がした。

 電話を終えた平里さんが、手を上げて小林さんにアピールする。

「ああ、新情報。平里兄さんが一枚かむそうだから、みんな邪魔をしないようにって。以上、協力お願いします」

『了解、今度バーベキューやろうね。火起こし当番よろしく』

『そうそう、よろしくね。他の連中にも通達しておく』

『じゃぁ日程連絡してくれ。土曜日が良いな』

『俺日曜日』

『雨の日は嫌よん』

 などと、一言ずつ言って切るものもいれば、無言のまま通信を終える人間もいる。


「な、何なのよ、一体」

「メイプル小林のネットワークだ。怖いぞ、ほぼ、日本全国のトラックドライバーを敵に回したな。御隠居がノリノリなら、老舗運送業者は情報共有している。おまけに、藤堂のネットワークが動いたということは、中堅以上の卸問屋ネットワークも動いたということだ。もう一つ親切に言っておくが、トップリード相手に牙をむいたんだ。俺のネットワークも動かしてある」

「本部長、それ親切すぎな解説でしょうに」

「いやぁ、ウチにはこのネットワークを知らない新人が三人もいるからな」

 その言葉に、私と、長野さんと小坂さんに視線が飛んだ。

 私、知らない組?


「あー、いえ、あの、昨夜父からレクチャーしてもらいました」

 長野さんが真っ青になりながら手を振った。

「ソースになるものが欲しいって言っていたので…。すみません、個人的に録音していたの、聞かせました。データは渡していませんけど」

 そう言ってICレコーダーを振った。

「録音していたのか?」

 平里さんと、吉川さんが驚いていた。


「不審者入場の時点から録音するのは基本ですよ」

 と、ICレコーダーを振ったのは小池さん。

「今のもしっかり、いただきました」

 倉本さんも、黒いレコーダーを振っている。

「皆、ダメじゃない、そんな目立つもので録音しちゃぁ」

 くすくす笑いながら、小林さんは手元のボールペンを振った。つまり、これがレコーダーということだ。当然小林さんは録音しているとして、井上本部長は出しそびれてレコーダーに手をかけたままだ。


 こっわ。おそろしい集団かも。何この人たち。


「小娘ごときのたくらみに、ウチの会社に影響が出るとでも?バカは休み休み言え」

 吉川社長は虚勢を張ってそういう。

「そうね。私は情報拡散をお願いしただけで、貴方の会社に影響することは何一つ言っていないからね。判断は情報を受け取った人のものだわ。だから影響が出ないかもしれない。そこは知らないわよ」

「どこが影響でないかもしれないってしれっと言えるんですかねぇ」

 棒読み小声で、青山さんがそう言った。


 本社の警備を任せている警備会社の半武装の人達が5人、どやどやと入って来た。

「この人と、この女性だ。ああ、女性は妊娠していると言っているから、出来れば丁重に扱ってくれ」

 本部長が吉川親子を紹介する。

「必要なら私がお姫様抱っこするわよ」

 小林さんがそう言うと、リーダーらしい人が苦笑した。

「念のため車いすを持ってきておりますので。ありがとうございます」

 その人は部下に指示して、有無を言わせずあかりさんを車いすに乗せた。

「向こうの、入り口側にいるのが県警の平里さんだ。顔見知りだよな?」

「はい、道場で何度か手合わせしたことがあるので」

「だったら話が早い。今本部に連絡して迎えをよこしてもらっている。それまでの間、どこかで事情聴取したいんだが」

「警備控室の横に応接室がありますのでそちらで。準備していますのですぐに入れます」

 吉川親子はえ?え?と言っているうちに屈強な男たちに囲まれて抗議する間もなく迫力に押されたまま連れ出された。井上さんは平里さんに手を振って、平里さんは今度おごれよ、と言いたげに酒を飲む仕草をして笑ってその後を追っていった。

 県警の平里さん、と言いましたよね、今。


「徹夜した甲斐があったー」

 小林さんはそう言って全員の方に向かって一礼した。

「ありがとうございました」

「お前、小坂と長野と寺岡に解説しておけよ」

「はーい」

「ちょっと待った、車8台相手って、何やったんですか?」

「んー、交通検問やっている隣でかっ飛ばして県警車両使ってスピード違反で検挙させたのよね。一台は運転ミスでどこかの交差点で自損事故起こしたし、峠道では仲良く3台ダンゴ事故起こして脱落してくれたしね」


 はい?


「お前相手にまぁ良くそれだけで済んだな」

「いや、あんまりにも運転へたくそだから残り4台を県警に任せるために鬼ごっこしたわけで」

 この言葉に、井上がため息をついた。

「それで平里がココに来たのか」

「そりゃそうでしょうに。逃げも隠れもしてないもん。変なやつに追いかけられてるアピールはしましたけど、交通違反は一切していませんよ。オービスにも残ってないし、Nシステムチェックポイントから逆算しても違反速度にはならないと思いますよ。ある程度振り切ったらコンビニで一服してましたし。おかげで一晩頭使って疲れましたよ」


 小林さんの言葉に、井上本部長が呆れたようにため息をつき、青山さんは言葉を失っている。


「お前、今完全に頭が沸騰しているだろう?」

「沸騰しないバカってどこにいます? 昨日は修平の家に行って、紀子ちゃんとデートする約束だったのにあのバカのおかげで全部パーですよ。私のカレー返せ」


 前回の「ゴゴゴゴゴ」の怒りと同じく、今度は炎が立ちそうなほどの静かな怒りだった。

「あー、それは怒るな」

 倉本さんが小声でごちた。


「さて、本部長への報告は以上です。仕事に戻ります」

「おう」


 すとん、と怒りのオーラが落ちた。

 今の今まで猛烈に怒っていた人が、素に戻るほどの冷静さ。

 30代でこのコントロールができるなんて普通じゃない。どれだけ自分の感情コントロールに長けているか。すごいなこの人。


「感情をコントロールしないと、冷静にドライバーなんてやってられないよ」

 倉本さんはそう言ってちょっと笑っていた。



 それから奥のミーティングルームに呼ばれて種明かしされた。


 藤堂さんは椿グループの一員であり、ここに就職する前までは会社役員として名前を連ねていたこと、縁あってトップリードに就職したこと。仕事柄、卸売り関係の会社には顔が利くし、なおかつ個人的なネットワークもあってかなり正確な情報を掴むことができるし、流すこともできること。同じ原理で井上本部長は分野を問わず、地元の会社、しかも中小問わず大手まで顔が利くこと。

 そして小林さんのネットワークは、会社ではなくてトラックドライバー個人のネットワークだという。それが長じて運送会社のほとんどをカバーしているという。

 それから、時々会話に出てくる「修平さん」は小林さんのお兄さんで、「紀子さん」はそのお嫁さん。紀子さんは会社トップとして動いているという。

 ご隠居さんというのは小林さんのお父様で、今は一整備員として学校卒業したばかりの新入社員に指導をしているらしい。


 修平さんの情報ルートも動いたということは、個人的な仲間内の自動車整備工場に勤めるメカニックやら、工場長やら、車関係者ということになる。

 そして流した情報は、あかりさんが殴り込んできた一連の音声情報。

 現在流れているのは、吉川社長自身が流した、トップリードから手を引くという情報と、反論するように流れた「メイプル小林」名義の情報。


 そして「メイプル小林」とは何ぞや、と思ったら。

 小林さんが、現役ドライバーの時に使っていたハンドルネームだそうだ。知っている人は知っている、伝説のドライバーだからね、と言ったのは小坂さん。

 未だに、あの年齢であのトップレコードを出したという実績は破られてはいないらしい。サーキットレコードは破られてしまったけれど、18歳と1か月でサーキットレコードを更新したという記録はどこにもないらしい。そして、全国にメイプル小林のファンがいて、レース雑誌のグラビアも飾ったという。


つまり

つまり

つまり

 吉川物流は、相手の情報の受け取り方によっては完全にシャットアウトされる可能性があるということだ。


 おそらく、普通なら子供がいるのに云々と藤堂さんが悪く言われるだろう、一般的には。けれど、自動車業界界隈でささやかれている藤堂の三男坊と小林の末っ子のロマンスは普通ではない、注目を集めていると小坂さんはそう言った。

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